2006年02月25日

No. 75

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
silva speculationis       思索の森
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.75 2006/02/24
*本号は都合により、通常より1日繰り上げての発行です。


------新刊情報--------------------------------
注目の新刊。春に向けていろいろ読みたいところです。

『神学と科学』
瀬戸一夫著、勁草書房、2006
ISBN:4326101601 、5,880yen

時間機制の問題をめぐって著作を発表し続けている著者。その最新作は、難解と
されるアンセルムスの著作を取り上げています。アンセルムスは、以前の著書で
取り上げられていたランフランクスの後継者にあたる人物です。それだけに、そ
の時間機制の問題もさらに精緻を極めていくという感じでしょうか。アンセルム
スには、後の科学にも通じる事象と表象との分離という問題の萌芽が見られると
いい、ゆえに著者はコペルニクス的転回ならぬ、アンセルムス的転回という概念
を前面に出しています。神学の延長線上に近世以後の科学が位置づけられる……
忘れられているその根の部分を問い直しているのですね。

『ヨーロッパ思想史の中の自由』
半澤孝麿著、創文社、2006
ISBN:4423710668、3,150yen

長崎純心レクチャーズの最新刊です。このシリーズはなかなか興味深いですね。
今回は政治思想史が専門の著者による書き下ろし(講演に加筆修正したもの)だ
そうで、古代ギリシア・ローマの自由から初めて、アウグスティヌスや聖トマス
などの自由意思説とその継承について論じているようです。自由というものが問
題として改めて浮上してくる13世紀あたりの位置づけを、再確認しておきたい
ところです。

『理想の書物』
ウィリアム・モリス著、川端康雄訳、ちくま学芸文庫、2006
ISBN:4480089640、1,470yen

19世紀末にケルムスコット・プレスなる私設印刷所を設立した芸術家ウィリア
ム・モリス。その書物への愛、とりわけ中世彩色写本へのこだわりを語ったエッ
セイを集めた一冊が、待望の文庫化です。もとは1992年に晶文社から出た邦
訳。図版も多数収録で嬉しい限りです。彩色写本といえば、ケンブリッジ・トリ
ニティ・カレッジが収蔵する『黙示録』(13世紀、アングロ・ノルマン語)の
ファクシミリ版が刊行されましたね。価格がなんと79万円弱。とても個人では
購入できませんが、世界全体で980部しか刷らないうち、30部が日本版なのだ
とか。一般の図書館に入ったりするのでしょうか?機会があれば見てみたいとこ
ろです。

『イタリア異界物語』
増山暁子著、東洋書林、2006
ISBN:4-88721-700-5、2,625yen

これは中世ものではありませんが、説話紹介本のようです。イタリア北部の山岳
地帯であるドロミーティ(ドロミテ・アルプス)に伝わるさまざまな幻想譚、妖
精物語などを紹介しているようで、こういうのは貴重です。著者はアーサー王関
係の研究者のようで、そのあたりの伝説の伝播などにも触れているのではないか
と思われます。説話論というのはとても重要な部分ですね。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)

第25回:指示代名(形容)詞あれこれ

今回は指示代名詞をざっと復習しておきましょう。hic、iste、illeの3つが基本
です。活用は省略しますが、isteとilleにおいては、男性形の主格1人称複数が、
単数形の与格(男・女・中)と同じに、isti、illiになるのが特徴的です。さらに
このほか代名形容詞のidemとipseを加え、合計5つが代表的な指示詞とされま
す。

意味は、hicが話者に近いもの・話者に関するもの(「この」)を表し、isteが
対話相手に関するもの(「そのにある」「君の」)、illeが話者から遠いもの・
第三者に関するもの(「あの」「その」)を表します。isteはもとは対立する相
手に属するものを表していたのだそうで、その名残で軽蔑的に「そんな」「この
ような」の意味にも用いられます。illeは逆に称賛を表す場合もあります。
hic liber = 「この本」(私が今話題にしている本、私の近くにある本)
iste liber = 「その本」(君がもっている本、君が書いた本、例のつまんない
本)
ille liber = 「その本」(彼が話していた本、向こうにある本、例のすばらしい
本)

hicとilleは二つの名詞を受けて、後者・前者を表す場合もありますし、両者を対
置する場合もあります。hic scribit, ille legit.(一人が書いてもう一人が読む)

idemとipseはともに同一であることを示しますが、idem virというと「その同じ
男」、vir ipseというと「その男自身」となります。

中世ラテン語でもそうした区別は残っているようですが、全体的に意味の違いは
徐々になくなっていき、とくにisteがhicに、またipseがidemやilleなどに置き換
わる傾向にあるといいます。idemなどは広く、先に述べたことを指すようにな
るのですね。


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その4

さてさて、いよいよ本文です。今回は1章〜2章を見てみましょう。まずは音価
についての話が続いていきます。

# # # #
Capitulum I
Quid faciat qui se ad disciplinam musicae parat

Igitur qui nostram disciplinam petit, aliquantos cantus nostris notis
descriptos addiscat, in monochordi usu manum exerceat, hasque regulas
saepe meditetur, donec vi et natura vocum cognita ignotos ut notos cantus
suaviter canat. Sed quia voces quae huius artis prima sunt fundamenta, in
monochordo melius intuemur, quomodo eas ibidem ars naturam imitata
discrevit, primitus videamus.

第1章
音楽を学ぼうとする者がなすべきこと

この学知を追い求めようと思う者は、われわれの記譜法で記したいくつかの歌を
学び、モノコードの利用に熟達し、ここに示す規則をつねに念頭に置くことにな
る。音価とその性質とを認識して、記された未知の歌を難なく歌うことができる
までである。いずれにせよ、この技芸の第一の基本となる音はモノコードを使う
ことで最もよく理解できる。そこでまずはこの技芸がどのように、自然を模倣し
てそれぞれの音を区別しているか見ておくことにしよう。

Capitulum II
Quae vel quales sint notae vel quot

Notae autem in monochordo hae sunt: In primis ponitur [Gamma] graecum
a modernis adiunctum. Sequuntur septem alphabeti litterae graves ideoque
maioribus litteris insignitae hoc modo: .A.B.C.D.E.F.G.
Post has eaedem septem litterae acutae repetuntur, sed minoribus litteris
describuntur, in quibus tamen inter .a. et .[sqb]. aliam .b. ponimus quam
rotundam facimus, alteram vero quadravimus, ita: .a.b.[sqb].c.d.e.f.g.
Addimus his eisdem litteris, sed variis figuris tetrachordum
superacutarum, in quo .b. .[sqb]. similiter duplicamus, ita: aa. bb. [sqb]
[sqb]. cc. dd.
Hae a multis superfluae dicuntur; nos autem maluimus abundare quam
deficere. Fiunt itaque simul omnes XXI, hoc modo:
[Gamma].A.B.C.D.E.F.G.a.b.[sqb].c.d.e.f.g.aa.bb.[sqb][sqb].cc.dd.
Quarum dispositio a doctoribus aut tacita aut nimia obscuritate perplexa,
adest etiam pueris breviter ac plenissime explicata.

第2章
音にはどのようなものがあり、どのように配置され、いくつあるのか

モノコードにおける音は以下の通りである。まずは後代に追加されたギリシアの
ガンマ(Γ)を置く。次に低音を表す7つのアルファベット記号を続けるが、次
のように大文字で表す:A.B.C.D.E.F.G.
続いて、高音を表す同じ7文字を繰り返すが、今度は小文字で記す。ただしaと#
の間に丸みをつけた別のbを置く−−先行するbは四角くする:a.b.#.c.d.e.f.g.
次に再度この同じ文字を配置するが、今度は形を変えてさらに高いテトラコルド
を表す。そこでも同様にbと#も重複させる:aa.bb.##.cc.dd.
多くの人がこれらは不必要だと言う。けれども私たちは、足りないよりは多すぎ
る方がよいと考えた。こうして全部で21音が次のように並べられる。
Γ.A.B.C.D.E.F.G.a.b.#.c.d.e.f.g.aa.bb.##.cc.dd.
以上が音の配列である。世の碩学たちは黙りを通すか、過度に曖昧にして混乱を
招いているが、以下では、子どもたちのために簡潔かつ十分な説明を施した。
# # # #

2章で示されているのはあくまで音の区分の原理で、まだグイドの独自の記譜法
ではありません。『ミクロログス』の仏訳本("Micrologus", trad. M-
N.Collette et J-C.Jolivet, Cite de la musique, 1996)での注釈によると、グイ
ドによる記譜法の発明以前は、ギリシア語の有気記号(ダシア)を用いたもの、
あるいはラテンアルファベットを用いたものがあったといいます。歌に限って言
うと、9世紀後半からはネウマ記号による表記も登場していました。これは個々
の音を表すのではなく、前の音に対して後の音がどう上昇・下降するのかとい
う、いわば相対譜なのですね。

モノコード上のガンマは弦長の起点を表します。ガンマ記号が最初に使われたの
は、『音楽対話』という書物が最初なのだといいます。この書の著者はオド
(10世紀初めごろの聖職者で、クリュニー修道院の福院長をつとめた人物)だ
ともいわれているようです。テトラコルドは「四音音階」と訳されたりします
が、要するにドレミファのような連続する四音のことで、「四度を基準にする」
というのが、ギリシア以来の音楽理論だったのですね(二つ合わさればオクター
ヴ)。また、上でシャープ記号で表したのは、実際はbの下半分が四角になった
記号です。実際、シャープ記号の起源はこの四角いbなのでした(ムック『21世
紀の音楽入門』vol.4(特集:旋律、教育芸術社、2004)の玉木宏樹氏の記事な
どに、このあたりの話が記されています。ご参考までに)。

モノコード上の音の話は3章以降で詳述されます。次回はこの3章の前半を見て
いきます。お楽しみに。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は3月11日の予定です。
*melma!版では上下に広告が入ります。広告なしバージョンをご希望の方は以
下で別途ご登録ください。
------------------------------------------------------
(C) Medieviste.org(M.Shimazaki)
http://www.medieviste.org/
↑広告なしバージョンの登録・解除はこちらから
------------------------------------------------------

投稿者 Masaki : 06:59

2006年02月12日

No. 74

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
silva speculationis       思索の森
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.74 2006/02/11


------クロスオーバー-------------------------
雑感:翻訳と文化

ディミトリ・グタス『ギリシア思想とアラビア文化』(山本啓ニ訳、勁草書房)
は以前邦訳をざっと通読したことがありましたが、少し前に伊訳版("Pensiero
greco e cultura araba", Einaudi, 2002
)を手違いで入手してしまい(笑)、こ
の際だからと改めて部分的にですが読みなおしてみました。やはりこれ、とても
面白い書籍です。ギリシアの思想や学問がヨーロッパで生き残ったのは、アラビ
ア語圏での翻訳・流布があったからで、それが12世紀以降にヨーロッパに再輸
入された形になるわけですが、同書はそのアラビア世界での翻訳運動が盛んだっ
たとされるアッバース朝初期に焦点を当てて、それが具体的にどういうものだっ
たのかを考察しています。翻訳という営為そのものにも(とくにその政治性の側
面に)大きな光を投げかけている気がします。

大まかな見取り図はこうです。アッバース朝の翻訳運動というものは、もともと
は先行するササン朝ペルシャの制度や学問を取り込むために組織されたものなの
でした。ゾロアスター教に関係する思想や占星術などです。ササン朝の学問や文
化の取り込みは、体制の強化の一環として行われたようで、民族的反乱を抑える
意味もあったようです。さらに当時はシリアがギリシアと密接な結びつきにあり
ましたから、そちら経由でギリシアの学問も伝えられるようになります。最初は
シリア語を挟む形だった翻訳は、時代が下るにつれてギリシア語から直接訳され
るようになり、と同時にそのあたりから、ギリシアの学問を批判する形で独自の
アラビア思想が形作られていくのでした。たとえばガレノスなどの翻訳で知られ
医者でもあったフサインは、視覚のメカニズムについて、ガレノスともまた違う
光学論の所見を著書にまとめ、これが後にヨーロッパにおいてロジャー・ベーコ
ンなどに大きな影響を及ぼしていくのでした。

ところが、そうして学問や思想の成熟期を迎えると、逆に翻訳は徐々に廃れるよ
うになっていきます。最初はカリフが、次いで宮廷のメセナや学者自身が所望し
ていた翻訳の報酬はかなり高額なもので(そのために当時の才知が集まったとい
う側面もあるわけですが)、ひととおりの学知が広まってしまえば、需要の面で
下火になっていくのはある意味当然のことだったのかもしれません。とはいえ、
翻訳は文化的な混淆状態に寄与し、それが新たな文化の苗床の一端となったのは
間違いなく、翻訳運動が下火になって以降のアラビア文化圏は、急速に失速して
いくように見えます。その後に力をつけるのは、アラビア経由の文化をこれまた
翻訳によって「輸入」していくヨーロッパです。

文化の混淆が新たな文化の芽をはぐくむのだとすれば、「国粋化」のような状況
はやはりそういう豊かさをつぶしていく動きに重なるのでしょう。9世紀から11
世紀ごろのアラビア世界は、翻訳を通じて文化的流入が起こるという現象の、と
ても興味深い事例になっているようです。やや性急な敷衍ですが、現代世界でも
それは言えることかもしれません。日本の人文系の世界では「思想の輸入商では
仕方がない」などと言われたりもしますが、やはり多種多様なものが紹介され混
淆していくほうが、思想的・文化的な土壌としては豊かなのではないかという気
もします。そもそも学術書だからといって、狭い領域の専門家だけが読むとは限
らないわけで、その意味では、いわゆるマイナーな言語、マイナーな領域での著
作の翻訳などもさらに進んでいってほしいものです。もちろん文化的な混淆は翻
訳だけでなされるものではありませんが、少なくともアクセスを広く開放するた
めの端緒にはなるわけで、いずれにしてもそういう豊饒さへの道を、安易に閉ざ
す方向に持っていってはいけない、と改めて思います。


------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)

第24回:動形容詞

ラテン語には動名詞のほかに動形容詞もあります。形は動名詞と同じですが、受
動で、「〜されるべき」という義務や必要の意味になります。amandus(愛さ
れるべき)、legendus(読まれるべき)、audiendus(聴かれるべき)。形容詞
なので、男性形(-us)、女性形(-a)、中性形(-um)があり、格変化しま
す。

用法としては、まずsumをともなって補語として使う一般的な場合があります。
Deorum immortalitas est omnibus colenda. (神の不死性はすべての人から讃
えられなくてはならない)
Pugnandum est. (戦わなくてはならない)

直接目的語の補語に用い、意図や目的を表す場合もあります。
Pontem curat faciendum. (彼は橋を建造させた)
Praedia monachis jure perpetuo possidenda donavit. (彼は聖職者たちに、恒
久的な権利によって所有するよう、土地を与えた)

時には、意味が弱まって義務というよりも可能性を表すような場合もあります。
horrendus(恐るべき → 恐ろしい)などです。また、中世ラテン語では、動形
容詞が受動態の未来分詞・現在分詞の代用となる場合があるのですね。
in terra ponendus eris (お前は土に埋葬されるだろう)( = in terra poneris)

さらに重要な事項があります。動名詞が直接目的語を取るような場合に、動形容
詞で代用する場合があります。その場合、本来動名詞がとるべき格と機能を、本
来の直接目的語が取り、それを動形容詞が形容する形になります。この場合、義
務の意味はありません。
erat devotissimus circa pauperes sustentandos.(彼は貧者の支援にとても熱
心だった)( = erat devotissimus circa sustentandum pauperes.)
in suscipiendis peregrinis magnam habet curam. (彼は巡礼者の受け入れに
大いに尽力している)( = in suscipiendo peregrinos magnam habet
curam.)

このあたり、ラテン語のとても面白い部分の一つという感じですね。


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その3

今回は序文の全文を読んでみます。

# # # #
Incipit Prologus

Cum me et naturalis conditio et bonorum imitatio communis utilitatis
diligentem faceret, cepi inter alia musicam pueris tradere. Tandem affuit
divina gratia, et quidam eorum imitatione chordae ex nostrarum notarum
usu exercitati ante unius mensis spatium invisos et inauditos cantus ita
primo intuitu indubitanter cantabant, ut maximum plurimis spectaculum
praeberetur; quod tamen qui non potest facere, nescio qua fronte se
musicum vel cantorem audeat dicere.

Maxime itaque dolui de nostris cantoribus qui etsi centum annis in canendi
studio perseverent, numquam tamen vel minimam antiphonam per se
valent efferre, semper discentes, ut ait Apostolus, et numquam ad
scientiam veritatis pervenientes. Cupiens itaque tam utile nostrum studium
in communem utilitatem expendere, de multis musicis argumentis quae
adiutore Deo per varia tempora conquisivi, quaedam quae cantoribus
proficere credidi, quanta potui brevitate perstrinxi; quae enim de musica ad
canendum minus prosunt, aut si qua ex his quae dicuntur non valent
intelligi, nec memoratu digna iudicavi, non curans de his, si quorundam
livescat invidia, dum quorundam proficiat disciplina.

生来の資質と正しき人々の模倣から、一般の人々の役に立ちたいと思うように
なった私は、様々な活動の中で、とりわけ子どもたちに音楽を教え始めました。
神のご加護もあって、それらのうちの何人かは、われわれの記譜法を用いてモノ
コードで歌の練習をしたところ、1ヶ月もしないうちに、見たことも聴いたこと
もない歌を、初見で迷うことなく歌うことができるようになり、実に多くの人に
演奏を聴いてもたらしました。それにしてもそういうことのできない者が、どの
ような面持ちで、自分を音楽家、あるいは歌手であると言うことができるのか、
私にはわかりません。

このように、100年も歌を研究しようとも、ごくささいなアンティフォナも自分
で歌えないであろう当代の歌い手に、私は大変心痛めてきました。使徒の言う、
「つねに学んではいても、真の学知には到達できない」人々です。よって、かく
も便利な私たちの研究成果を、一般の人々の役に立つよう拡げたいと思い、神の
ご加護により何年もかけて培った音楽の諸論を、そのいくつかは歌い手のために
役立つものと信じ、できるかぎり簡潔にまとめた次第です。諸論のうち、歌にそ
れほど役立たない部分、あるいは内容的に理解しなくてもよいとされる部分は、
記載するに相応しくないと判断しました。嫉妬で蒼白になる者への配慮は念頭に
ありません。その一方でこの学知を習得する者もいるのですから。
# # # #

モノコードは皆さんご承知の通り、音階の分割などで使われる1本の弦を張った
だけのプリミティブな楽器(というか実験器具)ですね。2段落目に出てくるア
ンティフォナは本来、詩篇唱の中に挿入される「対声」といわれるものですが、
ここでは単に「歌」の意味で使われているようです。使徒への言及は、パウロに
よる「テモテへの第二の手紙」3章7節からものものです。

1段落目も2段落目も、最後に世間的な音楽家(と称する人々)への皮肉が感じ
られます。当時の楽譜というと、まだ旋律をごく大まかに示すだけだったはずで
(グイドの記譜法は横線を引いて高低を表すというシステムの嚆矢だったのです
から)、たしかにそれでは旋律の再現は至難の業だったのでしょう。金澤正剛氏
の名著『中世音楽の精神史』(講談社選書メチエ、1998)によると、9世紀後
半から12世紀初頭までの間、ヨーロッパでは様々な記譜の試みがなされてい
て、地域、年代、さらには楽譜単位でまったく違うシステムが採用されていたり
するといいます。今やほとんど解読不可能なものまであるそうです。そうした諸
家乱立の状況の中で、自分のアイデアを世に問うとなれば、当然反目や羨望にも
遭遇するのでしょう。そのあたりの事情も、この短い序文からほの見えてきま
す。

序文の次には各章の見出しがまとめられているのですが、それは割愛し、次回は
いよいよ本文に突入したいと思います。さしあたり、短い第1章と第2章をまと
めて見ていきたいと思います。お楽しみに。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は2月25日の予定です。

投稿者 Masaki : 19:50