2006年10月24日

No. 90

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.90 2006/10/21
*今回も都合により、やや短縮版でお届けします。

------短期連載シリーズ------------------------
タンピエの禁令とその周辺:アラン・ド・リベラ本から(その4)

前回は、アルベルトゥスは哲学と神学とを別個のものとして扱っていたという話
を、アラン・ド・リベラの『理性と信仰』第2章から汲み取ってみましたが、そ
うなると、ヘルメス思想・錬金術・占星術などをアルベルトゥスがどう捉えてい
たのかも気になります。なにしろ後世になるとアルベルトゥスは、そうした錬金
術方面の知識の側面が大きく取り扱われていくからです。このいわば「伝説化」
の過程はなかなか興味深いもので、実際にその問題を扱った論考も少なからずあ
るようですが、アルベルトゥス当人が、同時代の錬金術、占星術などをどう捉え
ていたか、という研究は意外に少ないように見えます。前回少し触れた81年の
シンポジウムの論集には、ジョルジュ・アナヴァーティ「アルベルトゥス・マグ
ヌスと錬金術」というタイトルの論考が収録されていますが、基本的に、アルベ
ルトゥスの著作の中から錬金術関係のものをまとめ、先行研究を通じて『鉱物
論』のエッセンスを紹介しているだけで、一種の予備的作業にのみとどまってい
ます。

リベラの『理性と信仰』第3章では、ヘルメス思想、とくに占星術に関係した運
命論に関するアルベルトゥスの見方を中心に、その視座が論及されています。そ
れによると、アルベルトゥスはアプレイウスをよく読んでいたといい、エイマル
メネー(ギリシア語の「運命」)をめぐるプラトン主義的な教説にはかなり通じ
ていたようですが、逍遙学派として「運命」について考察したアフロディシアス
のアレクサンドロスの著書には接する機会がなく、運命論に関するアルベルトゥ
スの見識は、あくまでアプレイウス、カルキディウス、ネメシウスなど、中期プ
ラトン主義寄りのものにのみ立脚していて、いわばかなり断片的なものだったと
されています。アルベルトゥスのヘルメス思想には、かなりの空隙があった、と
いうわけですね。このあたり、文献学的な言及を交えながら、リベラはアレクサ
ンドロスの『運命論』を少し詳しく検討してみせます。その上で、アルベルトゥ
スの考え方との対比を試みています。というのも、その運命というタームは、ア
ルベルトゥスの生涯につきまとう大きな問題でもあったらしいからです。

世界がすべて神の意思のもとにある、というテーゼだけであれば話は簡単だった
でしょう。ですが13世紀は、非キリスト教圏の異質な科学の流入によって、信
仰をとりまく環境が揺さぶられた時代でもありました。当然、なにがしかの折衷
案的な考え方も出てきます。神の意思(構想)は直接的だがその管理(実現)は
間接的になされる、という立場(トマス・アクィナス)もその一つです。この場
合、運命(fatum)はその管理の側に関係します。ですが教会の論理では、神の
管理(神意の実現)を運命というタームで語ることはできません。一方、哲学
(アリストテレス思想圏、新プラトン主義思想圏)の考え方では、第一原因から
の発出という議論において、質料がその実現に影響を及ぼすことがありうるとさ
れます。トマスの立場などは中道的な折衷案という感じがしますが、ブラバント
のシゲルスなどは、偶有の問題をめぐり、哲学寄りの発言をするのですね。です
が、ここでリベラは、1277年のタンピエの禁令が攻撃しているのは、哲学の考
え方そのものではなく、哲学の描く世界が、教会の説く神意の世界と「同時に」
「二重」にありうるとする主張なのだ、と分析しています。二重真理説ですね
(もっとも、シゲルスにおいてすら、そのような主張は実際には見つからず、結
局は教会側の一種の捏造なのだ、という話になるのですけれど)。

アルベルトゥスの場合はというと、世界の決定論が人間の意思にまで及んでいる
という考え方に、神意と運命という考え方を対置しているといいます(『15の
問題』)。『フィシカ』においては、ヘルメス・トリスメギストスやアプレイウ
スに準拠しつつ、運命の存在そのものを排除する必要はなく、運命は決定論では
ない、ということを述べているようです。リベラはここでもまた、アルベルトゥ
スが神学と哲学の領域を別個のものとして共存させようとしていた、という読み
を裏付けようとします。同時に、教会の側が、そうした共存を二重性として排除
しようとしていたことを改めて浮かび上がらせようともしています。ややねじれ
た感じの対立の構図です。この構図そのものの評価は、さしあたり今は保留とし
ておきますが、いずれにしてもリベラの主眼は、そこから先、アルベルトゥス
が、浮かび上がった対立の構図にどう対応していくのか、という点に移っていき
ます。
(続く)


------文献講読シリーズ-----------------------
グイド・ダレッツォ『ミクロログス』その17

今回は15章です。この章はちょっと長めなので、3回ほどにわけて見ていきま
しょう。内容的には歌をどう作るか、という話です。

# # # #
Capitulum XV
De commoda vel componenda modulatione

Igitur quemadmodum in metris sunt litterae et syllabae, partes et pedes
ac versus, ita in harmonia sunt phtongi, id est soni, quorum unus, duo vel
tres aptantur in syllabas; ipsaeque solae vel duplicatae neumam, id est
partem constituunt cantilenae; et pars una vel plures distinctionem
faciunt, id est congruum respirationis locum. De quibus illud est notandum
quod tota pars compresse et notanda et exprimenda est, syllaba vero
compressius.
Tenor vero, id est mora ultimae vocis, qui in syllaba quantuluscumque
est, amplior in parte, diutissimus vero in distinctione, signum in his
divisionis existit. Sicque opus est ut quasi metricis pedibus cantilena
plaudatur, et aliae voces ab aliis morulam duplo longiorem vel duplo
breviorem, aut tremulam habeant, id est varium tenorem, quem longum
aliquotiens apposita litterae virgula plana significat. Ac summopere
caveatur talis neumarum distributio, ut cum neumae tum eiusdem soni
repercussione, tum duorum aut plurium connexione fiant, semper tamen
aut in numero vocum aut in ratione tenorum neumae alterutrum
conferantur, atque respondeant nunc aequae aequis, nunc duplae vel
triplae simplicibus, atque alias collatione sesquialtera vel sesquitertia.

[CSM4:166; text: I, II, III, IV, VIII, IX, Diapason, Diapente, Diatessaron,
Tonus, Dupla, Sesquialtera, Sesquitertia, Sesquioctava]
http://www.chmtl.indiana.edu/tml/9th-11th/GUIMICR_02GF.gif

第15章
優れた旋律、または作曲法について

 このように、詩の場合に、字句、音節、品詞、韻脚、詩句などがあるように、
音楽にはフトング、すなわち音があり、1音、2音、3音で音節が作られる。その
1音節もしくは2音節が、ネウマ、すなわち歌の部分をなす。またその1つないし
複数の部分がフレーズ、つまり呼気によって区切られる一区画をなす。これに関
して次のことを指摘しておく。部分はひとかたまりに記し、また表現しなくては
らない。音節についてはさらにそうでなくてはならない。
 テヌート、すなわち最後の音の引き伸ばしは、音節においてはごくわずかなも
のとし、部分においてはより大きく、フレーズにおいては最も長くする。これは
本節では分割記号によって示す。韻脚の場合のように、歌も拍子を取らなくては
ならない。他の二倍の長さの音、半分の長さの音、震える音などの区別があり、
これがテヌートの種類となり、ときおり、文字に添える水平な記号の長さで示し
たりする。ネウマの配置には最大限の注意が必要だ。ときには同じ音の反響で、
ときには2つ以上の音の結合で、とはいえつねに音の数ないしテヌートの長さに
おいて、ともに適合しなければならない。1音には1音を、あるいは2音ないし3
音を、または一倍半ないし3分の4の比で対応させる。

(図)

Proponatque sibi musicus quibus ex his divisionibus incedentem faciat
cantum, sicut metricus quibus pedibus faciat versum, nisi quod musicus
non se tanta legis necessitate constringat, quia in omnibus se haec ars in
vocum dispositione rationabili varietate permutat. Quam rationabilitatem
etsi saepe non comprehendamus, rationabile tamen creditur id quo mens,
in qua est ratio, delectatur. Sed haec et huiusmodi melius colloquendo
quam vix scribendo monstrantur.

 音楽家は、これらの区分のどれを用いて歌の進行を作っていくかを決める。
ちょうど詩人が、どの脚で詩を作ろうか決めるように。ただし音楽家の場合は、
詩人ほど厳密な規則に縛られることはない。というのも、音楽の場合、あらゆる
点において、音の配置に合理的な変更を加えていけるからだ。たとえ私たちがつ
ねに合理性を理解するとは限らないにせよ、理性がある場所とされる心を楽しま
せるものはすべて合理的であると考えてよい。けれども、こうした種類の話は、
書でかろうじて行うよりも、口頭で行うほうがはるかによく示すことができる。
# # # #

最初の段落に出てくるphtongは、人の声や明確な音といった意味を表すギリシ
ア語phthongosのラテン語表記です。neumaもここでは、ひとかたまりの音の
意味のようです。単音以上、フレーズ未満の単位というのはちょっとわかりにく
いのですが、複数の音からなる音形ということでしょうか。tenorはここではそ
の本来の意味(継続、連続的進行)で、音楽用語としてはテヌートに相当しま
す。

前号の「クロスオーバー」のところで触れたペロティヌスのDVDで、ある音楽学
者は、12世紀に登場した新しい思考様式の一つに、細かく分割しモジュール化
したものを、組合せを変えながら用いるという構築方法があると述べています。
それは当時のゴシック建築から音楽まで、文化を貫くかたちで浸透していった、
という話です。このテキストに見られるのも、確かにそうした細分化と、諸要素
の組合せという発想法です。でも、これが本当に12世紀に「登場」したものな
のかどうか、あるいはそれを建築術などへ敷衍してよいものなのかどうかなど、
若干の疑問も残ります。確かにこのテキストの場合には、詩句の音韻が比較とし
て取り上げられていることから、古来からの詩法が、そうした細分化と組合せの
発想のもとにあったのかもしれない、などと思ってしまいます。ですが、となる
と、詩法の伝統が当時どう保存され伝えられていたかとか、詩法がほかの文化的
要素に同種の影響を及ぼした例があるかとか、いろいろと検証すべきことが出て
きます。

12世紀の特徴ということで言うなら、3つめの段落に見られる音楽家の自由につ
いての言及や、口承をより重視するグイドの姿勢なども、ある意味で12世紀人
らしい特徴かもしれません(あるいはそうではないかもしれませんが)。いずれ
にしても、そうした検証を促すテキストとして、この箇所はなかなか興味深いも
のがあります。


*本マガジンは隔週の発行です。次回は11月04日の予定です。

投稿者 Masaki : 01:38

2006年10月09日

No. 89

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.89 2006/10/07
*都合により今号は短縮版とし、「文献講読シリーズ」はお休みといたします。
ご了承ください。


------クロスオーバー-------------------------
ペロティヌスの時代 〜映像作品の喚起力

12世紀頃、パリのノートルダム寺院で活躍したとされる作曲家の一人に、ペロ
ティヌス(ペロタン)という人物がいます。どうやら具体的な生年や没年もわ
かっていない人物のようなのですが、この人物をめぐる思弁的ドキュメンタリー
とでも言うべき映像作品がDVDで出ています。『神のごとき接吻−−同時代人と
してのプロティヌス』("The Kiss of a Divine Nature", Art Haus Musik,
2005)
というのがそれで、監督はウーリ・アウミューラーというドイツの映像
作家です。日本でも人気の高い古楽系の声楽演奏家集団ヒリヤード・アンサンブ
ルが参加し、端正な演奏を聴かせてくれます。このドキュメンタリーは、ペロ
ティヌスの歌の演奏、学者同士の議論、上演プロジェクトの演出という三種類の
場面が交錯し、中世の思想的な世界へと誘います。このうちとりわけ重要な位置
を占めるのが、音楽学者らによる討論で、12世紀の時代状況・思想状況がどの
ようなものだったのかをめぐり熱い議論が戦わされます(多少、かみ合っていな
かったりもするのですけどね)。

この映像作品の軸となる問題の一つは、ペロティヌスの音楽に見られる時間的構
造化(計量化)が、当時の時間意識を反映したものだったのではないかという
テーゼです。1200年前後には機械仕掛けの時計が発明されたともいい、またア
リストテレスの運動を基礎とする時間論の普及もあり、かくして時間は当時、季
節のように単に移り変わるものから、計測可能なもの、クロックワークとして制
御可能なものへと変化したのではなかったか、というわけです。さらに、そこか
ら敷衍する形で、ペロティヌスの4声からなる音楽、定旋律と対旋律との兼ね合
い、動きの様式などは、一種の「モジュール化」として捉えることができるとい
う議論もあります。これもまた計量化が導いた変化だというわけです。すると今
度はそれが、当時のゴシック建築などに見られる部品の積み上げという手法など
とも呼応するのではないか、そうして音楽がまさに時代的な大きな潮流の反映、
精神の変容の反映と見なしうるのではないか、という話になっていきます。なか
なかダイナミックな話ですね。

もちろん、こうした議論を専門的に展開するなら、細かな素材と証拠を慎重に積
み上げなくてはならないでしょう。ですがそこは映像作品ならではの縮約された
ドキュメンタリーだけに、学者たちの議論は断片的にしか描かれず、当然ながら
そうしたテーゼの信憑性や説得力を詳細に吟味するには至りません。とはいえ、
代わりにそこから浮かび上がるのは、文化横断的な視点の広がり、時代全体の大
まかな把握のための一種の見取り図です。なるほど、こうしたメディア論的な議
論を中世のような遠い歴史区分に持ち込むことには抵抗のある人も多いでしょ
う。ときにそういう議論は、あまりに「文学的」だと批判されたりもします。で
すが、少なくとも共時的・通時的な理解の幅を広げる、あるいは文化事象が置か
れるコンテキストを総合的に理解する、という意味では、時にそうした「短絡」
も、重要な議論、有益な議論になりうるのではないか、と思われるのです。

作品のもう一つの主軸は、12世紀当時のマリア信仰をめぐる議論です。中世の
マリア図像には、受胎告知が天からの光線によるもののごとくに描かれているも
のが散見されるといい、そうした光を媒介するものとしてのマリアという思想
が、ひょっとすると、たとえば当時の教会建築にも大きな影響を与えている可能
性がある、という議論が展開します。ゴシック建築の嚆矢とされるパリのサン・
ドニ大聖堂は、修道院長シュジェ(シュジェール)が光を多く取り込む設計をな
したことで有名ですが、そうした流れを下支えしたのが、聖母マリアの図像学的
な光をめぐる思弁だったのではないか、かくしてカテドラルは、巨大な光のスペ
クタクルの舞台空間として演出されるようになったのではないか、というこれま
た刺激的なテーゼです。この議論も、多少のアナロジー的な飛躍も感じられるの
ですが、ひょっとしたらそういう思想潮流といったものは本当にあったのかも、
と考えてみるのは興味深いことのように思えます。

音楽と教会建築、そして当時のマリア信仰、時間概念の変化、文化変容などの合
流点としてのペロティヌス。これは綿密な議論としてはともかく、このような映
像作品ならではの詩的な喚起力でもって描き出すにふさわしいテーマかもしれま
せん。このように学術的議論と詩とを組み合わせた映像というのは、過去の歴史
へのアプローチとして、もしかすると独特な有用性、独特なスタンスを持ちうる
かもしれません。もちろん、そうした映像の喚起力が、イデオロギー的な横滑り
を起こしたりしない限りにおいて、の話ではあるのですが。


------短期連載シリーズ------------------------
タンピエの禁令とその周辺:アラン・ド・リベラ本から(その3)

タンピエの禁令で一番の問題とされたのは、いわゆる「二重真理説」でした。こ
れはつまり、神学的な真理と哲学的な真理とが別のものとしてある、という議論
なのですが、アラン・ド・リベラは以前から、そうした二重真理説は教会側、つ
まりタンピエの側による一種の捏造であると主張し、議論の種になってきました
『中世の思想』、1991)。確かに、ダキアのボエティウスなど、急進的アリ
ストテレス主義とされる論客には、神学と哲学の適合性の議論はあっても、二重
真理説というような分離思想はなく、タンピエの捏造という説は一応定説となっ
た感もあります。とはいえ、前回も少し触れたように、『理性と信仰』でのリベ
ラは、神学と哲学の分離と、前者による後者の支配が今なお綿々と教会思想の中
に生き続けていることを批判すべく、分離の大元とされるところにまで遡及しよ
うとします。

そこで登場するのがアルベルトゥス・マグヌスなのでした。なにしろアルベル
トゥスは、その万物博士という呼称からも示唆されるように、当時の学知をいわ
ば総なめにした人物だったからです。ではアルベルトゥスは、神学と哲学をどの
ように捉えていたのでしょうか。リベラによれば、アルベルトゥスの主眼は、当
時西洋に流入していたアリストテレス思想の問題を適切に説明づけることにあっ
たといいます。したがってそこには、哲学を神学に従属させようといった構えは
まったくなく、両者をあくまで別領域として共存させることをアルベルトゥスは
目していた、というのがリベラの眼目なのですね。

ここで哲学と言われるものは、神学以外の真理探究の学知を指しているわけで、
確かに神学の側からすると、それが独自なものとしてあるということになれば、
ゆゆしき問題ということになりそうです。アルベルトゥスの立場もある意味微妙
ではあり、いわば当時の「アヴェロエス主義」の刺激剤になったと見なすことも
できます。実際にアルベルトゥスは、レシヌのジルという人物からの質問状を受
けています(タンピエの1270年の命題13ヵ条を含む、15条の命題)。これに
対しアルベルトゥスは『15の問題』と題する小論を記して応戦するのですが、
そこではむしろ、「パリ学派」を詭弁を弄しているというとして実質的に批判し
たりしているといいます。タンピエの禁令にいたる1270年代当時、アルベル
トゥスはすでに大学の職からは退いていました。そのため、禁令の対象にならず
に済んだわけですが、思想内容としても、パリ学派とは開きがあったようです。
また、リベラによれば、アルベルトゥスは少し後のブラバントのシゲルスなどよ
りも、哲学の独立性について確信を抱いていたともいいます。

リベラの読みはどう評価すればよいのでしょう?これはアルベルトゥスのテキス
トに直接当たって検証する以外にないので、とりあえず保留としておきますが、
一言だけ触れると、少し古いですが、たとえばラルフ・マッキナニーという研究
者の論文(1981年刊行のシンポジウムのアクト)などを見ても、アルベルトゥ
スが哲学と神学を対象の違いから明確に区別していたという説明がなされていま
す。ただ気をつけなくてはならないのは、リベラの場合には、時にやや性急もし
くは力業的に議論を展開する場合があるように思えなくもない点です。たとえば
上の『中世の思想』では、タンピエによる二重真理説の捏造に関連して、教会側
にとっての遠方の脅威としてマイモニデス思想があったのではないか、というこ
とがページを割いて論じられています。マイモニデスは中世思想において初めて
哲学と神学の齟齬を問題にした人物とされ、その議論はダキアのボエティウスよ
りはるかに急進的だったといいます。ですが、タンピエの禁令の文脈において、
マイモニデス思想が間接的な標的であったというのは、あくまで当時伝わってい
たマイモニデスの思想内容から推察されるというだけで、状況証拠による推論で
しかありません。このあたりも、マイモニデス思想の普及状況や影響関係などを
もっと詳細に見ていく必要があるように思えます。特に細かな検証を要する部分
については、読み手としての私たちも、多少とも慎重に構えた方が良さそうな気
がします。
(続く)


*本マガジンは隔週の発行です。次回は10月21日の予定です。

投稿者 Masaki : 22:14