2005年12月26日

地中海のクリスマス

はからずも今年は、アル・アンダルシアものなどイベリア半島もの、あるいはもっと広義には地中海ものの視聴が個人的には多かった(印象にも残った)気がする。そんなわけで、このクリスマス時期もやはりそっちの路線で行っている(笑)。ジョエル・コーエン指揮、ボストン・カメラータによる『地中海のクリスマス』(WarnerClassics、2564 62560-2)はまさにうってつけの一枚。イベリア半島ものを中心に、12世紀の南仏の世俗曲、アルフォンソ王のカンティガ集からの曲、セファルディムやアンダルシア、モロッコの俗謡、17世紀や19世紀の賛美歌などなど、まさに地中海の俗謡のパノラマのよう。アラブ的な音からフラメンコ的なものまで、大陸的な系譜をひとめぐりできる。俗謡っぽいとはいえ、歌詞の中身はマリア賛歌。演奏も、それぞれの曲の持ち味を損なわないような処理で、まさに一つの理想形。時折入る朗唱も見事で文句なし。言葉の発声の美ということを改めて想う。

ジャケット絵は『アルフォンソ10世のカンティガ集』の挿絵から演奏者や踊り手を描いた一枚。フィドルのほか、笛やプサルテリー類を弾いている人たちが描かれている。
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投稿者 Masaki : 23:08

2005年12月23日

二声のグラン・モテ

久々にM.A>シャルパンティエ。『二声のグラン・モテ』(K617171)(オリヴィエ・シュネーベリ指揮、ヴェルサイユ・バロック音楽センター聖歌隊ほか)。これも傑作と言ってよい一枚。シャルパンティエの宗教曲はやはり名品ぞろい。収録作品は「バビロン川ののほとりで」「いかに愛されし場所か」「なぜに人々はどよめいていたか」(以上ダビデの詩篇から)「マニフィカート」。「バビロン川……」をはじめ、いずれも実に劇的な曲構成がとても印象的で素晴らしい。演奏もそのあたりのドラマ性をヴィヴィッドに伝えている感じ。ライナーにもあるけれど、シャルパンティエは20歳前後に、イタリアで盛んだったオラトリオや合唱曲などと出会い、後にそれらをフランスに持ち込んだことが知られている。

それを受ける形で、ジャケット絵にはシモン・ヴーエ(17世紀前半)の「神殿奉献」。時代的にはシャルパンティエの一つ前の世代だが、ヴーエもまた、イタリアのバロック絵画の様式(カラヴァッジョのスタイルより後のトレンド)をフランスに持ち込み、外国の様式を重んじていたルイ13世に気に入られたという人物(くわしくはこちらをどうぞ)。「神殿奉献」はヴーエの傑作。
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投稿者 Masaki : 23:17

2005年12月22日

クレマン・ジャヌカン・アンサンブル

昨日はクレマン・ジャヌカン・アンサンブルの来日公演へ。彼らの団体名になっているクレマン・ジャヌカンと、その次の世代に属するクロード・ルジュヌの作品で構成されたプログラム。ジャヌカンの「鳥の歌」などオハコも当然披露。前回の「ラブレーの大饗宴」の時とは違い、今回は淡々と歌っていく趣向。歌そのものにもとより面白みが詰まっているので(声帯模写的な趣向とか)、なかなかに面白い。輪唱形式で響かせる対位法の妙味はなかなかだし、即興的な遊びも決まってはいた。けれど感動というにはちと……うーん、どちらかというこの団体はじっくり型ではないのかもなあ、と。ま、全般的にルネサンスの世俗曲は「演出付き」のほうがいいのかもねと改めて思う。伴奏でリュートを弾いていたエリック・ベロックは、前半・後半それぞれ1回づつルネサンスギターのソロがあって、アドリアン・ル・ロワとグレゴワール・ブレッサンの曲を弾いていた。これらがちょっと興味深い曲で、リズムを壊さないぎりぎりの微妙な溜めが入っている感じで面白いパフォーマンスになっていた。

投稿者 Masaki : 16:11

2005年12月14日

聲明

引き続き、<東京の夏>音楽祭のDVDから。今度は『マンダラ〜チベット聲明と日本の聲明』(KIBM 1031)。91年に草月ホールで行われた公演の記録映像で、真言宗豊山(ぶさん)派とチベットのゾンカル・チュデ僧院のそれぞれによる聲明、さらにはジョン・ケージの作品「龍安寺」のボイスバージョンを聲明で演奏したものが収録されている。聲明は毎年秋を中心に都内で公演があったりするようなのだけれど、タイミングが合わなくてなかなか行けない。その意味で、DVDになっていること自体が単純に喜ばしい。とはいえ、客席の後方から固定カメラがズームしたりパンしたりするだけの映像なので、その場の臨場感がない分、見続けるのは結構大変かも(苦笑)。それでも、とりわけチベットの聲明の力強い低音は、どこかホーミー(のドローン)を連想させるものがあって、なるほどこういう音でいやされるのは動物だけじゃないのね、という認識を新たにさせる。最後のケージの曲は、客席内に僧侶が分散して立つという立体的な編成が面白い。やや緩慢な打音に聲明のパッセージが被さるという感じなのだけれど、この反復感、持続感にこそ、龍安寺の石庭を見る際の、西欧的なフィルターもしくは観念論的理解の本質が現れているような印象を受ける。そのあたりの微妙な違和感が面白いと言えなくもない、かな?

投稿者 Masaki : 22:45

2005年12月10日

ハーディ・ガーディ

ここに書いたあるアーティクルについて「個人へのわだかまりを書いているようで不快だ」みたいなお叱りをある人から受けた。ま、こちらの書き方が悪かったというのもあるのだけれど、せっかくなのでこちらの全般的な立場を言っておけば、この場での批判や評価はあくまで、視聴した時点でのパフォーマンスやCDの中身について述べているのであって、特定個人・法人を否定したり馬鹿にしたりするものではない。直接知らない相手のことをどうこう言うつもりはないし、仮に知っていたとしても、個人的には人よりも人の作品やパフォーマンスそのものの方が好きだし、重要だと考えているくらいなので(演奏会後に奏者にサインをもらいに行くような神経は理解できない)、まったく問題になどする気はない。こちらはただ、お金を払う代わりとしてコンサートやCDで提供してもらう数時間を、ゆっくり味わいたいだけなのだ。もちろん、解釈やパフォーマンスについてのコメントは、こちらの知識不足や思いこみゆえに偏ってしまう可能性も高い。それは是正の余地があるし、指摘を受けるなら聞く耳を持ちたいと思っているのだけれど……。

さて本題。<東京の夏>音楽祭が今年20周年だったのを記念して、過去の公演記録DVDを10作品ほど出している。その中の一つが『ハーディ=ガーディの一千年』(KIBM 1035)。99年の公演で、演奏はパスカル・ルフーヴル率いるヴァリエスティック・オーケストラというフランスの団体。11人のハーディ・ガーディ奏者にパーカッションとコントラバスが加わっているのだという。ハーディ・ガーディはボウのかわりに本体についている円盤を回して音を出す擦弦楽器。歴史は12世紀ごろからとかなり古い。13、14世紀には教会や修道院などで伴奏用に用いられたりもしたというが、主に民衆の楽器となり、社会的には蔑まれながらどうにか生き延びていたものの、17世紀ごろのフランスの宮廷で(ルイ14世時代)突如もてはやされ、その後再び民衆世界に戻ったという数奇な運命を辿っている。けれども、そのフランス宮廷での人気は、当時のギターの台頭を相まって、リュートの衰退に一役買ったとも言われている。基本的にリュートと本体の形状や製作過程が似ていて、材料の木材も流用がきくため、17から18世紀には、楽器製造者がこぞってリュートからハーディ・ガーディに流れたのだとかいう話だ。うーん、リュート弾きからすると、複雑なものがあるわけね(笑)。

DVDの収録曲はタイトル通り、1千年の歴史を駆け足で辿るというもの。ハーディ・ガーディには、その楽器のために書かれた曲というのはフランス宮廷時代をのぞくとほとんどないそうで、編曲が主となる。11〜14世紀の単旋律曲、ルネサンス期の舞曲、モーツァルトの「セレナード」、バルトークの「バイオリン二重奏曲」(民族音楽的なものが色濃い作品)など、そして現代曲。どうも民衆音楽の楽器という固定観念があるせいか、古いものについては、つい「ハーディ・ガーディでなくても……」みたいなことをつい思ってしまう(苦笑)。楽器の可能性の広がりという意味では、むしろバルトークや現代ものの方が面白かったりする。

ハーディ・ガーディが描かれた代表的な絵を挙げておこう。17世紀初頭の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「ヴィエール奏者」。ハーディ・ガーディはフランス語でviele à roue。
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投稿者 Masaki : 13:14

2005年12月04日

フランスのリュート曲

昨日はリュートの発表会。年に一度の内輪なお祭りみたいなもの。あいかわらず下手くそながら、まあ参加することに意義があるわけで……。今年の曲はダ・ミラノのファンタジア(Ness No. 40)と、ロベール・バラールのファンタジア。どちらもうまく弾ければすごくいい曲なのだけれど……パフォーマンスの自己採点は大甘につけても50点くらいか(苦笑)。人様に聞かせるものでは全然なく、ひたすら自分の身体(うまく指が運ばない左手、緊張で硬直する右手)との対話という感じだからなあ。ま、いつかその対話の回路がスムーズになることもあるだろうと楽観しつつ……。

さて、いつもながら発表会の前後はどうしてもリュートのCDを精力的に聴きたくなる。今年の一枚は原雅巳(ソプラノ)+永田斉子(ルネサンスリュート)『ふらんすの恋歌:エール・ド・クール』(EBM 205016)。これは名盤かも。まずもってフランスのルネサンス曲、それもリュート伴奏の歌唱曲というのが国内では珍しい。国外だって珍しいかも(ダウランドほかイギリスものは多いけどね。ちなみに個人的に今年のダメCDはエレン・ハージスとポール・オデットの『パワー・オブ・ラブ』(ノイズプロダクション)だったりする。リュートが全然響いていないし、選曲が単調でCD全体が退屈になっている)。やはりフランスものはいいなあ。もちろんイタリアやスペインなどの大陸ものは全般によいのだけれどね。原氏のフランス語の発音がとてもいい感じ。永田氏のリュートソロなどの端麗さが光る(ロベール・バラールなど)。またライナーの金澤正剛氏の解説も大変充実している。リュート奏者のバラール(ルイ13世のリュートの師匠だった)は2世で、親父のパートナーだったアドリアン・ル・ロワに師事したのではないかとのこと。なるほどね。

投稿者 Masaki : 11:42

2005年12月01日

ロ短ミサ

日曜にNHKで放送されたプロムシュテット+ライプチヒ・ゲヴァントハウス交響楽団、ゲヴァントハウス室内合唱団によるバッハ『ミサ曲ロ短調』を録画で視る。今年の5月に音楽祭の枠内で催された聖トーマス教会での公演だそうだけれど、こりゃ名演じゃん。わりとゆっくりなテンポ、はっきりとしたフレージングで、最初は少し古い感じかなとも思ったけれど、70年代とかの演奏のようなただただ暗く峻厳な雰囲気ではなく、とても明朗で開放的な音の広がり。なんとも見事な音づくり。後半はテンポもややあげて、その上で聞かせどころはゆったりと。うーん、この余裕、この貫禄。プロムシュテットのバッハの録音ってまだないのが意外な感じもしたり。

投稿者 Masaki : 00:49