1996年の『批評空間』臨時増刊号(特集:モダニズムのハードコア)がkindle版で購入できることを知り、さっそくポチりました(笑)。
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なんといっても、巻頭と巻末の対談が面白い。というか、懐かしい。そう、90年代の後半とかって、こういう雰囲気があったよなあ、と遠い目をしてしまいました。批評家と言われる人たちが、雑誌の対談で好き勝手な(?)放言をしまくる。読者もそれを、どこか斜に構える感じで、ときに笑ったり、違和感を覚えたり、ついていけなくて置いてけぼりになったりしながら、それでもとにかく楽しみとして読んでいく。
別にそれで読む側の知識が増えるわけでもないかもしれないし、語る批評家たちが真面目に考えて論じていないかもしれない。それでも雑多な、ノイズを含んだ情報が飛び交って、誌面が妙に生き生きと見えてくる。こういう読み物、あるいは読書の空間は、今や雑誌媒体では本当に見かけなくなってしまったように思えますね。時代は、もっと雑多でノイズもふんだんにある、ネットに移行してしまったというわけなのでしょうけれど、雑誌のこの箱庭的な(あるいはジオラマ的な)雑多な感じというのは、ほかで必ずしも再現できないのではないかな、と思ったりもします。
wowowで少し前に放映された、ヴィム・ヴェンダーズの『Perfect Days (2023)』を録画で観ました。ああ、これは個人的に好きなタイプの、とても静かな映画ですね。淡々と繰り返される日常。動きが本質をなしている映像が、こうした繰り返しを描くと、逆説的にといいますか、ある種の静謐さが漂ってくる気がします。
https://www.imdb.com/title/tt27503384/
個人的に好きな、ジャームッシュの『パターソン』([[Paterson (2016)]])も同じような感触を与えてくれる一本です。いずれの作品も、基本は日々の繰り返しが描かれるのですが、そこに多少の波風、あるいはノイズのようなものが到来し、その日常的な繰り返しは多少とも乱されたり、ずれたりして行きます。それでも大きな事件などは起きず、ただそれらの微妙なずれが、どこか味わい深い陰影を作っていく、という感じになります。
https://www.imdb.com/title/tt5247022/
どちらの映画も、主人公がちょっとしたこだわりの趣味(カメラだったり、詩作だったり)、あるいは芸術的行為を日課としている、というのも共感のポイントです。同じものは一つとしてなく、無限の差異が紡がれていく、と。これは先日の『スモーク』もそうでした。
映画で静謐さを描くには、一つにはこうした繰り返しが効果的だと思われますが、ほかにはどのような方法があるのでしょうか。そうした方法論がなにやらとても気になります。少し考えてみたいところです。
(この投稿は、obsidianからの投稿テストも兼ねています)
最近は長回しも、それなりにありふれたものになっていると思いますが、90分をそれだけでやってみせるという映画を、CSで放映していました。『ボイリング・ポイント 沸騰』(2021)。途中から観たのですが、たしかにひたすらの長回しです。レストラン内のいろいろな出来事が、その中で描かれていきます。
作品としてはどうなのでしょうか。長回しは、この場合レストラン内のカオスな状況を描くのに、最適な解だったといえるのかどうか。そう思うと、ちょっと微妙な感じもします。
obsidianからの投稿。
2024-09-19
先ごろ亡くなったポール・オースターが原作・脚本で参加した映画『Smoke (1995)』を、思うところあって配信で再見しました。ハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートが共演する、ウェイン・ワン監督作品ですね。
昔観たときには、「群像劇っぽいところは良いけど、人間関係の薄さ・冷淡さみたいなものがなんだか前面に出すぎている感じもする」、なとど思ったように記憶しています。人情ものでありながら、どこか覚めている感じ、とでも言いますか……。そういうところに、少し違和感を覚えたのかもしれません。
でも、例のごとく細部はすっかり忘れていました。今回見直してみて、むしろこの距離感こそが絶妙だなと思えました。また、当時は私自身もスモーカーだったせいか(だいぶ前にやめていますが)、別に感じなかったのですが、作中でこんなに絶え間なくタバコをふかしていたんだったっけ、と思ってしまいました。そう思って観ると、登場人物たちが吐き出す「スモーク」こそが、彼らの、ずったりべったりにはならない絶妙な、都市空間的な距離感を際立たせているようにも思えてきます。
4000日にもわたって同じ場所の写真を撮っているという主人公の、控えめな芸術観も素晴らしいですね。反復することによって差異が際立っていくという、まさにアートの基本をなす実践です。そのあたりにも、今となってはすこぶる共感できます。終盤に主人公が語る若い頃の物語を、エンドロールでモノクロ映像で見せるのですが、これもどこか洒落た演出です。語られた物語が、本当に若き日の話だったのかどうかと、そんな微笑ましい疑問を抱かせる終わり方です。
そんなこんなで、この作品は以前よりも、個人的評価が高まったような気がします。観る側の変化ということなのですけど、こういうことがあるので、再見、再読も捨てがたいわけです。その上で、ポール・オースターについてはこれまでちゃんと読んだことがなかったので、あらためて少し読みかじってみようかしらと思いました。
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