2005年07月28日

イスラエルの伝統歌唱

昨日は再び<東京の夏>音楽祭内のイベントに。「旧約聖書:声の宇宙」と題されたコンサート。3部構成で、第1部がサマリア人の秘唱。英語による解説付きだが、マイクの音が割れてちょっと細かいところが不明。サマリアに伝わる歌は旋律的に他にはない独特なもの、というような話だ。実際、ほとんど声明などに近い感じの歌唱。第2部はイエメンの伝統歌唱。パーカッションを背景に女性歌手(ギーラ・ベシャリ)が歌いまくる。前日に別会場で行われたコンサートの方の出演者だけれど、こちらにも出演。声量もあり、声質的にも聴かせるものがある。歌もなんだか「ポップス」に近い感じだ。これはちょっとノレた。第3部は東エルサレムのシナゴーグの歌い手たち(男性5人)による嘆願歌唱(シラート・バカショート)ほか。ウード(リュートの親戚。フレットが切っておらず、プレクトルと弾く)の伴奏がとてもいい。とはいえ歌自体がどれも長く感じられるのは、繰り返しが多いからか。シナゴーグで聴くのならまた違うのだろうけれど、今回のホールでの演奏では、最後の方はさすがにちょっと飽きた(笑)。

それにしてもせっかく旧約聖書その他の歌詞を歌っているのだから、せめて対応する部分の歌詞を配るくらいのことはしてほしいよなあ。これはこの音楽祭の民族音楽系全般に言えること。言葉がわからなくてもノリで……というのはちょっと扱いとしては荒っぽすぎる。ペラ1枚でもいいから概説などを個別に配ってほしいものだ。そりゃ予算の関係もあるんだろうけれど……。

投稿者 Masaki : 11:50

2005年07月24日

フランドル

例によって今ちょっと忙しいのだけれど、昨日はそれを押して印刷博物館の「プランタン=モレトゥス博物館展」へ。24日までと記憶していたので、焦っていったのだけれど、なんと31日までに変更されていた……うーん、やや脱力。気を取り直して展示品を見て回る。プランタン=モレトゥス博物館はほぼ最古といってよい印刷・出版博物館。グーテンベルクの活版印刷がマインツで誕生してやや時代の下った次の16世紀、クリストフ・プランタンがアントワープで始めた出版業を、モレトゥス家が引き継ぎ、今に残したものという。初期の各国語聖書や辞書などがとりわけ面白かった。とはいえ楽譜関係は、ほとんどジョルジュ・デ・ラ・ヘール『8種のミサのための5、6、7声部』という大型本の縮小版活字組版が出ていただけ。うーん、ちょっと残念。

帰ってから地震があったりして、なんだか今日は落ち着かない。そんなこともあって、アンサンブル・ムジカ・ノヴァによるデュファイ『花の中の花(Flos florum)』(ZZT 050301)を聴く。デュファイのマリアに捧げたモテットなどを集めた一枚。その歌の、ポリフォニーの神々しさといったら……なかなかの名盤。活版印刷の黎明期と時を同じくするデュファイの活動時期。ライナーによると、1477年ごろに対位法論を書いたティンクトリスが、当時の絢爛たる音楽的豊かさを大いに称揚している一節があるという。うん、音に身を任せて当時のフランドルやブルゴーニュの一帯に思いを馳せよう。

投稿者 Masaki : 18:45

2005年07月20日

最小構成

19日のBSで、3月に行われた「結婚カンタータ復元コンサート」の模様を一部放映していた。モノはBWV216「満たされたプライセの町よ」というもの。2004年にピアノの原智恵子の遺品からソプラノとアルトの声楽パートが見つかったという話で、今回はバッハ学者のジョシュア・リフキンによる補作という形での世界初演だったとか。で、結果は……うーん、声楽パートがもちろん注目されるわけだけれど、気になるのは、補作されているそれ以外の部分。もちろんすこぶるバッハっぽいけれど、なんだかどこかで似て非なるもの、という感じが……。そういう微妙な違和感というかなんというか、やはりぬぐえないものなのかもなあ……と。とはいえ、こうして復元し公演にまでもっていこうという意欲と熱意そのものには、惜しみなく拍手しておこう。リフキンといえば「各パート1人説」が有名だが(モーストリーの「独り古楽道」参照)、この各パート1人方式は今や独り歩きしはじめた感もある。例えばジャニーヌ・ヤンセンのヴィヴァルディ『四季』(Decca)。これ、きれいに弾きました、という感じはあっても、ヴェニス・バロック・オーケストラなんかの「場景喚起力」みたいな面白さがなく、個人的にはそれほどよいと思わない「四季」なんだけれどね。とはいえ、最小構成の試みはそれなりの面白さを秘めているかもしれないし、オーセンティシーとは別の部分で、発展していってほしい気がする。

投稿者 Masaki : 21:08

2005年07月17日

ホセ・マリン

リュートの師匠によると、スペインの奏者・音楽家というのは天才肌かハチャメチャなのかに大別され、日本のような「中間層」というのがあまり見当たらないという。で、天才肌の人々は、それだけに癖が強かったり、破天荒だったりするという。で、歴史を遡ってみても、確かにそういう人物像が多い感触だ。これって伝統なのかしら。16世紀後半に活躍したホセ・マリンという作曲家もそうで、歌手でありギター奏者だったらしく宮廷への出入りを許された音楽家でありながら、一方で社会の底辺とのつながりもあって、犯罪者として追われたり収監されたりもしたという。なんとも壮絶な生き様だ。そこには当時の社会状況も反映しているらしいのだけれどね。けれどもその破天荒な人物が作る曲は、なんだかとても繊細。軽快なリズム、憂いに満ちた哀感など、自在に感情を操っている気がする。パーカッションも相まってフラメンコ的な要素を強く前面に出しているのが、モンセラート・フィゲラス、ロルフ・リスレバンドなどの演奏による『人間の声(Tonos Humanos)』(Alia Vox、AVSA9802)。庶民的だったり、どこか高貴な憂いを湛えていたりと、なんだか七変化的な巧みさが感じられて、いかにも天才肌という感じか(笑)。

ジャケット絵はやはりスペインの画家スルバランの「聖ヒエロニムスの誘惑」(1640ごろ)の一部。バロックギター(?)を弾いている女性の部分が拡大されている。全体はこんな感じ。
jeronimo.jpg

投稿者 Masaki : 22:54

2005年07月14日

マスク・ドゴン

今年も始まっている<東京の夏>音楽祭。なんといっても個人的注目は、「ドゴン族の仮面舞踊」。というわけで、13日の公演を聴いた。うーん、打楽器だけのやや変則的なリズムで歌い、仮面を被った男たちがダンスを踊りまくる。ドゴン族はマリのバンディアガラの断崖に住む部族集団。こうしたダンスは基本的には葬送儀礼なのだという。今回のは、そのさらに奥地の一部族の伝承を、短縮版としてまとめたものという。言葉もわからないけれど、確かに発声法などはどこか念仏のような響き。でもリズミカルで意外に飽きさせない。様々な形象の仮面も実に興味深いものばかり。最初にミニレクチャーがあって、仮面の説明があったのだけれど、とりわけ面白いかったのは、祖先の霊が住むという異界がまるで構想ビルのようになっているという話(それを表した仮面は、なんだかアーチリュートのネックを思わせる形状だ)。そして、11世紀にマリがイスラム化された際に、逃げのびたドゴンの民を救ったワニの話。うーん、昔読んですっかり忘れているけれど、ドゴンの神話の面白さは、マルセル・グリオール『水の神』と『青い狐』(いずれもせりか書房)に詳しかったっけ。またちょっと読み直したくなったり。

投稿者 Masaki : 16:23

2005年07月05日

[書籍] 古代音楽の世界

先週末は某リュート講習会。その打ち上げの宴会で、「日本で初めてクラッシクギターを弾いたのって誰?」という素朴な疑問を誰かが発し、その周辺にいた皆が「う〜ん」と唸った。日本で初めて、というのがどの時代区分か(近代か)という問題や、クラッシクギターの定義はどうなるのか、といった話も出たけれど、いずれにしても、こんなところにも歴史的認識の盲点が。ピアノなんかだといろいろ文献もあったりするようだけれど、ギター系はいっそう知られていない気がする……。こういう歴史的は話には興味は尽きない。

それとはまったく関係がないが(笑)、荻美津夫『古代音楽の世界』(高志書院、2005)をざっと読む。古代日本から平安時代くらいまでを扱った総論。放送テキストを改訂したものだというだけに、実に網羅的に目配せがしてあって、なかなか勉強になる。なにしろ縄文時代の楽器の話から大陸伝来の音楽、雅楽の成立、正倉院の楽器のルーツなどまで、時代的・地域的に広範囲をカバーしている。この楽器のルートを辿るくだりでは、リュートの話なんかも出てくる。五弦琵琶が古代インドから、四弦琵琶は古代ペルシアからもたらされたものなのだとか。もちろんその大元には、インド・アーリア系民族のリュート系弦楽器があるのでは、という話。言語学などでは、系統を辿れるという説のほかに、各地で散発的に同時発生するなんて説もあったりするのだけれど、楽器はどうなんだろう?一応系統を辿るのが主流のようだけれど、地域的・時間的にまったく無関係な形で、なんらかの楽器が各地で勃興する、なんてことはないのかしらん……いずれにしても、こういう書籍は参考書としてなかなかに面白い。

投稿者 Masaki : 16:45

2005年07月01日

ダウランドもの

欧州にいるとある演奏家の方から中古のバロックリュートを安く譲ってもらえそうだったのだが、楽器に不具合が生じたとかで、お流れに。どうもこのところの欧州の熱波のせいかも、という話。うーん、残念。熱波おそるべし……。古い楽器などにはやっぱり応えるのだろうなあ。気分を変える意味でも、ここはホプキンソン・スミスの『ダウランド−−夢』(naïve、E8896)にご登場願おう。来日時のリサイタルでは結構軽やかなダウランドでちょっと面白かったのだけれど、こちらはぐっと陰影が増した感じ。持ち味(?)の大陸的な剛胆さが前面に出た感じか。とはいえちょっと作りがオーソドックスにすぎやしないか……。選曲も「蛙のガリアード」「ラクリメ」「デンマーク王のガリアード」など代表作が並んでいるし。でもまあ、音の広がりを味わう意味では悪くないと思う。

投稿者 Masaki : 19:58