2005年10月27日

イルカたち……

昨日はリュートの師匠、水戸茂雄氏のリサイタルへ。最近とみに円熟味というか渋みというかを増してきた師匠の演奏を聴きつつ、このところちょっと忙しかったせいで、疲れがどっと出て船を漕いでしまう。反省。とはいえリュートの穏やかな音色を耳にしつつ、アルファ波出まくりで心地よくウトウトするというのは、一種の至福の一時かもしれない……至福のひとときか(苦笑)。今回のリサイタルは「もしイルカたちが愛に死すなら」というタイトル。これはフエンリャーナのビウエラ曲のタイトルからとったもの(話は違うが、イルカの像などは古代からある表象だけれど、そのあたりの意味論的は変遷とか、ちょっと面白いかもしれないなあ、と思ったり)。プログラムは前半がビウエラ曲。現存する7人のうちの4人(ダサ、フエンリャーナ、ピサドール、バルデラーバノ)の曲集からということで、めったに聴けないかなり貴重なプログラム。後半はバロックリュート。実に美しいヴァイスの曲(サラバンド、オバーチュア)と、厳密には作者不詳の組曲ニ短調。アンコールはバッハの「ロンドー風ガヴォット」などなど。

投稿者 Masaki : 11:18

2005年10月22日

モンセラートの朱い本

昨日はラ・ヴォーチェ・オルフィカの公演で『モンセラートの朱い本』を聞く。バルセロナ近くのモンセラート修道院に伝わる有名な写本には、よく知られているとおり黒い聖母を讃えた10曲の歌が収録されている。で、これだけではコンサートにならないので、例えば事実上のスタンダードになっているアラ・フランチェスカ盤(opus 111、OPS 30-131)などでは、アルフォンソ10世のカンティガ集などからの曲も併録している。で、この公演もそうするのかなと思っていたら、そうではなく、複数のアレンジで変奏を聞かせるというプログラム。合唱団は粒ぞろいで実にいい感じ。アレンジはおそらく見解の分かれるところ。パフォーマンスにどれだけ時代考証を持ち込むかという点は確かに難しいのだけれど、今回は随所に時代的には後代になるフランドルっぽさが感じられたり。個人的にはむしろもっとアラブっぽい方に引っ張ってほしかったのだけれど……。イベリア半島の13世紀ごろというと、やはりアラブの影響が強かったはずで、「Los set goytx」などを始め、モンセラート写本の歌はもとよりアラブ・アンダルスっぽい。華麗さよりは無骨さが求められるような気がする。後半でやった輪唱は、パフォーマンスのアイデアはとても面白いけれど、時代考証的にはどうなんだろう。ちょっと無理があるのでは……。あ、でもこのパフォーマンス全体が、たとえば15、16世紀の演奏を「再現」しているというふうに取ればいいのかしら。それにしたってちょっと……(以下自粛:笑)。いずれにしても生音でこの歌を聴かせてくれたこと自体は結構貴重ではある。

投稿者 Masaki : 11:19

2005年10月19日

ラモーの「交響曲」

古楽ものの「聴かせ方」もいろいろになってきているけれど、マルク・ミンコフスキー&レ・ミュージシアン・デュ・ルーヴルによる『空想交響曲(une symphonie imaginaire)』(Archiv)は、ラモーの諸作品を集めて一つの「交響曲」に見立ててしまうという面白い企画盤。企画としては大成功。内実は歌劇(というかオペラ・バレエ)からの抜粋・再編集盤で、ラモーのベスト集みたいな感じだけれど、なかなかちゃんと交響曲っぽく組み立てられている。ライナーによると、18世紀半ばにはフランスの「シンフォニー」は確立されていたのだそうだが、同時代人のラモーはなぜかまとまった交響曲は書かなかったのだという。でもそのオーケストレーションの考え方(デカルト流の合理的な考え方)は、まったくもってシンフォニー的。録音そのものはわりとストレートな感じ。けれどもかえって企画のよさが印象づけられるというもの。「レ・ボレアード」全曲とかまた聴きたくなった。

投稿者 Masaki : 23:39

2005年10月14日

スケルツィ・ムジカーリ

これはなかなか面白い。モンテヴェルディの声楽曲を収めた『スケルツィ・ムジカーリ』(HMC 901855)。演奏はコンチェルト・ソアーヴェのほか、ソプラノのマリア・クリスティーナ・キール、バリトンのステファン・マクラウド。モンテヴェルディには「スケルツィ・ムジカーリ」と題した曲集が2つあるのだそうで、最初の1607年版は3声の舞曲が中心なのに対して、1632年の2冊目は基本的にアリアやマドリガーレに大きく傾いているという(ライナー)。録音はこの両者の一部とマドリガーレ集などからの曲で構成されていて、快活な舞曲からしっとり歌い上げる独唱曲まで、モンテヴェルディの曲想の幅広さを味わうことができる感じ。ライナーによれば、スケルツォという言葉をモンテヴェルディはむしろ本来の意味(戯れ、お遊び)で捉えているのではないかという。うん、そういわれると演奏もまたどこか遊び心を讃えている気がするよなあ。

ジャケット絵はパオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)の有名な『マルスとヴィーナス』。色合いの鮮やかさが印象的な一枚。

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投稿者 Masaki : 19:19

2005年10月08日

もうひとつの「フォリア」

先日のエスペリオンXXIの演奏会会場で販売していたCD。結構持っているので思わず苦笑してしまったけれど、目新しいものとして『そのほかのフォリアたち(Altre Follie)、1500 - 1750』(Alia Vox、AVSA9844)を購入。このところこれを聴いている。かつての名盤『ラ・フォリア』のいわば続編。結構単純なコードパターンからなるラ・フォリアの旋律だけれど、いろいろにアレンジされる様はまさに百花繚乱という感じ。逸名作家のほか、カベゾン、ムダーラ、ルッフォ、ピッチニーニ、ファルコニエロ、ストラーチェ、プレイフォード、コルベッタ、おなじのコレッリ、カバニレス、アルビカストロ、ムルシャ、そしてトリを務めるヴィヴァルディのソナタまで、実に多彩な音の饗宴になっている。大陸的な味わいと哀愁を感じさせるフォリアだけれど、ライナーによると、もともとポルトガルの舞曲なのね。早い段階でスペインにも伝わっていたものらしいけれど。そういえばバロックリュートの曲にもガロの「スペインのフォリア」なんかがあるんだっけなあ。

ジャケット絵はピエロ・ディ・コジモの『動物たちを魅了するオルフェ』の一部だというが(フィドルの一種リラ・デ・ブラッチョだと思われる楽器を弾いている)、この全体の絵はネットでは見つからなかった。変わりに、同じコジモから、『アンドロメダを救い出すペルセウス』を掲げておこう。この画像ではちょっと判別しにくいが、画面右下で、ツィターの一種かなにかを弾いている人物が描かれていて興味深い。1531年頃の作品だといい、ウフィッツィー美術館所蔵

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投稿者 Masaki : 21:42