2006年09月28日

蘇るペロティヌス

ヒリヤード・アンサンブルが出演するDVD『神のごとき接吻(The Kiss of a Divine Nature -- the contemporary perotin)』(Art Haus Musik, 2005)を観る。13世紀のペロティヌスの音楽を、ヒリヤード・アンサンブルの演奏、学者たちの議論、そして舞踏の演出過程という3つのシーンを交錯させながら、現代に「蘇らせる」というドキュメンタリー作品。実演場面はヒリヤード・アンサンブルならではの透き通るような音(声)。学者がこれに「ペロティヌスの歌はもっと恍惚としたものだった」と注文をつける場面があるのだけれど、やはりその抑制のきいた精神性は拭えない。というか拭う必要がない。作品中ではペロティヌスの実像をめぐり、様々な解釈の言葉が交わされる。学者同士の議論は、スーパーで買い物をしながらも続けられるし、演出家やダンサーたちの会話などもそう。あらぬ方向へと逸脱する言葉たちと、凜とした歌声の交差……。うーん、その微妙なアンバランス加減を味わえというわけか。

このDVDには、さらにボーナスDVDとして、作中の学者の議論をより大きく収録したドキュメンタリーや、ヒリヤード・アンサンブルによるサントラCDが付属する。とくにこの学者たちの議論が面白い。比較的若い学者が、レオニヌスとペロティヌスの違いを、後者が前者の短縮化・線状的な時間の明示化、モジュール化をなしていることにあると説明すると、別の若手(といってもどちらもおっさんだけれどね)が、どうやらキットラーなどのメディア論に多くを負っていそうな感じ(ポストモダンっぽい)で、1200年代の時計の発明によって時間概念が大きく変換したことを述べ、すると今度はより実証的な立場を取る別の年長の学者がアリストテレス思想の影響について述べると、さらに別の年のいった学者が、理論的なもの以上にプラグマチックなものからポリフォニーの変革が生じたことを指摘する……最後は前者二人の「ゴシック建築との相似」に、後者二人が「それはあまりにメタフォリックにすぎ、理解できん」と苦言を呈する……。アカデミックな世界ではありがちなように、微妙にかみ合わないのだけれど、それでもなお様々な問題点が明確に浮かび上がってくるあたり、うまく編集されているという感じでなかなか面白い。

投稿者 Masaki : 23:35

2006年09月17日

シュタイアーのチェンバロ

ついに出ていましたか(って、発売は去年だけれど)という感じなのが、アンドレアス・シュタイアーのチェンバロCD『ハンブルク、1734』(HMC 901898)。いきなり最初のヘンデルの「シャコンヌから圧倒される。まさに壮麗、ダイナミック。流れるような連打、めまぐるしく表情を変えるチェンバロ。それもそのはずで、使用されているのは、オルガンみたいにレジスタのついた1台なのだという。18世紀に活躍したチェンバロ製作家、ヒエロニムス・アルブレヒト・ハスのオリジナル楽器のコピーなのだそうで、そのオリジナルは1734年にハンブルクで作られたものだとか。アルバムのタイトルはここに由来するという次第。収録曲はヘンデルのほか、テレマンの「ウヴェルチュール・ビュールレスク、二短調」やシュアイアー自身の編曲によるものなど、さらにブクステフーデ、マッテゾン、ベーム、ヴェックマン、シャイデマンなどなど、18世紀前半の同時代的な曲集になっている。シャイデマンのものは「ラクリメ」の編曲で、これがまた渋い演奏になっている。最後には現代曲も1曲だけ収録し(ブリス・ポーゼ)、チェンバロ音楽の可能性をさらに開いているあたりも興味深い。

ジャケット絵は「1750年ごろのハンブルクの風景」という版画。さらに冊子の表紙が古地図と版画の組み合わせになっている。その1750年ごろのハンブルク風景が描かれた一枚を掲げておこう。ありゃありゃ、この絵(部分)、詳しいことがちょっとわからないのだけれど……(苦笑)。そびえ立つ尖塔がとても印象的だ。
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投稿者 Masaki : 21:13

2006年09月10日

[書籍] モーツァルトの宗教音楽

モーツァルト・イヤーだからか、いろいろとモーツァルト関連本も出ている昨今だけれど、改めて読んでみたのがこれ。カルル・ド・ニ『モーツァルトの宗教音楽』(相良憲明訳、白水社文庫クセジュ、1989-2004)は、表題通りモーツァルトの宗教曲に絞った総覧・概説書。ガイド本ではないのだけれど、とても貴重な参考書になっている。小著ながら中身は濃くて、ほぼ年代順に、各曲の特徴や背景、聞きどころにいたるまで解説し、その作曲技法がどう変遷していくかを描き出している。うーん、聞いたことのない曲が目白押しだ。これは音源が欲しいところ。著者はドイツ生まれのベルギー人で、フランスで音楽評論やら講義やらを行っている人物とか。

投稿者 Masaki : 18:33

2006年09月04日

レクチャーコンサート

昨日はサントリーホールのオルガンレクチャーコンサートシリーズへ。タイトルは『天正少年使節と音楽の旅、I. 聖なる調べ編』。今年はイエズス会のザビエルの生誕500年とかで(カトリックでは普通そういう祝い方はしないと思うのだけれど)、この手の企画がいろいろなされているようだ。今回特筆すべき点は、サントリーホール20年目にして、おそらく初めて大ホールでビウエラが鳴ったこと。奏者は師匠・水戸茂雄氏。ソロではなく伴奏・合奏がほとんどだったけれど、また、後ろの方の席ではちゃんと聞こえたかどうか不明だが、小粒でもぴりりと辛い山椒のような感じで、ちゃんと存在感を示していたと思う。

それにしても、レクチャーコンサートもこの数年でずいぶん様変わりしてきたなあというのが今回の感想だ。以前は講師がしゃべりつつ、合間に演奏を聴かせるだけだったけれど、今回のものは、進行役に役者をステージ右に配し、左には大御所・皆川達夫氏とBCJの鈴木雅明氏が座り、大御所のお話を拝聴するというスタイルで解説する。奏者たちは後景に陣取り、どこかスタジオ的な立体構成、NHK教育あたりの特集番組でも模したような演出になっていた。テレビ的な演出というわけだが、若干違和感を覚えないわけでもない。テレビ的なものを安易に持ち込むのはどうかと思うのだけれど、これもまた時代の流れか……。

内容的には、天正少年使節がローマ入りするまでの軌跡に、そこで演奏されたかもしれない音楽の数々を重ね合わせるという趣向。「めでたし海の星」やビクトリア、パレストリーナの合唱曲から、ムダーラ、ミランといったビウエラ曲、カベソンやフレスコバルディのオルガン曲などをちりばめた感じ。ビウエラ曲の一部には、ダンスも登場した。けれど、なんだか全体に立食パーティのつまみ食いのようで(ま、レクチャーコンサートってそういうものだけれど)、もうちょっとそれぞれの作曲家をじっくり聞きたいし、トークならトークだけをもっと聞きたいところ。

投稿者 Masaki : 20:21

2006年09月02日

ムジカ・アンティクア・ケルン

ムジカ・アンティクア・ケルンの20数年ぶりの来日予定は、音楽監督ラインハルト・ゲーベルの左手故障(?)のため急遽中止だそうだ。音楽家も(どの職業もそうだけれど)身体の負荷というものは並々ならないものがあるわけで、これはいかんともしがない。うーん、残念。ちなみに予定されていたプログラムは「フーガの技法」だった。

ちょうどその10年前の録音で『レベル:四大元素、グルック:アレッサンドロ』(Archiv、445 824-2)を聴いたところ。上記表題2曲のほか、テレマンの「ソナタ(7重奏)・ホ短調」を収録している。落ち着いた端麗な演奏というところか。ジャン=フェリー・レベルの「四大元素」(1737)は、72歳にしての渾身の一作だったということで、カオスを表した最初の序曲がなかなか面白い。その後に続く牧歌的な「自然の調和」イメージといかにも対照的。フレンチ・バロックの黄昏兼古典派の夜明けを、当時パリを訪れたテレマン、それから少し遅れて訪れたグルックと合わせて描き出そうという趣向か。

ジャケット絵は、そのカオスのイメージということで、18世紀の風景・歴史画家ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌの『ヴェスヴィオ山の噴火』。後79年の有名な大噴火を描いたもの。
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投稿者 Masaki : 20:17