2006年05月29日

マラン・マレ・フェスティバル

今年はマラン・マレの生誕350年なのだそうで(洗礼が1656年の5月31日)、フランスでもいろいろイベントが予定されているというが、日本でも一足早いフェスティバルが開催された……というわけで、28日、とりあえず特別演奏会の第2部だけ覗いてみた。このフェスティバルでは、マラソン演奏会と題して、土日でマレのヴィオル曲集の全組曲(組曲だけでも41曲)が演奏されたようで、ヴィオラ・ダ・ガンバとか習っている人にはとても有意義なものだったろうなあと。で、特別演奏会は第一部が室内楽、第二部が舞曲&標題音楽というプログラム。個人的には、「膀胱結石手術の図」あたりの生演奏を聴くのが主眼だったけれど、「組曲ト長調」、「スペインのフォリア」では、バロックダンスも披露されたりして面白かった。標題音楽では、「グラン・バレ」「迷宮」などがいい感じ。後半、なんとまあ両陛下が二階席にご臨席、というサプライズ(どおりで、自由席のチケットを切ってもらうとき、「一階席にどうぞ」と一階席を強調していたわけだ)も。けれど、進行役(?)の元テレビ・フランス語会話の出演者だというフランス人がちょっと……(苦笑)。せっかくの演奏会が、なんだか哀れドタバタのスキットに……。ま、お祭りだからいいかという気もしないわけではないんだけれど。

投稿者 Masaki : 10:43

2006年05月26日

サウル

ルネ・ヤーコブスの指揮によるヘンデル『サウル』(HMC、901877、78)を聞く。この間の「La Folle Journée」で来日したRIAS室内合唱団と、コンチェルト・ケルンによる演奏。サウルは旧約聖書に登場する人物で、ゴリアテを倒したダビデに嫉妬し、あげくのはてにその殺害まで企てるのだけれど、なんだかその人間的弱さというか、人間臭さというか、造形的には興味深い・奥深い人物像という気もする。ヘンデルの陰影を感じさせる音楽の運びは、こういうストーリーや人間的描写にはよくマッチしている気がする。ジャケット絵はサロモン・コニンクによる『サウルの前で演奏するダビデ』(残念ながらネットでは見あたらないようなのだが)からの一部ということなのだけれど、この絵の心理的に追いつめられているようなサウルの顔もなかなか素晴らしい。

2枚組CDで全部で2時間半。けれどもヘンデルの多彩な音の世界と、めまぐるしく展開する赴きの演奏で、意外に時間を感じさせない。また、リュート奏者の野入志津子氏もコンチェルト・ケルンに参加しているのも見逃せない。野入氏といえば、『ジョバンニ・ザンボーニ、リュート・ソナタ集』(RGCD-1010)がなかなか良かった。ザンボーニは18世紀初頭のイタリア人作曲家。このソナタの数々、結構名曲ぞろいという感じだ。しかも野入氏の弾いているのがドゥルビー製作のアーチリュートなのだそうで……。

ま、それはともかく、サウルに戻って、ジャケット絵ではないけれど、同じ時代のレンブラントによる『サウルとダビデ』を。拡大してみると、サウルの微妙な表情がなんともいえない味を出している(笑)。拡大版はこちらをどうそ。
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投稿者 Masaki : 23:31

2006年05月19日

「ラインの黄金の呪い」

久々にちょっと面白いCDを聴く。セクエンティアによる『ラインの黄金の呪い(The Rheingold Curse)』(MA 20016)。ワーグナーが『ニーベルングの指輪』のもとにしたとされる、1815年ごろにはドイツ語訳が出版されていた北欧の叙事詩「エッダ」。口承で伝えられていた中欧のブルグント王国(5世紀ごろ)の英雄譚や古い神話は、ローマの撤退後、キリスト教の拡大とともに廃れていったものの、その伝説の数々はヴァイキングらを通じてアイスランドで継承されていたのだという。口承伝承がいずれもそうであるように、そうした成立したエッダもまた、音楽に合わせた語り、歌をなしていた。今では失われてしまったそれらの歌を、13世紀の写本(「コデックス・レギウス」)に記されていたエッダのテキストから復元するという試みが、この2枚組のCD。18世紀の音楽書に残されていた旋律の一部などをもとに、またほかの伝統的詩句の旋律などを研究しつつ、一種「創造的な」手法でもって再構成したというもの。素朴な趣を残しつつ、語りが活きる感じの民族音楽的な旋律&伴奏になっている。楽器まで当時の演奏形態に合わせて作り上げてしまっているというのだからものすごい。

お話はというと、「ニーベルングの歌」に近い欲望と復讐の物語。ルーツは一緒なので、似ていて当然なのだけれどね。あえてこう言ってよければ、ワーグナーの話から神々の部分を取っ払った感じだ。1巻収録の歌で、黄金の強奪の下りから仲間割れの話が続き、竜に姿を変えた片割れを英雄ジグルドが殺害し、殺害を依頼した方も殺し、次いで眠れる美女を救いにいく話にいたり、さらにある王族の奸計によるジグルドの死までが語られる。2巻目は、ジグルドの死をいたむ妻グドルンの話から始まって、一族を滅ぼす最終的な復讐までとなる。アイスランド語はわからんけれど、付属の対訳冊子で見る限り、かなりスピーディな展開かも。でも、なんだかワーグナーを改めて聴きたくなってくるねえ。

投稿者 Masaki : 21:58

2006年05月12日

今村氏によるヴァイスなど

去る4月下旬に来日公演などがあったスイス在住の著名なリュート奏者、今村泰典氏。公演にはちょっと行けなかったのだけれど、その新作CD『シルヴィウス・レオポルド・ヴァイス、リュート・ソナタVol.1』(Claves 50-2613)を聴く。収録曲は「ソナタ49番変ロ長調」「前奏曲とファンタジア、ハ長調」「ソナタ43番イ短調」。確かリサイタルもこれとほぼ同一のプログラムじゃなかったかしら?ジャケット絵がまるで盆栽をあしらったリュートのように見えるけれど、中身はもっとごっついぞ。有名なファンタジアとか、43番最後のプレストとか、全体的に実に剛胆な印象を与える、飾らない直球的なヴァイスというか。アーティキュレーションの鮮明さが好印象な一枚。これも一つの方向性という感じ。うーん、個人的にはこのところ、へたに飾らない演奏とが好みになってきているなあ……。

いまさらなコメントで恐縮だけれど、そういえば今村氏はバルトリの『禁じられたオペラ』(Decca、475 6924)などでもテオルボの通奏低音で参加している。ミンコフスキー指揮。なにしろ世界的なメゾソプラノがカストラートが歌っていたアリアを歌うというのだから、コンセプト的に「買い」な1枚であることは確かだけど、その歌声のすごさには実際に圧倒される。いや、とにかく凄いなあと。収録曲はスカルラッティ、ヘンデル、カルダーラのオペラのアリア。表題は、要するに1700年から10年まで、クレメンス9世の勅令により(最初は聖年により、ついでスペイン継承戦争のせいで、その後はローマが地震でも無事だったことを感謝するために)公の場でのパフォーマンスが禁じられたことを示している。

投稿者 Masaki : 22:46

2006年05月05日

Folle Journée !

1324年の5月3日といえば、トゥールーズでヨーロッパ初の歌合戦が開かれた日。これ、トルバドゥールたちがオック語で「詩」を競ったものだというけれど、当時の詩とはすなわちこれ歌。Jeux Floraux(花合戦)というそのコンクール、優勝者には金のスミレの造花が贈られ、トルバドゥールの職能集団(「喜ばしき知識団」)への加盟が認められたのだそうな。

季節的に、この時期は音楽系のフェスティバルにはちょうどよい頃合い。黄金週間だし。東京ではナント発のイベント「熱狂の日」が開催中。4日の夕方からの公演をはしごしたけれど、去年よりも人の波は少ない感じで、公演もほとんどがsold out。ホールAの遅い時間のものが残っていた。で、公演。お目当てはやはり宗教曲で、まずはRIAS室内合唱団&ベルリン古楽アカデミー(トヌ・カリユステ指揮)による『レクイエム』。古楽系のノン・ビブラートで剛胆な音楽は、宗教曲にはやはり合う。前の方の席だったのでど迫力だったけれど、ただまあ、個人的にはむちゃくちゃ感動というふうではなかった。これが終わった後、時間合わせのためチケット購入した香港シンフォニエッタ(イプ・ウィンシー指揮)の『ディベルティメント』ほか。ヴァイオリンソロは木嶋真優で、オールアジア勢。ソロの難しげな部分も含めて、実に流暢な演奏。モダン楽器はやっぱり響くなあ、と。宗教曲以外はやはりモダンに軍配が上がりそうだ。で、さらに駆け足で、今度はケルン室内合唱団&コレギウム・カントゥシアヌム(ペーター・ノイマン)の『ヴェスペレ』『聖母マリアのオフェルトリウム』『レジナ・チェリ』へ。これ、Aホールだったのだけれど、時間が遅いせいなのか、曲目の知名度のせいなのか、ガラガラ状態。とはいえ、演奏は見事なもので、上のレクイエムなどよりも個人的には情感に訴えるものがあった。これを聴かないなんてもったいない、という感じ。作品としてもモーツァルトの宗教曲の面白さ爆発で、先行する時代の音楽の創造的破壊みたいなことが随所で展開する感じ。少ない観客ではあったけれど(ホールがデカすぎるという印象もあるけど)、終演にはスタンディングオベーションが見られたりして、とてもいい雰囲気だった。

投稿者 Masaki : 15:09