2004年07月26日

ウルス

再び<東京の夏>音楽祭。今回はイスラム神秘主義の聖者の命日祭「ウルス」を観に行く(25日)。宗教儀式の再現ということだが、仏教やキリスト教のようなひたすら厳かな儀式を想像していると、よい意味で裏切られる。ここにあるのははるかにダイナミックな世界。なによりもまず太鼓のビートが素晴らしい。これに楽団員らの柏手が加わり、座を盛り上げる。歌われる旋律も晴れやかなメジャー系のコード進行の繰り返し。アップテンポで疾走する。いやあ、ノレるじゃないの。なんだか時間がすごく速く経つような感覚。ステージ対観客という配置じゃなかったら、確かに一種のトランス的な世界に入っていくのかもね。世界はまだまだ知らない音に溢れているって感じ。それが民族音楽の面白さだったりするんだけど(笑)。

今回の公演はパキスタンのスーフィズムの儀礼とのこと。井筒俊彦『イスラーム文化』(岩波文庫)によれば、スーフィズムはスンニ派の共同体指向に対して内面指向という意味でシーア派寄りながら(今回の歌でも、シーア派の第一代イマーム、アリーを讃える歌があった)、修行を重視する密教的な立場が特徴的なのだという。今回の再現儀式の最後では、聖者(祭司)が世界平和の祈り(おそらく)を捧げていたようだった。うん、ウルドゥー語はともかく、中世研究の一環でもあるのでアラビア語とかはちゃんとやらねば(笑)。

投稿者 Masaki : 11:34

2004年07月24日

キタラ・バテンテ

「表がギター、裏がリュートというバテンテ・ギターが聴ける!」という誘い文句(チラシの)に誘われて(笑)、マルコ・ビズリー(テノール)率いるアコルドネというグループの「タランテッラ〜地中海の民の音楽:ナポリ民謡の源流を歌う」というコンサートへ。毎年刺激的なプログラムを組んでいる<東京の夏>音楽祭の一環。ナポリ民謡の源流というだけあって、実に面白いプログラムだった。タンバリンのビートが秀逸なタランテッラ(テンポの速い南イタリアの舞曲だ)やヴィラネッラ(ナポリ風カンツォーネ+踊り)、そして素朴な旋律を渋く、また快活に歌い上げるオリジナルナンバー、プーリア地方の民謡などなど。アラブ風の曲もあって、地中海文化がオリエントと密接に関係していることを改めて思わせる。それにしてもアルフィオ・アンティコのタンバリンの職人技(とても表現豊かな楽器だったんだねえ)と道化ぶりが可笑しい。また、ボーカルの他の二人(ピズリー、ヴィットリオ)も見事な役者ぶり。ステージ的に洗練されてはいないのだけれど、そこがまた、土着的なパワーに溢れている感じだ。アンコールでは寸劇(海の魚の三角関係話)なんかも。最後は拍手喝采で大いに盛り上がった。

さて、ピノ・デ・ヴィットリオが弾くキタラ・バテンテ(バテンテ・ギター)は、前から見るとバロックギターなのだけれど、背面がリュート型に膨らんでいるという一見奇妙な楽器。金属弦を張っている。これがまたシャーンシャーンと渋い音。共鳴胴を深くとってあるのも舞曲用に音響を確保するためなのだとか。ちょっと写真を掲げておこう。このソースのページ(伝統楽器)によると、なるほど高音弦だけの構成なのね。

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投稿者 Masaki : 17:48

2004年07月22日

トマス・モア

古楽では全然ないけれど、その構成美が古楽的で、オリエンタルな雰囲気すら湛えているという点でとても面白かったので、コメントしておこうと思う。ギャレット・フィッシャー『聖トマス・モア受難曲』(BIS-CD-301158)。フィッシャーはアメリカの作曲家。1970年生まれという若手だけれど、ギリシア的な土着感や郷愁感、宗教的ともいえる瞑想性は大したもの。がっちりした構成美は、ある意味で保守的かもしれないけれど、実によくできている。耳に残る旋律がまたすばらしい。ライナーによると、ギャレットの着想のもとには日本や中東、インド、そして西欧の伝統音楽などがあるのだそうで、本作では中世の音楽とノルウェーや中部ヨーロッパ、インドものなどを結合したのだという。さもありなん、という感じか。演奏もよくて、突き抜けるような音の透明感は絶品。この「オペラ」はトマス・モアの最期の時を描いている。モアはもちろんあの『ユートピア』で有名なモアだ。エラスムスの同時代人で、実際『ユートピア』はオランダで執筆されている。ヘンリー8世の治世に大法官になったものの、王の離婚問題とその宗教改革に反対してカトリックの立場を貫き、反逆罪に問われて死刑となった。列聖されたのは1935年。実に死後400年を経てのこと。

投稿者 Masaki : 11:46

2004年07月18日

宰相マザラン

ルイ14世の幼児期に宰相を務めたマザランは、政治史的には三十年戦争を終わらせ内政の安定化を図り、ルイ14世の王権基盤を強化した人物として有名だけれど、イタリア音楽のフランスへの普及という点でも大きな貢献を果たしたのだそうだ。もともとイタリア生まれのマザランは、リシュリューに見いだされてフランスに帰化するまでローマ教皇に仕えており、またバルベリーニ家の庇護の下にあって、そうした宮廷に出入りし、芸術的な趣味を育んでいたのだという。そんなわけでフランスでの宰相就任後も、当時有名だったローマの歌手レオノーラ・バローニや作曲家のルイジ・ロッシ(当時のフランスではリュリに次ぐ人気だったという)をパリに呼んだりしたほか、ロッシのオペラ「オルフェーオ」やカヴァーリの「クセルクセス」を上演させたりもしているのだという。

そのマザラン時代に普及していたであろう曲を集めたのが、アンサンブル・ラ・フェニーチェの『マザランのためのコンサート』(Virgin、7243 5 45656 2 5)上の話も一部ライナーから取ったもの。それにしても、フォッジャのモテット、トゥリーニのソナタ、カザッティの器楽曲などなど、収録曲はどれも珠玉の逸品ばかりという風。17世紀中盤から後半のイタリア音楽の豊かさ、充実ぶりは瞠目に値する。演奏も見事というしかなく、なかなか贅沢な一枚だ。

さて、今回もジャケット絵ではなく、マザランの有名な肖像画を挙げておこう。作者は17世紀フランスの画家ピエール・ミニャール。とりわけ肖像画に優れ、王室付き首席画家にまでなったほど。マザランはリシュリューとは違い、柔軟な(とはいえ巧みな)外交政策に長けていたというが、どことなくそういう感触を伝える一枚かもしれない。

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投稿者 Masaki : 20:51

2004年07月13日

ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ

久々のコンサート行き。サントリーホールで行われたゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ。出し物はバッハの「ブランデンブルク協奏曲」全曲。指揮と書かれていたクリスチャン・フンケはバイオリン独奏。ブランデンブルク協奏曲はやはり弾き振りが基本よね(トン・コープマンみたくチェンバロじゃないので、振っている感じはまったくしないが(笑))。全曲演奏というところに惹かれたのだけれど、一般に定番になっている感じの5番、4番、2番あたりと、それ以外との間にちょっと落差があるような印象を受けた。後者では、パートそれぞれの技量は確かしっかりとしる感じなのだけれど、それらの全体的な絡み合いが時折乱れて、音がほつれていく感じ。前者も確かに端正な演奏ではあったけど、5番のチェンバロソロ部分のほかには「おおー」というのはあんまりなかったか……でもまあ、この暑い最中に来日を果たしてくれたことに感謝しよう(笑)。

投稿者 Masaki : 23:48

2004年07月11日

「ロラン」

6月末の土曜(金曜深夜)、BSでヘンデルの歌劇「アルチーナ」を放映していたのだけれど(シュツットガルト歌劇場)、これがまた、上流階級の乱れた社交場みたいな演出で、せっかくの音楽が台無しという風だった……残念。その口直しの意味も込めて、クリストフ・ルーセ、レ・タラン・リリックの演奏によるリュリの『ロラン』(AMB 9949)を聴く。いずれも「ロランの歌」を題材にしたルドヴィーコ・アリオスト(16世紀前半に活躍したイタリアの詩人)の詩に基づく歌劇だけれど、ヴィヴァルディの「オルランド・フリオーソ」や上の「アルチーナ」などともまた微妙に違うのが興味深い(この歌劇のストーリーが掲載されたサイトを参照のこと)。アリオストの原作には大きく3つのバージョンがあるそうだけれど、どれに基づくかによるのかしら?そのうち原作も見てみたいものだ。ま、それはともかく。リュリの音楽は存分にリリックで、よい意味で微妙な緊張に溢れている。2003年にローザンヌで上演されたもので、録音は2004年1月。ほとんど初の録音らしいけれど、実に生き生きと再現されている感じで好感。

今回はジャケット絵ではなく、出版された「ロラン」(1685?)の挿絵から、プロローグ部分を。プロローグ部分はデモゴルゴンの昔語りのシーンで、メタ構造というか、千夜一夜物語のような全体の枠組みの語りの部分だ。
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投稿者 Masaki : 20:41

2004年07月07日

hortus deliciarum

暑さでダレている時に聖歌などを聴くと、心なしか身が引き締まる気がするのだけれど、どうだろう(笑)。そんなわけで、ディスカントゥスの演奏による『喜びの園(hortus deliciarum)』(naïve、OP30390)を聴く。98年の録音。『hortus deliciarum』というのは、12世紀にアルザス地方のホーヘンブルク(ランズベルク)のヘラートが編纂したという一種の百科全書の題名。この書物自体は1870年にストラスブールの図書館の火災により焼失したものの、幸いにも1818年にクリスチャン・モーリス・エンゲルハートという人が詳細な写しを取っていて、それをもとに修復したものが残っているのだそうだ。中には楽曲も含まれているという話で、このCDはそれを中心テーマに、同時代のヒルデガルトやエンゲルベルク修道院の写本などの曲を集めた一枚。ブリジット・レーヌ率いるディスカントゥスは、実に見事な歌唱を聴かせてくれる。この透き通るような声と微妙な残響は、まさにカテドラルを思わせる。贅沢な中空の空間……それこそまさに「喜びの園」か……。

この『hortus deliciarum』、復元されたミニアチュールの一部が見られるサイトもある。せっかくなので一枚揚げておこう。このマンダラ風の一枚は、学問の体系を表したものとのこと。中央の円の中に座しているのが哲学で、それを支えているのはソクラテスとプラトン。その周りをめぐっているのが自由七科の諸学。そして一番下には、それらに入らない詩人やマジシャンたちが描かれているのだという。そうそう、マンダラといえば、チベットの僧侶ら6人がバルセロナで世界平和に祈願するマンダラを完成させたニュースが伝えられた。砂で作られたマンダラは、伝統に従い7月15日には消されるのだという。上の写本の話もそうだけど、こうした儚さが文化の継承、人間の営みの継承を裏打ちしていることを、改めて思ってしまう。七夕にそんなことを思ったり。

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投稿者 Masaki : 21:29

2004年07月02日

セイシャス

このところポルトガルが元気だ。今回のサッカー、ユーロ2004の躍進ぶりはギリシアと並んですごいし、EUの次期委員長はポルトガルの首相だし。そういえば、ポルトガルの心性にはどこか日本的心性に通じるものもあるのだという話。その一つが「サウダーデ」なる独特の郷愁感だそうで、ファドなんかにもそれは現れているのだそうだ(アマリア・ロドリゲスとか確かにいいもんね〜)。

そんなことを聞くと、サウダーデそのものも、その源流というのも探ってみたいテーマになってくるでないの。今年生誕300年だというポルトガルの作曲家カルロス・セイシャスを取り上げたコンサートが先月11日(誕生日なのだそうで)に都内で行われたようで、残念ながら行けなかったけれど、うーん、18世紀のサウダーデなんて気になるよなあ。てなわけで、とりあえずCDを物色。手に入れたのは、アンヌ・ロベールの演奏による『鍵盤楽器のためのソナタ集 Vol.2』(BNL 112868)。使用された楽器は1780年のカリスト作のチェンバロ(ポルトガル)だそうで、メカニック部分まで含めて現存する数少ないものだそうな。妙に突き抜ける力強い音が特徴的か。それだけに、この演奏家のパフォーマンス(タッチの確かさはすごいけれど……)と一緒になって、郷愁感めいたものはどこかに吹き飛んでしまうほど。うーん、まさに剛球という感じですな。そんなわけでセイシャスにおけるサウダーデ、いまだに謎のまま……(笑)。

投稿者 Masaki : 23:09