2005年03月29日

文化流入

最近文庫で出たフリッツ・ザクスル『シンボルの遺産』(松枝到訳、ちくま学芸文庫)の3章目は題して「中世の宇宙観」。それによると、後期ヘルメス思想やグノーシス思想のミクロコスモスのイメージは、中世絵画の文献的基礎をなしたとはいうものの、後期古代世界の手本は受け継がれても、そうしたミクロコスモスの教えそのものは受け継がれていないのだという。例えばボエティウスが伝えたという「運命の輪」の表象も、キリスト教への異教の理論の流入といったことはなかったのだというし、ビンゲンのヒルデガルトの幻視の絵画表現も、ミクロコスモスとしての人体図は確かに古代の神話を受け継いでいるようにも見えながら、異教的なものを排しつつキリスト教的な解釈を展開する。12世紀はそうしたイメージばかりが先行し、後にアラブやユダヤの翻訳を通じて古代世界の思想内容が流入してくることで、表面だけをさらっていた状況は一変していくのだという。うーん、文化流入の問題を改めて考えさせる一節だ。「文化の伝達はまず形から入る」のかしら?

そういえばヒルデガルトの幻視にあるような「宇宙卵」の表象は、例えばコンシュのギヨームの『ドラグマティコン』(哲学対話本)などにも登場している。四元素が織りなす宇宙の総体的な姿を卵になぞらえて語っているわけだけれど、このあたりの表象も追っていけば面白いかもしれない。以前「古楽蒐集日誌」(旧)に掲載したヒルデガルトの宇宙卵を再度掲げておこう。
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投稿者 Masaki : 22:45

2005年03月25日

ベネディクトゥス

一説によると、3月21日は聖ベネディクトゥスの命日と目されているらしい。547年の3月21日、67歳で没したのだという。ベネディクトゥスといえば、言わずと知れたモンテ・カッシーノに西欧では最初期とされる修道院を開いた人物。そのベネディクト会の規則は、後にシャルルマーニュによってフランク王国内の標準的な修道院規則になった。こちらの"Herodote"ページに概要が記されている。考えてみると、ベネディクトゥスなどの修道院創設にまつわる動きも、集団組織論の点から面白そうではある。ま、すぐには取りかかれない感じだが、注目してみてもよいかもしれない。ネットでも日本のベネディクトゥス関連文献の一覧が公開されている。これは貴重な資料だ。

聖ベネディクトゥスと言い表すのが普通だが、正式にはヌルシアのベネディクトゥスといい、1964年にはパウロ6世により、なんと全ヨーロッパの守護聖人と定められたという。この場合のヨーロッパがどの程度の範囲を示すのか知らないが、ちょうどEU憲法をめぐってフランスの世論調査で反対が賛成を上回ったり、財政安定協定の変更が取り沙汰されている時だけに、近・現代世界の教会において想定されていた「ヨーロッパ」という表象がどのようなものだったか、ちょっと気になったりもして(笑)。

投稿者 Masaki : 09:49

2005年03月22日

緑の光線

昨日は春分の日。ストラスブール大聖堂は「緑の光線」が見られるというので有名になっているのだそうな。Le Mondeのニューズレターがちょっとだけ紹介している。春分と秋分の日の正午近くになると、西から東の方向に向かって説教壇の上に緑の光線が射し、十字架のキリスト像の頭上を照らすのだという。Rayon Vertというページには、この現象が言及されたのは1972年頃からで、メディアで取り上げられるようになったのは1984年からにすぎないとされている。ステンドグラスの最近の修復が生んだ偶然……というのが公式の報告らしいけれど、場所も場所だけに、大聖堂を訪れる人にとってはなかなか神秘的な体験になっているということなのだろう。

上記のページによれば、ストラスブール大聖堂はもともと1015年のロマネスク様式の建築物だったようだが、1176年に再建され、現在のファサードは13〜14世紀のゴシック様式がそのまま残されているそうだ。図面などの資料は、Gothic Cathedralのページで見ることができる。

ちなみに、「緑の光線」といえば個人的にはエリック・ロメールの映画を思い出してしまうけれど、もとネタ(太陽が水平線に沈みきる直前に、屈折のせいで光が緑色に見える現象)はジュール・ヴェルヌの1882年の小説。ヴェルヌは今年没後100年ということで、アミアンのジュール・ヴェルヌ国債研究所なんてところが記念サイトを開いている。

投稿者 Masaki : 19:07

2005年03月17日

ケア……

先週の父親に続き、今度はカミさんが調子を崩し(発疹ができて熱もあった)通院。最初にかかりつけの、いわば一般医に看てもらったものの、そこで診断がペンディングされて専門医が紹介された。で、そちらもまた診断はペンディング。対処療法的に熱を下げたり痛みを緩和したり。診断というのは言うまでもなく既存のカテゴリーへの区分なわけだけれど、一般医も専門医も膨大な数のカテゴリーを把握しなくてはならないはずで、そういうカテゴリーそのもののアップデートも大変なのだろうなあ、と思う。医師免許を更新制にするなんて話も最近出てきているみたいだけれど、どういう話になっていくんだろうか。本来はそうした学知の更新こそが一番重要なのだろうに……。

治療という話の関連でいきなり飛ぶが、ローマ法王の入院も先にずいぶん騒がれていた。France 2なんかのニュースでは、法王の出身地ポーランドはチェンストホーヴァのヤスナ・グラ修道院にある「黒い聖母」も取り上げたりと、かなり包括的な取り上げ方だった。それに関連して、最近ちょっと目を通しているのが、歴史学者バリアーニによる『13世紀の教皇の宮廷における日常生活』("La vita quotidiana alla corte dei papi nel Duecento", Editori Laterza, 1996)。余談ながら、購入してから気づいたのだけれど、イタリア語版は実はオリジナルではなく、Hachetteから出た仏版がオリジナル("La cour des papes au XIIIe siecle")。教皇庁の生活の諸相を総覧的にまとめた好著。身体のケアに関する一章もあり、特に若返りへの関心について、ロジャー・ベーコンの論が簡単に紹介されていたりして興味深い。ベーコンは、人間の寿命は楽園からの追放以来自然に反して縮められており、それを回復する方法は、錬金術や未来予測、天文学などからもたらされると主張する、という。これが13世紀の教皇周辺でも取り上げられていたというから興味深い。うーん、なかなか面白そうだけれど、錬金術方面は広大すぎてうかつに手を出せない領域。けれど、アヴェロエスやアヴィセンナもぼちぼちと読み囓り始めていることだし、そのあたりのヨーロッパへの影響関係などを中心に、さしあたり中世の医学についても概論程度は押さえ直しておくべきかな、と思う。

投稿者 Masaki : 23:44

2005年03月13日

ミッション

今回の帰省、行き帰りの新幹線で「トランヴェール」という車内誌を読んだのだけれど、それの特集が「早春の鎌倉、古寺と歴史を巡る」だった。13世紀の武家政権は、同時に禅宗の普及の時代でもあったわけだけれど、その禅宗の広まり方、最初は宋からもたらされた文物が武士の気を引いたのだという。建築様式では唐様、仏具の細工、墨跡、立ち振る舞いなど、なるほどそういう珍しいものが最先端文化として紹介され、禅宗普及の素地を作ったというわけだ。

文化的なものは宗教の普及に先行する。すると思い出されるのは、少し前にDVDで見直した『ミッション』(ローランド・ジョフィ監督、1986)。ジャングルの奥地に入った宣教師は、最初笛の音で原住民の関心を惹きつけるのだったっけ。日本への宣教も同じように奇異な文化的なものの紹介から始まったことを考えると、このイエズス会のメソッドはとても興味深い戦略に思われる。そういえば最近、ウィリアム・バンガート『イエズス会の歴史』(上智大学中世思想研究所監修、原書房)が刊行されていた。まだ読んでいないのだけれど、そういうメソッドの成立をめぐる話は出てくるのかしら?

映画自体は、政争の道具になってしまった宣教団が、それでも原住民のために戦う悲壮感溢れる姿を描くわけだけれど、劇場公開当時も言われたように、大作の割には薄っぺらく、リアリティを感じられないのは、一つには宣教のプロセスがさっぱり描かれず、また、徹底して現地人の視点を介入させていないからだろうなあ。奴隷売買をしていたデニーロ(役名は忘れた)を、原住民はそうやすやすと許せないだろうし、白人が原住民を支配している構造においては、実はデニーロも神父たちも、さらにはその他の総督達も、基本的スタンスにそれほどの違いはない……。

投稿者 Masaki : 21:44

2005年03月12日

フレキシブル

今週はもともと帰省する予定だったのだけれど、父親が温泉で具合を悪くし緊急入院した。何のことはないインフルエンザだったのだけれど、そういう体調が悪い時に湯に浸かってはならん、と病院から注意された。当たり前だよなあ。一度予定を組んだら変えようとしない融通のなさ。これはまさしく、昭和一桁世代(1925年〜35年)の戦前教育のなせるわざ、というか、植え付けられた家父長的価値観(イデオロギーっすね)、という感じがしなくもない。ころころと立場を変えるのは家父長らしくない、というのが親の考え方。今回はさらに宿泊場所のキャンセル料が勿体ないというケチな発想も絡んでいる。うちの父親はそれでも若い頃は組合運動とかにもそれなりに精を出していたし(公務員だったのだけれど)、家事なんかもそれほど厭わないのだけれど、歳を取るにつれ、なにかそういう根っ子のイデオロギー的なものへのこだわりが増してきているような気がする。げに恐ろしきは教育か。しかもその後の社会経験などが複雑に絡まって、一種奇妙なキマイラが出来上がっているようで始末が悪い。社会派を気取るわりにすべて受け売りで、自分のことになるとやたらセコく、権威にも弱いから自分もどこか権威的に振る舞いたがる。今回の入院騒ぎ、3日で退院となったものの、まだ完治ではないのに、家に戻るなり、かかった費用の計算をしたり、掃除しようとしたり、外出しようとしたり……自分の意のままにならないと癇癪さえ起こす。

そういえば、世間ではなんだかまたゆとり教育を見直す、とか言っているようだけれど、小学校の学力低下って、先進国で広く見られる現象のようにも思えるし、とするなら、日本のゆとり教育だけが原因というわけでもないだろうし。子どもの生活環境全体が問題なのに、カリキュラムだけをいじろうとしているのは、何か裏がありそうで、なんだかなあ、という感じだ……戦前のような、偏屈な価値観を吹き込むようなことにだけはどうかなりませんように、と。

投稿者 Masaki : 18:25

2005年03月02日

語根引き再び

十全に使いこなせるにはまだほど遠いが、アラビア語(アヴェロエスの『断言の書』亜仏対訳本を囓り読み(笑))やヘブライ語の辞書での「語根引き」も、少しづつ慣れてきている感じ。こうしてみると、語根を引き、それから派生形という形で目的の語に到達するというこの方式には、完全なアルファベットオーダーの辞書とはまた違った利便性があることがうっすら見えてきた。語根と派生形の関係を読むことになるため、辞書を引くという行為そのものが、自然と複眼的な発想になるんじゃないか、と。この方式では辞書のページを広いスパンで見ていかなくてはならず、単一項目でおしまいという完全なアルファベットオーダーよりも豊かな「辞書引き体験」が得られるかもしれない。うーん、これってセム語系のある種の知恵かもしれないなあ。逆に言えば、欧米辞書のアルファベットオーダー(これも実は12世紀ごろから登場したもので、それ以前の百科事典(セビリヤのイシドルスなど)なんかはテーマ配列的になっている)がいかに限定的なものかを示していたりもする。電子辞書のような小さな画面で引くならそちらの方が合理的かもしれないが、それでは「辞書で遊ぶ」みたいなことはできない。効率重視の合理性がともすれば隠してしまいがちな、遊びを許容する冗長性の豊かさを見直す契機はこんなところにもあったりするかも。

投稿者 Masaki : 16:25