2005年02月23日

No.51

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.51 2005/02/19

------新刊情報-------------------------------
いつもながらの、国内での中世関連の新刊情報です。

○『中世キリスト教の歴史』
出村彰著、日本キリスト教団出版局
ISBN:4-8184-0551-5、6930yen

制度、学問、信仰という観点から中世のキリスト教史を描いた一冊のようです。
内容は未見ですが、中世のキリスト教を通史としてまとめたものは、国内の書籍
としてはあまりないように思いますので、基本として抑えておくべき項目が網羅
されているならば、教科書的に参照できるかもしれませんね。

○『中世ゴシック絵画とチョーサー』
塩見知之著、高文堂出版社
ISBN:4-7707-0723-1、12600yen

ゴシック絵画の技巧問題や彩飾写本の分析、チョーサーにまつわる論考などをま
とめたもののようです。値段がやや張りますが、図案などはたくさん採録されて
いるのでしょうか。チョーサーといえば『カンタベリー物語』があまりに有名で
すが、ほかにもいろいろ作品はあるのですね。フランスの宮廷恋愛詩などの影響
があったと言われていますが、そのあたりも含めて興味は尽きません。

○『ヨーロッパ中世末期の学識者』
ジャック・ヴェルジェ著、野口洋二訳、創文社
ISBN:4-4234-6057-2、5775yen

ジャック・ヴェルジェは、日本では『中世の大学』や『入門十二世紀ルネサン
ス』などの邦訳で知られるフランスの歴史学者です。 本作の原書は97年刊で、
中世末期(14世紀から15世紀)の学問世界を詳述した一冊です。邦訳のキャッ
チフレーズによると、ル・ゴフの『中世の知識人』よりも広い視野で学識者の変
遷を追っているのだといいます。思想史との絡みでも、ぜひ参照したいところで
す。

○『水とワイン−−西欧13世紀における哲学の諸概念』
川添信介著、京都大学学術出版会
ISBN:4-87698-646-0、3150yen

説明文を転載すると、「アリストテレスを論じることを禁止した教会に、西欧
13世紀の『哲学』はいかに対抗したか。神学との角逐の中に、哲学とはなにか
を問う」とあります。これはテーマ的に興味深いですね。アリストテレスの哲学
は、教会が禁じようとしても広く深く浸透していったわけですが、そのことを促
した基本的動因についてはいろいろ追ってみる必要があると思うからです。本作
の詳しい内容は未見ですが、ぜひ目を通してみたい一冊です。


------ミニ書評-------------------------------
ヘンリー・アダムズ『モン・サン・ミッシェルとシャルトル』
(野島秀勝訳、法政大学出版局)

11世紀のモン・サン・ミッシェルと12世紀のシャルトル。この2つの聖堂が体
現する「時代精神」は、それぞれ叙事詩や聖母信仰、伝説の世界に、さらには神
学の世界にまで通底するものだった……そうした「並行現象」を、様々な史料を
駆使して縦横無尽に語っていくという一冊がこれです。邦訳にして600ページを
越える大著なので読むのも大変ですが、なにかこの書そのものが一つの大伽藍を
形作っているようにすら思えますね。著者のアダムズは19世紀後半から20世紀
初頭にかけて活躍した、中世史とアメリカ史を専門とするアメリカの歴史家でし
た。一見相当にかけ離れた二つの専門が同居しているという、ある種特異なこの
精神があればこそ、本書で展開するような、文化の諸相に通底するものを汲み取
るというアプローチも可能になるのかもしれません。そしてそのアプローチは、
異質なもの同士の襞の中に流れる微細なエネルギーを浮かび上がらせるだけの効
力をもっています。

本書はもともと私家版だったそうですが、確かに私たちが普段考えるような学術
論文というよりも、どこか一種の旅行案内・探訪記のような雰囲気を醸し出して
います。ですが、だからこそ逆に、この著者はみずからが探求する「時代精神」
にヴィヴィッドに対応できているのかもしれません。通底するエネルギーにシン
クロするかのような息づかいが、その行間から聞こえてくるような気さえしま
す。いえいえ、誇張ではなしに。

とりわけ後半の、さらに末尾の3章では、アベラール、ベルナール、トマス・ア
クィナスなどが登場し、それぞれが織りなした人間関係、教会との関係が、一種
生々しく描かれていきます。時代の「空気」をこれほどにわしづかみにし、活写
したものは、普通の論文などでは到底お目にかかれません。アベラールがなぜ神
学ではなく弁証法の講義ばかりをしなければならなかったのか、聖ベルナールが
標榜した修道院神秘主義には、教会側のいかなる思惑が隠されていたのか、そし
てトマスがもたらしたインパクトと反目とが意味するものは何か。普通の評伝や
個別研究ではなかなか触れられないそうした問いのいっさいが、目の前にまるご
と差し出され、積み上げられて、他の文化的構築物と摺り合わせられていく……
このあたり、個人的にはまさに圧巻とも思える筆致です。想像力を刺激する語り
口ともども、これは歴史「研究=鑑賞」の一つの理想形かもしれません。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第2回 -- 発音について(1)

ラテン語を学ぶという場合、市販の教科書でも大学などでの講座でも、多くは古
典式発音が採用されています。これは後の時代の音韻的変化から復元・統一され
た発音で、多少ともアーティフィシャルなものだともいいますが、一種の世界標
準になっていることは間違いありません。古典式の特徴は、母音字をそのまま
(ローマ字読み的に)一字ずつ読むという点にあります。中世ラテン語も、その
古典式でやって全然問題ありませんし、多くの人はそれを推奨していたりもしま
す。ですが、言語的特徴を知るという意味では、時代が下るにつれて生じた様々
な変化も、大まかにでも知っておく必要が出てきます。代表的なものを簡単に挙
げてみましょう。

まずは母音です。母音で特に顕著なのは、aeとかoeといったeの二重母音が、e
に収斂していくことです。これは表記自体がそうなっていきます。もともと正書
法自体が揺らいでいるわけですが、それによって逆に当時の発音が推測できたり
するのが面白いですね。iの代わりにyが使われるのも比較的新しい現象です。ギ
リシア語のupsilonnから取り入れられて、古典期にはギリシア語系の単語でuの
代わりでしたが、後の時代にはiに置き換わっていきます(例えばフランス語で
アルファベットのyを「イグレック」と読みますが、これはi-grec、つまり「ギ
リシアのi」の意味なのですね)。半子音と言われるjやvも比較的新しい文字です
が、それぞれiとuに準じるものです。

子音はいろいろと変化があります。まずcはもとは「k」の音ですが、中世ラテン
語の場合、ciは「si」、ceは「se」となります(例外もあって、amicisなんて場
合は「amikis」と読んだりします)。tiaなどもciaと同じ発音になり、結果的に
patientia、patiencia、pacienciaはどれも同じ音になってしまいます。さらにh
もc、t、pの後につくようになったり(caritas→charitas)、あるいは別の場面
で消えたり(sphera→spera)します。また、mihiがmichiに、nihilがnichilに
なったりしています(これはhi「ヒ」を発音する時の舌の位置が後ろにずれて
いって「キ」みたいな音になったことを表しているわけです)。また、語中音添
加などと言われるpもあります。mnと続く場合にmpnになるのですね
(columna→columpna)。

こうした表記は時代や場所、写本などによって実に多彩に揺らいでいて、必ずこ
うだとはとても言えません。古典式の発音を採用してもなお、現代のラテン語
が、各国で様々に異なって発音されているのと同じようなものです。上のciは
ローマ教会式の読み方ではイタリア語のように「チ」の音ですし、フランスでは
auの綴りが「オー」とフランス語そのままに長母音になったりもします。ラジ
オ・ブレーメン(http://www.radiobremen.de/nachrichten/latein/)のラテ
ン語ニュースなどを聞いていると、euがドイツ式に「オイ」と読まれたりもし
ます。こうした多様性は、各地の中世ラテン語の変化をも彷彿とさせます。私た
ちは古典式を一通り学び、後はおおらかな気持ちで、様々な表記や読み方を受け
入れていけばそれでよいのだと思います。

(本コーナーは次をベースにしています:"Apprendre le latin medieval",
Picard, 1996-99)


------文献講読シリーズ-----------------------
ダンテ「帝政論」その16

『帝政論』の1巻もいよいよ大詰めです。今回は14章の続きから15章の冒頭ま
でを見てみましょう。

               # # # # # #
8. Et hoc non solum possibile est uni, sed necesse est ab uno procedere, ut
omnis confusio de principiis universalibus auferatur.
9. Hoc etiam factum fuisse per ipsum ipse Moyses in lege conscribit, qui,
assumptis primatibus de tribubus filiorum Israel, eis inferiora iudicia
relinquebat, superiora et comuniora sibi soli reservans, quibus comunioribus
utebantur primates per tribus, secundum quod unicuique tribui
competebat.

8. そしてそれは一人によって可能であるだけでなく、世界の諸原理をめぐるあ
らゆる混乱をなくすためには、一人によって行われることが必要でもある。
9. そのように行ったことを、モーセは法にみずから記している。イスラエルの
子孫たる主要な民族に加わることで、モーセは下位の法を放棄し、上位の共通の
法を一手に司り、それを各民族の長が、それぞれに相応しい形で用いるようにし
たのだ。

10. Ergo melius est humanum genus per unum regi quam per plura, et sic
per Monarcham qui unicus est princeps; et si melius, Deo acceptabilius, cum
Deus semper velit quod melius est. Et cum duorum tantum inter se idem sit
melius et optimum, consequens est non solum Deo esse acceptabilius hoc,
inter hoc 'unum' et hoc 'plura', sed acceptabilissimum.
11. Unde sequitur humanum genus optime se habere cum ab uno regitur; et
sic ad bene esse mundi necesse est Monarchiam esse.

10. したがって、人類は多数の者よりも一人の者によって、つまり唯一の支配者
である君主によって統治される方がよい。その方がよいとするならば、神にとっ
てもそれはいっそう受け入れやすい。神は常によりよいものを望んでいるのだか
らだ。二つのうち、よりよいものと最も望ましいものとは同一である以上、結果
的に「一」と「多」においては、前者が神にとっていっそう受け入れやすいばか
りか、それ以外は受け入れられないのである。
11. したがって、人類は一人によって統治される時に最善となる。世界が善くあ
るためには、君主制を取ることが必要なのだ。

XV. 1. Item dico quod ens et unum et bonum gradatim se habent secundum
quintum modum dicendi 'prius'. Ens enim natura precedit unum, unum vero
bonum: maxime enim ens maxime est unum, et maxime unum maxime
bonum; et quanto aliquid a maxime ente elongatur, tanto et ab esse unum
et per consequens ab esse bonum.
2. Propter quod in omni genere rerum illud est optimum quod est maxime
unum, ut Phylosopho placet in hiis que De simpliciter ente. Unde fit quod
unum esse videtur esse radix eius quod est esse bonum, et multa esse eius
quod est esse malum; qua re Pictagoras in correlationibus suis ex parte boni
ponebat unum, ex parte vero mali plurale, ut patet in primo eorum que De
simpliciter ente.

15章
1. 同様に、存在、一、善は、「優先」を語る五番目の様式にもとづき、段階的
に位置づけられる。すなわち、存在はその本質において一に先行するし、一は善
に先行するのだ。この上ない存在はこの上ない一であり、この上ない一はこの上
ない善なのだ。また、何かがこの上ない存在から何かが遠ざかる時、それは一か
らも遠ざかり、結果的に善からも遠ざかるのだ。
2. ゆえに、あらゆる種類の事物において、この上ない一をなすものが最も望ま
しいのである。哲学者が「単純に存在するものついて」で述べているように。こ
こから、一であるものは、善であるものの源をなすこと、多であるものは、悪で
あるものの源をなすことが導かれる。このことを通じ、ピュタゴラスは、『単純
に存在するものについて』の1巻で明示されているように、比の問題において、
善に対応するものとして一を、悪に対応するものとして多を置いたのだ。
               # # # # # #

15章1節に出てくる「優先を語る五番目の様式」は出典が不明でよくわかりませ
ん。2節に出てくるアリストテレスの言及は、最初が『形而上学』4巻16の
1023b 26、次が同1巻5の986a 23から27です。いずれにしても、このあたり
のダンテの論法は、想定される反論に対して、議論を執拗なまでに反復している
風にも見えますね。

15章の最初で語られている「一」と「多」の相互の関係性には、もしかすると
古くからある大きな問題が反響しているかもしれません。古代世界においても、
またキリスト教にとってはもちろん、「一」から「多」がどうやって生まれるの
か、そして「多」はいかにして「一」にまとまりうるのか、というのが大問題
だったのです。上のミニ書評欄で取り上げたアダムズ『モン・サン・ミッシェル
とシャルトル』の言葉を借りると、「一」と「多」の根源的亀裂に架けられる脆
弱な橋が人間の概念なのですが、その概念のあり方をめぐって、実在論と唯名論
との大きな論争が起きたのでした。実在論なら突き詰めると汎神論の罠が待ちか
まえ、唯名論ではすべてが無化してしまいます。教会は、神秘的奥義としての三
位一体を持ち出してきて、いわばアクロバティックな形でこの問題を宙づりにし
てしまうのですね。このあたりの話は実に興味深い部分です。

さて、いよいよ残すところあと2章分ですので、本書の2巻以降についても内容
を紹介しておきたいと思います。2巻では、具体的なモデルであるローマ帝国が
取り上げられます。特にウェルギリウスのローマ建国譚『アエネーイス』を引き
ながら、ローマの帝国建設がいかに神の意にかなったものだったか、ローマが帝
国の名に値するのがいかに正統であるかを説いていきます。ダンテによれば、
ローマ人は人類の中のとりわけ優れた民、選ばれた民なのですね。だからその民
が多の民を支配するのは必然だった、というのです。これは自然の秩序、つまり
階層性にもとづいた考え方で、近代における差別の構図とはまた微妙に異なって
いるようですが、いずれにしてもそこでは、ローマの支配の正当化が様々に論じ
られていきます。興味深いことに、現実のローマの衰退や没落についての考察は
見当たりません。そうした考察の不在は、ダンテの理想と現実世界との溝をむし
ろ鮮明に浮かび上がらせているようにも思えます。なにしろローマが辿る運命に
ついては、2巻の末尾をこう締めくくっているのが事実上唯一の言及なのですか
ら。「おお、幸福なる民、栄光のアウソニア(イタリア)よ。汝の帝国を衰弱さ
せるものがもし決して生まれなかったなら、また、その敬虔なる意思が、おのれ
をあざむくことがなかったなら!」。

投稿者 Masaki : 22:23

2005年02月09日

No.50

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.50 2005/02/05
本メルマガはおかげさまで50号となりました。読者の皆さまには厚くお礼申し
上げます。今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

------クロスオーバー-------------------------
政治と宗教

先月末にイラクで行われた初の議会選挙。まだ開票は途中のようですが、事前の
予想どおりシーア派の連合会派が多数派になる見通しと伝えられています。そこ
で問われているのは、西欧型の民主主義が、イスラムの風土に根ざしている政教
一体的環境の中にどう根付いていくことができるのか、という問題ですね。どう
あがいても票数を取れないスンニ派政党の側は、選挙の正当性を疑問視する声明
を出したりしたようですが、考えてみるとこれは数だけの問題ではありません。
一方の宗派に属する人が他方の宗派に属する候補者ないし政党を支持できる、と
いう可能性がないのであれば、組織票による出来レースと変わらないことになっ
てしまいます。それでは選挙をしたところで、政権を担う党派を選ぶというより
も、宗派的結束の表明でしかなくなります。スンニ派、シーア派というのは教義
の根幹に関わる違いなのだと言われますから、一方から他方へと鞍替えするな
ど、そう簡単にはいかないでしょう。たとえすぐにイランのような政体になるわ
けではないとしても、政治と宗教がどこか未分化であり続ける状況は、そう簡単
には覆らないのではないかと思われます。

というのも、翻って西欧を見れば、その特殊性(こう言ってよければですが)を
なす政教分離は、実に長い時間をかけて培われていったものだからです。かつて
のローマ帝国の遺産ともいうべき統治形態と、いわば国家宗教となったキリスト
教との緊張関係は、11世紀に対立として表面化する聖職者叙任権闘争のはるか
以前から見られるものです。そうした緊張関係の一端は、例えば、フランスの歴
史家マルク・ブロックの『奇跡をなす王たち("Les rois thaumaturges")』
(邦題:『王の奇跡−−王権の超自然的性格に関する研究』、井上泰男・渡辺昌
美訳、刀水書房)などで窺うことができます。「王には瘰癧の治癒能力がある」
という古くからの伝承が(それは政教一体だった古代からの名残です)、特にカ
ペー朝以降、国王の威信を高めるための戦略として再利用され練り上げられてい
きます。その過程を丹念に追った古典的名著が同書です。国王のそうした戦略に
対して、教会側も当然黙ってはいません。最初は迷信として一蹴するものの、や
がてそうした「霊力」が王の戴冠式での塗油によって、教会を通じて与えられる
のだというスタンスに変わっていきます。それにより教会もまたみずからの威信
を誇示しようとするわけですね。すると今度は王家の側が、そうした奇跡は教会
による塗油によるものではない、それより以前に血筋として与えられているもの
なのだ、といった主張を展開するようになり、こうして徐々に世俗の権力と教会
との溝は深まり、距離も大きくなっていくのです。国王の側はやがて、その威信
を高めるための戦略として、宮廷スペクタクルのような別の装置を用意していき
ます。

後にヨーロッパは宗教改革とそれに続く戦争という嵐を経験しますが、そこで見
られたのは、宗派間の対立が国家規模の紛争にいたるという事例でした。その際
に、宗派の対立を抑え込むことができるとして威信をさらに高めたのが国家権力
の側だったのです。当時の宗教界に対する優位性を、世俗の権力はみずからに明
確に刻印したのです。アンリ4世によるナントの勅令は、宗教的な混乱を一時的
にせよ世俗の権力が鎮めたという意味で、重要なものでしょう。そこから先は権
力の威信はますます高まり、絶対王政の時代を迎えます。そしてさらに後、市民
革命を経て、国家の宗教的な中立という概念が確立されるのでした。このよう
に、近世以降の西欧の歴史は国家が宗教を抑え込む形で展開してきたわけです
が、その出発点、あるいは底流には、世俗権力と教会との対立関係・緊張関係が
見て取れるのですね。では、そのような内部的な関係性が不在である場合に、宗
派の対立はどう抑え込むことができるのでしょうか?イラクに見られるように、
まったく異質な外部の国家が、圧倒的な軍事力を持ち込んで決着を付けることが
果たしてできるでしょうか?私たちが目の当たりにしているのは、その意味で一
つの壮大な歴史的実験なのかもしれません(もちろん、他国に介入してそういう
実験をしてよいのかどうか、というのはまた別問題ですが……)。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
第1回

前号で簡単に予告しましたが、中世ラテン語をめぐるトピックスをまとめていく
連載を始めたいと思います。フランスで出ている中世ラテン語の教科書
("Apprendre le latin medieval", Picard, 1996)を参考に、補足や雑談を加え
つつ、文法事項を中心に復習・整理をしていきたい、というのが基本的な趣旨で
すが、時には大きく脱線するかもしれません(笑)。第1回ということで、今回
はラテン語の歴史的変遷に少しだけ触れておきましょう。

「中世ラテン語」と一般に言われるものには、5世紀頃から15世紀頃までの約千
年のスパンがあります。それだけ長い期間ですから、当然時代や地域で様々な違
いが生じていますが、それでも巨視的に見ると、きわめて強靭な一体性を保って
いるように見えます。それは古典ラテン語を模範としているためでしょう。もち
ろん古典ラテン語も、紀元前3世紀のプラウトゥスのラテン語と、後1世紀のプ
リニウスのラテン語には大きな違いがあるといわれます。中世においてもっぱら
模範とされた作家には、例えば前1世紀のキケロがあり、その思想内容もキケロ
主義という形で取り込まれていきました。

古代末期の4世紀以降には、キリスト教世界に特有の語彙などが次々とラテン語
の中に形成されていきます。話し言葉として俗ラテンと称される民衆語が生じ、
各国語に分化していくのもその頃とされます。メロヴィング朝の頃になると、そ
うした俗ラテンの影響を受けて、かなりばらつきのある言葉になっていたような
のですが、シャルルマーニュ時代のいわゆるカロリンガ・ルネサンスにおいて、
古典語を模範としてラテン語の再整備・再規範化が行われます。以後、もはやど
の国の母語でもなくなったラテン語は、「学僧たちエリートの父語」として、公
式の文書語としてのみ、とはいえそうした知識階級の層では盛んに使われる言語
として、後世に伝えられていくのでした。13世紀のスコラ哲学のラテン語など
を見ると、かなり独特な語彙も入ってきていますが、それはまさに、時代の思考
様式に相応しい言語に練り上げられたものと見てよいと思います。

ラテン語を学ぶという場合、多くの人は古典語から入るのが普通だと思います
が、中世のラテン語にはまた独特の味わいや晦渋さがあります。古典語を専門と
する人は、古代末期や中世のラテン語にはあまり興味がなかったりするようです
が、逆に中世を扱うとなれば、影響関係を調べる過程でどうしても古典語の文献
にも目を通さなければなりません。そんなわけで、古典語も重要であることは間
違いありません。その意味では、古典語から入って中世語へ、という流れはそれ
ほど不自然ではないでしょう。けれども逆の、中世語から入って古典語へ、とい
う形も考えられないわけではないと思われます。ま、残念ながらそういう教科書
はほとんどないのですけれどもね……。理想的には、古典語も中世語も視野に入
れて、広義のラテン文学として鑑賞していけるなら、それに越したことはありま
せん。


------文献講読シリーズ-----------------------
ダンテ「帝政論」その15

今回は14章の途中までを見ていきます。

               # # # # # #
XIV. 1. Et quod potest fieri per unum, melius est per unum fieri quam per
plura. Quod sic declaratur: sit unum, per quod aliquid fieri potest, A, et sint
plura, per que similiter illud fieri potest, A et B; si ergo illud idem quod fit per
A et B potest fieri per A tantum, frustra ibi assummitur B, quia ex ipsius
assumptione nichil sequitur, cum prius illud idem fiebat per A solum.
2. Et cum omnis talis assumptio sit otiosa sive superflua, et omne
superfluum Deo et nature displiceat, et omne quod Deo et nature displicet
sit malum, ut manifestum est de se, sequitur non solum melius esse fieri per
unum, si fieri potest, quam fieri per plura, sed quod fieri per unum est
bonum, per plura simpliciter malum.

第14章
1. 一人がなしうることなら、複数で行うよりも一人で行う方がよい。このこと
は次のように示される。ある者Aが任意のことをなすことができるとし、また、
複数の者AとBでも、同じことができるとすると、もしAとBで行える同じことを
Aによってもなしうるのであれば、Bが加わる意味はないことになる。なぜな
ら、同じことが先にAだけでなされたら、別の者が加わったところで結果には何
も生じないからだ。
2. そうしたいっさいの付加が無為または過剰となる場合、あらゆる過剰は神や
自然の不興を買う。おのずと明らかであるように、神や自然の不興を買うものは
すべからく悪なのであるから、一人で行えるならそうする方が複数で行うよりよ
いばかりか、一人で行うのは善く、複数で行うのは単純に悪しきこととなる。

3. Preterea, res dicitur melior per esse propinquior optime; et finis habet
rationem optimi; sed fieri per unum est propinquius fini: ergo est melius. Et
quod sit propinquius patet sic: sit finis C; fieri per unum A; per plura A et B:
manifestum est quod longior est via ab A per B in C, quam ab A tantum in C.

4. Sed humanum genus potest regi per unum suppremum principem, qui est
Monarcha. Propter quod advertendum sane quod cum dicitur 'humanum
genus potest regi per unum suppremum principem', non sic intelligendum
est, ut minima iudicia cuiuscunque municipii ab illo uno immediate prodire
possint: cum etiam leges municipales quandoque deficiant et opus habeant
directivo, ut patet per Phylosophum in quinto ad Nicomacum epyikiam
commendantem.

3. さらに、事物は最良に近いほどいっそうすぐれていると言われる。そして最
良の状態となるのは目的に達する場合である。ところで一人で事をなす方が目的
には近くなるのであり、したがってその方がよりよいことになる。その方が目的
に近いことは次の点からも明らかだ。目的をCとし、Aが一人でなすか、あるい
はAとBの複数でなすとする。するとAからBを経てCに至る方が、AからCにいた
るより明らかに行程は長くなる。
4. ところで人類は、最上の単一の指導者、すなわち君主によって統治されう
る。この場合、次のことに注意が必要だ。「人類は最上の単一の指導者によって
統治されうる」と言う場合、それを、任意の市民の最少の正義がすぐさま前面に
出るというふうに理解してはならない。さらに、市民の法にも時に不備があり、
修正が必要になったりする。『ニコマコス倫理学』5巻で哲学者が公平さを求め
ているように。

5. Habent nanque nationes, regna et civitates intra se proprietates, quas
legibus differentibus regulari oportet: est enim lex regula directiva vite.
6. Aliter quippe regulari oportet Scithas qui, extra septimum clima viventes
et magnam dierum et noctium inequalitatem patientes, intolerabili quasi
algore frigoris premuntur, et aliter Garamantes qui, sub equinoctiali
habitantes et coequatam semper lucem diurnam noctis tenebris habentes,
ob estus acris nimietatem vestimentis operiri non possunt.
7. Sed sic intelligendum est: ut humanum genus secundum sua comunia,
que omnibus competunt, ab eo regatur et comuni regula gubernetur ad
pacem. Quam quidem regulam sive legem particulares principes ab eo
recipere debent, tanquam intellectus practicus ad conclusionem
operativam recipit maiorem propositionem ab intellectu speculativo, et sub
illa particularem, que proprie sua est, assummit et particulariter ad
operationem concludit.

5. 民族、王国、都市によって特徴が異なるのだから、異なる法によって統制す
ることが必要になる。すなわち、法は生活を導く規則なのである。
6. スキタイ人の統治は別様になされなくてはならない。彼らは七番目の気候の
外で暮らし、昼と夜との著しい不均衡を被っており、氷のような寒さに耐えてい
る。ガラマンテス人も別様に統治されなくてはならない。彼らは昼夜が等しい場
所に住み、昼の光と夜の闇を常に等しく被っているが、灼熱のため衣服を用いる
ことができないのだ。
7. だが、次のように理解すべきなのだ。人類は、誰もがもつ共通部分に従い、
君主により統治されて、共同体の規則に則り平和に生きることができるのであ
る。諸侯はその規則ないし法を、君主より受けなくてはならない。実践的知性
が、理念的知性からよりよい提言を受けて、遂行にいたるように、また、おのれ
に固有の特殊性のもとでそれを担い、個別の実践をもたらすように。
               # # # # # #

4節で言及されている『ニコマコス倫理学』の箇所は、5巻10章(1137b20)
です。6節に出てくるスキタイ人は、黒海から北の草原に住んでいた遊牧民です
ね。「七番目の気候」とありますが、これは今のところ出典がはっきりしませ
ん。例えばコンシュのギヨーム(およびその出典もとであるマクロビウス)など
では、気候区分は6層となっているのですが……。もう少し調べる必要がありそ
うです。また、ガラマンテス人というのは、もとはヘロドトスの『歴史』に登場
する遊牧系のベルベル人で、現在のトゥアレグ族の祖先とのことです。

今回の箇所で興味深いのは、全体的な秩序を保持するのは一者でも、末端では
個々の特徴に合わせた微調整が必要だとしているところでしょうか。個々の多様
性は尊重するという姿勢が見られるわけですが、おそらくダンテは、その亡命生
活の中で、他の場所に対するフィレンツェの特殊性というものをいやというほど
感じ取ったのでしょう。多様なものが互いの差異もそのままに共存できるには、
それらをすべて包摂する超越的な秩序保持者が必要だ、という考え方は、ローマ
帝国的な統治が念頭に置かれていることは確かですが、組織論的にも面白い部分
です。

話を大きく脱線させてしまうと、コンピュータの世界には、フリーのソフトウエ
アを作ろうという自発的運動としてオープンソースムーブメントがありますが、
もともとはボランティアがゆるい連携を形作ってソフトウエアを共同開発してい
くというボトムアップ的な活動だったそれが、最近はどうやら、組織としてトッ
プダウン型に移行しつつあるようです。プロジェクトの規模が大きくなり、裾野
が広がっていくと、製品のクオリティの面などでも制約が生じ、無秩序化を克服
するためにはトップダウン的な統制が必要になってくる、ということのようです
が、それがあまりに硬直化してくると、従来の企業型の開発方式とそれほど違わ
ないことになって、全体として失速してしまう恐れもあります。そのあたりのバ
ランスをどう取るかというのは、やはり難しい問題になっていくのではないで
しょうか。ローマ帝国の統治は現実として、やがて崩壊への道を辿っていきまし
たが、ダンテはこのあたりをどう見ているのでしょうね?このあたりの話は第二
巻の主題にも関係しますので、次回、その部分をまとめてご紹介しましょう。も
ちろん上の14章の残りも読み進めていきたいと思います。

投稿者 Masaki : 18:22