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silva speculationis 思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.73 2006/01/28
------新刊情報--------------------------------
ひところに比べて、中世関連本はあまり出ていませんが、それでも多少は出てい
ますね。ゆっくり読みたいところです。
○『西欧中世史事典 2 皇帝と帝国』
ハンス・クルト・シュルツェ著、ミネルヴァ書房
ISBN:4623039307、3,675yen
昨今の現代思想でも問い直される「帝国」。歴史的な意味での帝国はそれとは異
なりますが、現実の帝国やそれをめぐる議論などに底通する政治的・宗教的意識
を取り出してみるなら、もしかすると昨今の問題にオーバーラップするものがあ
るかもしれません。本書は国制史の教科書として編まれたもののようですが、そ
ういう抽出作業のためのヒントになるかもしれませんね。
○『ラブレーで元気になる』
荻野アンナ著、みすず書房
ISBN:4622083140、1,365yen
「理想の教室」という若い人向けのシリーズの1冊。作家の萩野氏がラブレーを
漫談調で紹介するという趣向のようですね。ラブレーのときに下世話な笑いの先
には、世相に切り込む人間観察の眼があるわけですが、そのあたりをどう面白く
紹介しているのか気になります。そういえば、ちくま文庫の宮下訳『ガルガン
チュア』も近々第2巻が出るようですね。そちらも期待大です。
○『中世前期北西スラブ人の定住と社会』
市原宏一著、九州大学出版会
ISBN:4873788927、4,725yen
バルト海南岸のスラブ人地域をめぐる地域史だとか。紹介文によると、東欧や北
欧、さらにはドイツとの交流などについても取り上げているようです。スラブ方
面の中世を扱った書籍というのは結構貴重です。シャルルマーニュ伝などにも北
方の民の話はいろいろ出てきますし、当時の民族的布置などはなかなか面白そう
です。
○『食の歴史1』
ジャン・ルイ・フランドラン、マッシモ・モンタナーリ編、藤原書店
ISBN:4894344890、6,300yen
いきなりの期待の星です。執筆者総勢43人による食の通史だそうで、邦訳は3巻
本の予定とか。第1巻は古代・中世初期までのようです。食はとても重要なファ
クターですが、意外にあまり正面から取り上げられることが少ない分野です。昨
年秋に東京の日仏会館・日仏学院で一連の講演会やシンポジウムがあったようで
すが、この刊行と連動していたのでしょうね。ぜひ目を通してみたいと思いま
す。
------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)
第23回:動名詞
ラテン語の動名詞は、英語でいうing形とはまたちょっと違い、用法がかなり限
られています。というのも、動名詞はいわば不定法を補うもの、という扱いだか
らです。動名詞は、語幹にndをつけて作るのでした。amandum(愛するこ
と)、legendum(読むこと)、capiendum(掴むこと)などのように、対格形
を示すのが普通です。
用法は大きく4つに分かれます。(1)前置詞adに対格形を用いて、「〜するた
めに」と目的を表す、(2)名詞に属格形をつけて、「〜する〜」と名詞を補足
する、(3)動詞(与格を取る動詞)の後に与格形でつけて、動詞の補語とす
る、(4)奪格形で状況補足を表す。それぞれの例文を挙げておきます。
- legit ad discendum(彼は学ぶために読む)(1)
- tempus discendi(学ぶ時間)(2)
- studebat jejunando atque ornando(彼は断食と祈りに励んだ)(3)
- legendo doctus fies(読書をすることで、君は賢くなる)(4)
用法(4)は、redierunt dicentes psalmos(彼らは詩篇を朗唱しながら戻ってき
た)といった、分詞を用いた付帯状況の表現とは異なります。ところが中世ラテ
ン語では両者は競合するようになり、動名詞の用法(4)がその代わりに用いられ
るようになっていきます。redierunt dicendo psalmosとなっていたりするので
すね。
また、もう一つの中世ラテン語の傾向として、用例(1)も不定法と競合するよう
になり、混合が見られるといいます。本来ならvenio ad visendum(私は見に来
ます)あるいはvenio visereとなるべきところが、venio ad visere、venio
visendumのようになっていたりするようです。誤用が許容されていくという
か、規則が緩んでいくというか、中世ラテン語は古典ラテン語とはちがって、自
由度が増していく感じですね。
------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その2
前回に引き続き、献辞にあたる手紙の続きを読んいきましょう。いつもどおり、
訳出は基本的に大きく意味を取ることを主眼としていますので、言葉遣いなどあ
まり凝ったものにはなっていません。ご了承ください。
# # # #
Qua de re cum de ecclesiasticis utilitatibus ageretur exercitium musicae
artis, pro quo favente Deo non incassum desudasse me memini, vestra
iussit auctoritas proferri in publicum, ut sicut ecclesiam beatissimi Donati
episcopi et martyris, cui Deo auctore iure vicario praesidetis, mirabili
nimium schemate peregistis, ita eiusdem ministros ecclesiae honestissimo
decentissimoque quodam privilegio cunctis pene per orbem clericis
spectabiles redderetis. Et revera satis habet miraculi et optionis, cum
vestrae ecclesiae etiam pueri in modulandi studio perfectos aliorum
usquequaque locorum superent senes vestrique honoris ac meriti
perplurimum cumulabitur celsitudo, cum post priores patres tanta ac talis
ecclesiae per vos studiorum provenerit claritudo.
それゆえ、教会の便宜を図ることになった際、音楽技法の教育書を−−神のおか
げで、そのための私の労苦も無駄ではなかったと思う次第ですが−−、貴殿の権
限により、刊行するよう指示を受けたのでした。司教であり殉教者でもあった聖
ドナトゥスの教会−−神の権限の定めにより貴殿がその代理人として率いておら
れる−−を、かくも見事な計画でもって成し遂げられたように、また、その同じ
教会に仕える人々を、高き栄誉と相応の地位により、地上のほぼ全聖職者に対し
て、栄えあるものと示されたように。また、貴殿の教会の子どもたちが、音楽の
学識において、他のあらゆる分野でなら碩学の年長者を凌いでいることは、奇跡
的な選別の十分な証しでありましょうし、初期教父の後に、貴殿のご配慮によ
り、教会からかくも多くの、またかような名声が生まれるならば、貴殿の栄誉と
功績の崇高さはいやがうえにも高まるでしょう。
Itaque quia vestro tam commodo praecepto nec volui contraire nec valui,
offero sollertissimae paternitati vestrae musicae artis regulas, quanto
lucidius et brevius potui explicatas philosophorum, neque eadem via ad
plenum neque eisdem insistendo vestigiis, id solum procurans quod
ecclesiasticae opportunitati nostrisque subveniat parvulis. Ideo enim hoc
studium hactenus latuit occultatum, quia cum revera esset arduum, non
est a quolibet humiliter explanatum. Quod qua occasione olim aggressus
sim quave utilitate et intentione perpaucis absolvam.
このようなわけで、私には貴殿の適切なるご指示に反するつもりも、その力もあ
りませんので、賢慮ある父であらせられます貴殿に、哲学者たちの音楽技法の規
則の説明を、あたう限り明確かつ端的に開示する次第です。ただし、彼らとまっ
たく同じ道、同じ足跡をたどるのではなく、われらが教会、そして子どもたちの
便宜にかなうことのみ取り上げます。この学識がこれまで秘められたものであっ
たのは、それが難しいものであったこともありますが、誰からも簡便には説明さ
れてこなかったからなのです。かつて私がいかなる機会に、いかなる便宜と意図
でもってそうしようと努めたかを、以下にわずかながら記しましょう。
# # # #
聖ドナトゥスというのは、アレッツォ市の守護聖人です。祝日は8月7日。ヤコ
ブス・デ・ヴォラギネの『黄金伝説』にこの聖人の話が出ています。それによる
とドナトゥスは、後の皇帝ユリアヌス(背教者ユリアヌス)とともに育ったもの
の、後に父母をそのユリアヌスに殺害されてしまい、自分は助祭となってアレッ
ツォに逃れ、そこで奇跡の数々を行うようになるといいます。後にはテオドシウ
ス帝の娘を助けたりするのですね。ゴート族が攻め入って荒廃したイタリアにお
いて、聖ドナトゥスは牢獄に入れられ、斬首されてしまいます。
グイドの献辞では、献辞の宛先であるテオダルド司教が、その聖ドナトゥスの名
を冠した教会を統括していたように書かれています、現在アレッツォには「サ
ン・ドナート大聖堂」という聖堂があるようですが、これは13世紀着工で16世
紀に完成したものなのだそうで、これではなさそうですね。献辞によれば、グイ
ドはすでに子どもたち(聖歌隊)の音楽教育を担当しており、その成果に相当な
自信をもっていたことが窺えます。また、11世紀当時、よそでは音楽教育があ
まり盛んではなかったらしいこともほのめかされています。そういえば前回読ん
だ冒頭の5行詩も、古来の音楽技法がいったん廃れたことを嘆くようなトーンで
書かれていました。もちろんこれはレトリックの可能性がありますが、そのあた
りの実情についても、これから順次追っていきたいと思います。
次回はいよいよ序文です。どうぞお楽しみに。
*本マガジンは隔週の発行です。次回は2月11日の予定です。
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.72 2006/01/14
本年もよろしくお願いします。
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「melma!」では1月半ばより(本メルマガは次回から)強制的に広告のヘッダ
とフッタが付くことになったようです。個人的にはメルマガに広告が入るのはあ
まり好きではありませんし、そう思う読者の方もいらっしゃるのではないかと思
います。そのため、「melma!」とは別に、広告なしバージョンを別の発行シス
テム(lolipop)から出すことにいたしました。広告なしを希望する方は、お手数
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------クロスオーバー-------------------------
翻訳の彩
翻訳というのはある意味で罪な営為でもあります。言語をまたぐがゆえに、当然
ながらどうしても取りこぼしが生じてしまいます。時にはそれが、後々の大きな
誤解や解釈の飛躍につながっていくこともあり得ます。そのあたりの力学には実
に興味深いものがあります。中世で言えば、そうした事例の一つは、なんといっ
てもアリストテレス思想の受容ですね。ボエティウスによる一部著作のラテン語
訳の後、アラビア経由で13世紀に再流入するアリストテレス思想には、二重三
重のフィルタがかかっていて、そこから様々な思想的「豊かさ」や諸問題が生み
出されていくのでした。
昨年秋に邦訳出版されたトマス・アクィナス『君主の統治について−−謹んでキ
プロス王に捧げる』(柴田平三郎訳、慶應義塾大学出版会)は、後半に詳細な訳
者解説がついています。理想の君主像を描く「君主の鑑」の伝統から説き起こ
し、ソールズベリーのジョンによる『ポリクラティクス』の革新性について述
べ、そこからトマス・アクィナスの表題作へと接近していきます。トマスの政治
思想となれば、やはり当然のように出てくるのはアリストテレスの政治論です。
アリストテレスの『政治学』がムールベケのグイレルムスによって訳されるのが
1260年ごろで、トマスが『君主の統治について』("De regno")を執筆するの
はそれより後の1267年頃とされているようです。
この解説でとりわけ興味深いのは、アリストテレスが人間を評して語った「政治
的動物(politikon zo_on)」を、トマスが「社会的・政治的動物(animal
sociale et politicum)」と言い換えていることをめぐる議論です。トマスがあ
えてそういう語り方をしたのには、ある種の「仕掛け」が施されているといいま
す。当時の翻訳はギリシア語原典の語順通りに逐語訳するのが普通で、ラテン語
にはない文法や表現のために、様々な齟齬が生じていたといいます。「政治的動
物」のグイレルムスの訳はanimal civileなのだそうですが、グイレルムスの訳に
はアリストテレスが念頭においているpolis概念(市民権をもつ市民の組織や政
治行動)は反映されていないといいます。トマスがあえて自分で訳語を作り直し
て解釈したのは、アリストテレスの異教的なにおいをどうにかキリスト教の教義
に包摂しようとした腐心の表れではないか、とこの訳者解説は述べています。
「政治的」動物とだけ言ってしまえば、キリスト教が堕罪の結果とみなす「人間
による人間の支配」でしかなくなるところを、「社会的」という原罪以前の状態
をも指す言葉を補うことによって、巧みに人間本来の自然なあり方としての「政
治」を掬い上げている(伝統的教義と矛盾しない形で)というわけなのですね。
このように、翻訳の問題とその時代状況の中での解釈の力学は、とても中世文献
を読んでいく上で刺激的・魅力的なテーマをなしています。上のトマスの訳語変
更の解釈はそのケーススタディとしてとても魅力的ですね。こうした問題はまだ
まだたくさんありそうで、少しそのあたり、詳しく探ってみたいと考える今日こ
の頃です。
------中世の古典語探訪「ラテン語編」------
(Based on "Apprendre le latin medieval", Picard, 1996-99)
第22回:不定法その2
前回に引き続き不定法の復習です。今回は古典ラテン語で頻出する不定法句につ
いてさらっておきましょう。不定法句というのは、一文をそっくり補語として用
いるためのいわば変換操作のようなものです。とくに知覚や認識を表す動詞とと
もに用いる用法が代表的です。次のようなものですね。
- Scio vitam esse brevem. (私は人生は短いことを知っている)
この文では、vita est brevis(人生は短い)という一文が不定法に変換され、そ
の不定法の意味上の主語であるvitaが、本動詞(主文の動詞)scioの目的語と
なって対格をとり、それに合わせて意味上の主語の補語brevisも対格になってい
ます。古典ラテン語の一大特徴とされるこうした不定詞句ですが、中世ではむし
ろ従属接続詞などを用いて直説法で表すことが多くなります。この例文ならば、
Scio quod vita est brevisという形になったりします。
不定法には時制があり、その使い分けは以下のようになります(本動詞の時制と
一致は必要ないのですね)
- Scio victoriam difficilem esse. (私は勝利は難しいことを知っている)
- Scio victoriam difficilem fuisse. (私は勝利が難しかったことを知っている)
- Scio victoriam difficilem futuram esse. (私は勝利が難しいだろうというこ
とを知っている)
とはいえこれらの区別は、実は中世以降は乱れてきます。不定法過去にすべきと
ころが不定法現在になったりします。ちょうど現代のフランス語の口語などで、
過去を表すのに現在形が多用されるのに似ています。
意味上の主語が代名詞になるときには、ちょっと注意が必要で、基本的にはその
代名詞が本動詞の主語と一致するなら再帰代名詞が用いられます。次の二つの区
別です。
- Credit se esse laetum. (彼は自分が幸福だと思う)
- Credit eum esse laetum.(彼はその人(第三者)が幸福だと思う)
また所有代名詞の場合には、本動詞の主語を受けるのか、それとも不定詞句の意
味上の主語を受けるのかを区別しなくてはなりません。
- Credit parentes suos esse laetos. (彼は、自分の両親は幸福だと思う)→
suosは本動詞の主語を受ける
- Jussit milites virtutem suam ostendere. (彼は、兵士たちが自分たちの勇気
を見せるよう命じた)→ suamは不定法の意味上の主語militesを受ける
前にもちょっと取り上げたように、この代名詞と再帰代名詞の区分は中世ではだ
いぶ崩れているので、これまた注意が必要になります。
------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その1
今回から中世の音楽論『ミクロログス』を読んでいきたいと思います。一応通読
を予定しているので、1年以上かかりそうですが、古代から中世までの音楽論の
流れも押さえながら、ゆっくりと読んでいきたいと思っています。「ドレミ」の
誕生に遭遇しましょう。テキストはhttp://www.music.indiana.edu/tml/9th-
11th/GUIMICR_TEXT.htmlのものを利用します。
まず最初に5行詩があり、次に献辞として手紙がついています。それから序文が
あって本文が続きます。本文は20章まであります。今回は5行詩と、手紙の前半
部分を見てみましょう。
# # # #
Gymnasio musas placuit revocare solutas,
Ut pateant parvis habitae vix hactenus altis,
Invidiae telum perimat dilectio caecum;
Dira quidem pestis tulit omnia commoda terris,
Ordine me scripsi primo qui carmina finxi.
学校に、そこを離れたムーサたちを呼び戻したい。
これまでほとんど上位の者にしか示されなかったものが、低き者にも示されるよ
うに。
羨望という盲目の矢が愛によって滅ぶように。
災いの徴候によって地上のすべての幸福は奪い去れたのだから。
この詩を作る各行の最初に、わが名を記した。
Divini timoris totiusque prudentiae fulgore clarissimo, dulcissimo Patri et
reverendissimo Domino Theodaldo Sacerdotum ac praesulum dignissimo,
Guido suorum monachorum utinam minimus, quidquid servus et filius.
Dum solitariae vitae saltem modicam exsequi cupio quantitatem, vestrae
benignitatis dignatio ad sacri verbi studium meam sibi sociari voluit
parvitatem. Non quod vestrae desint excellentiae multi et maximi spiritales
viri, et virtutum effectibus abundantissime roborati et sapientiae studiis
plenissime adornati, qui et commissam plebem una vobiscum competenter
erudiant, et divinae contemplationi assidue et ferventer inhaereant: sed ut
meae parvitatis et mentis et corporis imbecillitas miserata vestrae pietatis
et paternitatis fulciatur munita praesidio, ut si quid mihi divinitus utilitatis
accesserit, vestro Deus imputet merito.
グイドからテオダルド司教への手紙
神への畏怖とあらゆる聡明さでこの上なき輝きを誇り、この上なく優しき父であ
り、この上なく敬愛するわれらが司祭、テオダルド司教へ、いとも卑しき学僧で
あり、いかようにせよ僕であり子であるグイドより。
せめてわずかでも孤高の生活を送りたいと願っている身ではありますが、尊い貴
殿のご厚意により、矮小なるこの身を聖句の研究へと加えさせていただきまし
た。貴殿のもとでは、数々の優れた知性をもった人々に事欠きません。その方々
が体現する徳はこの上なく豊かに高められ、賢慮の探求は十全に進められていま
す。その方々は貴殿のもとに集まる民を巧みに教え、神の瞑想を熱烈に実践して
います。とはいえ、矮小なるわが身には、その心と体の弱さに貴殿の父なる哀れ
みの情が支えと保護になりますよう、また神の采配によってわが身がなんらかの
有用性に与れるのなら、神がそのことを貴殿の功績となさいますように。
# # # #
訳文には盛り込めませんでしたが、5行詩の冒頭のアルファベットがそれぞれ
G、U、I、D、Oとなっています。縦に読めば「グイド」になるのですね。5行目
にある「この詩を作る各行の最初に、わが名を記した」というのはそのことを指
しています。古代の叡智が荒廃したことを嘆く感じの5行詩ですが、このあたり
は世相批判というよりは、多分にレトリック的であると考えておいた方がよいか
もしれません。
今回は初回ですので、グイド・ダレッツォその人についてごく簡単に紹介してお
きましょう。ラテン語表記ではGuido Aretinusと記します。生まれは990年頃、
没年は1050頃といわれています。もともとはフェラーラ(北イタリア)近くの
ポンポーザのベネディクト会士で、1025年ごろからアレッツォで、上の手紙の
相手であるテオダルド司教の庇護を受け、子どもたちの音楽教育を担当するよう
になります。聖歌隊を指導していたのですね。『ミクロログス』は1028年頃に
書かれたようです。著作にはこのほか、『アンテフィフォナ入門』『リズムの規
則』などがあります。『ミクロログス』は中世を通じて人気を博し、16世紀ご
ろまで盛んに写本が作られたといいます。
そういえば余談ですが、2003年のNHKのテレビのイタリア語講座で、講師のダ
リオ・ポニッスィ氏がグイドの役を演じて、その脇でリュート奏者の永田平八氏
がリュートを弾いている、というミニ・スキット(?)がありました。偶然見た
のですけれど、放映されたその様子が、永田氏のブログに写真入りで掲載されて
います(http://blog.goo.ne.jp/lute21jp/m/200507)。これはなかなか楽し
いですね。グイドはイタリアでは、音楽的英雄の一人という扱いなのでしょう。
次回は手紙の後半部分を読みたいと思います。お楽しみに。
*本マガジンは隔週の発行です。次回は1月28日の予定です。