2005年04月28日

エラー

R西日本の大事故は、ここへきて運転士の内部教育の問題まで浮上してきたが、報道を見る限り、それが実に旧態依然とした懲罰方式なのには驚かされる。懲罰による矯正とはいかにも古くさいやり方。そういうものが「教育」という名前で呼ばれているなんて、今は本当に21世紀か、と思えるほど。ここから見えてくるのは、一つには結局運転士という重要な業務を、その重要性にもかかわらずまったくリスペクトしていない企業風土だ。重責であればあるほど、その責任をまっとうできるような環境(職務環境や人間関係)を作るのが当然であるはず。罰などで恐怖を与えるなんていうのは、もってのほかだ。人為的エラーは避けられないが、それを最小限に抑えるのは、結局そうした様々な環境整備と(エラーを技術的にカバーすることなど)、関係者相互のフォロー(もちろん口裏合わせなどではなく、再発防止に向けて協力し合うこと)しかないわけで。そのために大事になるのは、職能集団内での相互のリスペクトにほかならないだろう。それはまた、上下関係とはまた別の関係性を開くことにも通じる。

余談めいてしまうけれど、これに関連して、アヴェロエス(イブン・ルシュド)の『断言の書』の一節が興味深い。イスラム法の解釈・判断をめぐる考察の箇所なのだが、そこには、法についての責任を有する者、つまり責任を熟知している専門集団が、それでもなお陥りうる誤りは許されうるものである(逆にそれ以外の「門外漢」による誤りは許されない)、ということが記されている(34〜36節)。専門集団内での誤りは責任を熟知した上での、ある意味でぎりぎりの、やむを得ない誤りなのだ。当時のイスラム法の解釈・判断は、正式な訓練を得たものだけに許される重責(生死をも左右しうる)だったことを考えると、この一節は、専門集団内の相互のリスペクトを促す一文のようにも読める。それは職能集団の一種の理想形なのだが、専門の分化が広がっている現代の状況でこそ、800年もの昔の知恵は、新たに活かしうるのではないか、とも思えるのだ。

投稿者 Masaki : 12:59

2005年04月24日

物語行為

アウグスティヌスの『告白』とルソーの『告白』を重ね合わせ、ド・マンのルソー解釈をさらに重ねて「告白」を取り巻く「マシン」の諸相を浮かび上がらせるというジャック・デリダの「タイプライターのリボン」(『パピエ・マシン・上』、中山元訳、ちくま学芸文庫)は、野家啓一『物語の哲学』(岩波現代文庫)と合わせて読むのがお勧めかもしれない。すると、前者ではそれほど大きな扱いではないアウグスティヌスの重要性が際立ってくる感じがするからだ。デリダのいう「マシン」概念は、後者で語られている、発話行為を構造化し共同化するための(要するに「物語」を成立するための)様々な要因の力学的布置という重なりあっているだろう。なるほどアウグスティヌスは、おそらくそういう布置を初めて(?)ヴィヴィッドに意識した人なのだ。それはデリダが指摘しているように、盗む行為そのものに語りかけるというレトリック(『告白』2巻6章)からすでに感じ取れる。なにしろ、過去の事象を呼び出して別の文脈に置き直そうとする意思が、そこには強く示されているのだから。一方の後者には、アウグスティヌスの『神の国』が歴史哲学、歴史の形而上学のモデルをなしていることを指摘する箇所がある(3章)。こうして罪の告白と線形時間の意味づけとは、過去の再構築、「物語る」行為において一つになっていることがわかる。もちろんいずれの考察も、主眼は神なき時代の語りの倫理の方を向いているように思えるけれど、アウグスティヌスの投げかける問題はまた別の意味で奥深いかも。

投稿者 Masaki : 17:03

2005年04月21日

謙譲の目線

新法王ベネディクト16世は第一声で、自分のことを「主のブドウ畑で働くつましい働き手」(umile lavoratore nella vigna del Signore)と卑下してみせた。vigna del Signoreは教会を意味する慣用句(でも、ついついイリイチの『テクストのぶどう畑で』を思い出してしまう)。余談だが、新法王になったラッツィンガー枢機卿は、聖ボナヴェントゥラなどの研究が有名なのだとか。ボナヴェントゥラは弁証法的な理屈を批判し修道院神秘主義を唱えた人物だが、そのあたりの関連からすると、ベネディクトを名乗ったのも、報道されているように先のベネディクト15世(第一次大戦に際して、その無意味さを説いた)というよりは、修道院規則を制定し観想的生活を広めた聖ベネディクトゥスその人にちなんだものだったかもしれない、などと思えてしまう。

ところで上の一節は、西欧的なへりくだりの特質を改めて感じさせる。問題なのは謙譲の目線がどこを向いているか、ということだ。法王のへりくだりはあくまで超越的な存在に対してであって、もちろん他の人々に対してではない。けれどもここで重要なのは、法王のような高い地位にあろうと、超越的なものの前では、俗人と同じ目線が共有されている、という点だ。この目線の共有がある限り、人々の間の格差は一挙に受け入れられやすいものになる、というか、序列が作られても一向に構わないことになる。「どんなに相手がどんなに威張っていても、<神>の前では同じではないか」ということになれば、逆に階級社会は成立しやすくなるわけだ。教会のもつパラドクスといえるかもしれない。良し悪しはともかく、西欧社会が細かく序列化された社会になっていることの根っ子の一つも、そのあたりにありそうだ。

けれども、では反対に超越的なものへの目線がなれければよいか、といえばそうでもなさそうに思える。その場合、目線の先にあるのは他の人々でしかない。すると目線は相互の応酬となり、羨望と足の引っ張り合いがいっそう激化しそうだ(ジラールっぽいけど)。なにしろ他者は、社会格差の本質的無根拠性みたいなものを掘り出してきては、どこかですべてを相対化して交通整理よろしく鬱屈を晴らそうとするのだから。日本風の、互いに相手に目線の先に合わせて謙譲し合うといった自己防衛策にしても、今度はまったくスケーラブルではなく、空間が広がれば効力を失うのは必至。結局、反動的に専制的権力でもって無理矢理抑え込むとか、必要以上に格式張った儀礼やら作法やらを幾重にもはりめぐらしたりするとか、行き着く先はなんだかそれほど明るくないかも……。

投稿者 Masaki : 16:08

2005年04月20日

新法王

新法王選出にわく欧米メディア。ベネディクト(ベネディクトゥス)16世ことヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、事前の予想でも大きく取り上げられていた。保守派の代表格ということで、Corriere della sera紙の紹介記事などは、そのスタンスを端的にまとめている。その「拒絶」のリストは、解放神学や女性の司祭職から始まって、ホモセクシャル、中絶、さらにはトルコのEU加盟、ロックミュージック、宗教間対話にまで及んでいる。ヨハネ=パウロ2世も基本的スタンスは保守だったとはいえ、最後の二つについては比較的寛大な姿勢を見せていたが、さて、ベネディクト16世はどうなのか……。報道などを見ると、一般信者の受け止め方には、前任者の政策を継承するだろうというイメージが一定数あるようで、なるほどそういう意味合いを強く出した「選出」という感じもしなくない。以外に冷ややかなのはお里のミュンヘンで、sueddeutsch.deの記事の一つなどは、今後の課題についてやや悲痛なトーンで書いている。それにしても神学者としての研究の功績などは取り上げられていない……amazon.deなどで検索すると、著作は山のようにあるのだけれど……。

投稿者 Masaki : 14:39

2005年04月18日

マグダラのマリア

岡田温司『マグダラのマリア』(中公新書)を読む。マグダラのマリアが体現するイメージの変遷を、福音書の記述から検討しなおし、中世の動向を追ってルネサンス、バロック期の絵画にまで追っていくという興味深い一冊。マグダラのマリアに時代ごとに込められた様々な解釈や意図からは、人間のもつ想像力の豊かさや、政治的な思惑といったものの力学が浮上してくる思いがする。教会権威の確立のために、外典に描かれた使徒としてのマグダラのマリアを貶める四福音書、断片的イメージを繋いで神への奉仕や瞑想的生活のモデルを作り上げた大グレゴリウス、マルセイユからガリアに入ったというプロヴァンス地方の伝承、13〜15世紀の女性神秘家たちの伝記にとってひな形となったマグダラのマリア伝……。それぞれがなんらかの思惑で解釈を一定方向に引っ張っていく。語られるものが語りの経路・水路を通る時に、その経路によってどのように美化されたりゆがめられたりするのか、という問題がここからも見てとれる。

物語だけではない。歴史も同様(だからここでは語られるものという言い方がいい)で、しかもそれは遠い過去に限らない。近・現代史もまたしかり。こういう歴史の語りが変貌していく姿をきちんと視野に収めること、歴史についての語りを相対的に捉えることが、歴史リテラシーとしてこれからいっそう重要になっていきそうだ。中国や韓国の反日デモについても、長い目でみた場合の紛争解決・相互理解の道筋は、結局両者がそういうリテラシーを育むこと以外にないのでは、と……。

投稿者 Masaki : 15:55

2005年04月15日

第四次十字軍

チェックしていなくて行きそびれてしまったのだけれど、恵比寿の日仏会館で昨日、「コンスタンチノープルに向けた第四次十字軍の方向転換:咎めるべきは誰か」と題する講演会があったようだ。講演者は歴史学者のミシェル・バラール。うーん、残念。第四次十字軍(1202〜05)はコンスタンティノープルを制圧してラテン帝国を確立したわけだけれど、本来はエジプト行きを目論んでいたはずなのに、ヴェネチアの商人らとの駆け引きの末、ヴェネチアのライバル的商業都市だったコンスタンティノープルを攻略し、略奪を行ってしまうという逸脱ぶりが有名だ。なにしろキリスト教徒同士の戦いになってしまったわけで。このヴェネチア商人らの暗躍という部分に、おそらく新しい史料によって新しい光が差す可能性がありそうな気はする。バラールの話もおそらくそういう方向で進んだのではないかと思うのだけれど、なんだかこれ、利権的な側面から見たアメリカのイラク介入など動きと見事にパラレルになっている気もする。コンスタンティノープルのその後は、皇帝となったフランドル伯ボードワン1世のもと、十字軍の従軍騎士たちとヴェネチアの分割統治が行われ、ラテン帝国は1261年にボードワン2世がニカエア帝国に破れるまで続き、ヴェネチアはその後も長く(ギリシャ人らの反発を抱えながらも)ビザンチン帝国再興後も領土の支配権を保っていく。うーん、イラクなどはどうなのだろう。歴史は繰り返すのか、それとも……。

投稿者 Masaki : 19:57

2005年04月14日

探求の姿勢

岩波書店の『世界』5月号。特集は教育問題で「競争させれば学力は上がるのか」という表題が付いている。この中で気になるのは、「学力つけても職はなし」と題された一文。ま、これに限らず、高校までの学習とか大学以上での学問とか、いずれも雇用に絡めて論じられることが多いようなのだけれど、学問的探求のモチベーションを雇用からだけ見るというのは、ちょっと狭い見方だという気もする。学ぶことそれ自体が自己目的になるという側面も当然あるわけで、もし学力低下なんて話が本当なのだとすれば、雇用に即結びつかないといった話よりも、そういう学ぶこと自体の自己目的化を促さないような環境が問題なような気もするのだけれど……。例えば能力別編成とか習熟別学習とか、「自分にとって異質な才能や個性」がまわりにいる可能性を低めれば効率的だというのはおそらく間違っている。学ぶことを自己目的化する一つの側面は、そういう異質なものから受ける刺激なのではないかと思われるからだ。

でもって、そういう学びの自己目的化は初等教育から高等教育まで、本来は基本線をなしていなければならないように思う。その同じ号の別の連載「日本の生命科学はどこに行くのか」でははからずも、海外で活躍する研究者がインタビューに答え、西欧文化においては、科学者が審理の探求という使命感を大いに意識しているということを答えている。探求意識そのものを軸として、研究体制が組織され制度的にも確立されることが大事で、目先の経済的な利益ばかりに惑溺するのは危険だと、警鐘を鳴らしてもいるのが印象的だ。

投稿者 Masaki : 17:05

2005年04月10日

「情報」

ほとんどイリイチの「視覚の過去とまなざしの倫理」の邦訳が読みたくて、だいぶ前に購入していた『季刊・環』vol.20(藤原書店)。改めて他の特集記事を読んでみた。特集は「『情報』とは何か」。「情報」も、先の「空の言語学」での話と同様、その定義自体が問題になる多義的なターム。定義づけをしてから論じるのか、それとも定義づけのプロセスそのものを論じるのか……といった話は悩ましそうだが、この特集で個人的に面白かったのは、むしろ歴史的な話を情報という切り口で取り上げた二編だったりする(笑)。アンデス文明の話を紹介する大貫良夫「先史文化と情報」、日本の駅伝とのろしについてのノートである平川南「古代日本社会における『情報』伝達」。近代以前の、ブリコラージュ的(間に合わせ的)ながらそれでいてきちんと組織される「伝達」のあり方は、もっと再認識されていいんじゃないかな、と常々思う。清水克雄「『情報社会』の何が問題なのか」は、ハロルド・イニス(マクルーハンをすべて含んでいたと言われる)を引きながら、空間の支配に成功しても時間の持続を犠牲にした文明に、果たして未来はあるのか、と問うている。むー、やはりこの先に進むためには、創造的後退が必須なのかもなあ、と。

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(東京中野・哲学堂公園、4月8日)

投稿者 Masaki : 19:19

2005年04月09日

通底するもの

もはや宗教などというものを越えた弔問外交の場だったヴァチカンでの法王葬儀のミサ。あろうことか、のんきなこの国は現職ですらない元の外務大臣を送ってお茶を濁してしまった。これって大きなエラーじゃないの?宗教の問題なのではない。ヴァチカンが仮に必ずしも中心にはいなにせよ、少なくともなんらかの重要な位置づけを担っているような政治・文化空間に、その空間が一時的にせよ可視的になる機会に大きなプレゼンスを伴って居合わせないことが問題なのだ。居合わせないことによって、マージナルな、負のマーキングを受けてしまってはどうしようもないじゃないの。国際社会の表舞台に積極的に打って出ようとしていない国ならそれでもいいかもしれないけれど、常任理事国入りを画策しているような国の場合、それではあまりにお粗末なのでは。

ローマ法王の葬儀を漫然と見ていて改めて思ったのは、様々な利害関係にもかかわらずフランスとドイツが和解を果たしえたのは、一つにはそういう政治・文化的な空間にどちらも与っているといった、通底する一体性みたいな前提があったからかもしれない、ということ。東アジアには今やそういう前提がない。そりゃ、昔は儒教文化圏というようなものもあったかもしれないけれど、近代以降の侵略戦争や政治イデオロギーの対立で、そういう空間はずたずたになった。まさに修復不能なまでに。その意味では、東アジアの和解と連帯の道は遠そうだ。折しも中国の反日デモが激化しているし……。で、それでもなお和解と連帯の道を探るのなら(そうあってほしいのだけど)、やはりそうした歴史的反省・歴史的省察から出発するしかない……。その場合の「歴史」は近代だけにとどまっていられない。通底空間の誕生から破壊に至る経緯まで含めて(ということは近世や中世から考える必要が出てくる)、しかも日本史プロパーではなく、東アジア史、さらにはヨーロッパ史などまで含めて見ないといけないはず。そこまでの広がりで自国史を捉え返せば、「自虐史観vs反自虐史観」なんて田舎臭く貧乏臭い話など、もはや問題にすらならないはず。

投稿者 Masaki : 18:24

2005年04月07日

対象の措定……

大修館書店の『月刊言語』4月号。特集は「空の言語学」。なんのこっちゃと思ったら、言語研究の対象となる「言語」というのが、今や実体としては捉えられないところに来ている、というような話だ。当然思い出されるのは、前に触れたデイヴィッドソン哲学の入門書。そちらは、「言語」と称しているものが、実はその都度成立する発話の解釈行為にすぎないのではないか、という話だ。今回の特集の方は、むしろ近代言語学のラング概念の功罪などを改めて取り上げている。これって、一つには認知科学などの周辺領域からのアプローチのせいで、従来型の言語学が揺さぶられて、生き残りをかけて近代言語学の成立そのものまで(要するにみずからの足元まで)再考を余儀なくされた、という一種「凋落からの再起の戦略」という感じだ。

こうした自己の成立基盤の問い直しは、今や様々に取り上げられる。新規の学問領域を立ち上げるような場合には試金石にすらなっているほど。例えば民衆史の構築について、対象の措定の条件を深く考えていない、みたいな議論・批判が昔あったっけね。より最近の例ではドブレのメディオロジーもそう。メディオロジーにもそういう「自己省察」の種はまかれているし、芽だって確かにあったのだけれど、残念なのは、それがよく展開しないうちにうやむやになって減速させられてしまっている点かな。学問領域の規定としてよく取り沙汰される「対象」と「メソッド」の基準を持ち出して、やや短絡的な否定の向きも多少ともあったりしたようだけれど、それではせっかくの自己省察の芽を安直に摘むことにしかならないじゃないの。「対象」も「メソッド」もアプリオリには存在しないし、時間軸上に順番に生じるものではないし、その「対象」「メソッド」が浮かび上がってくる時の諸力のパワーバランスみたいなものを捉えようとする作業は、実はとても面白いプロセスだったり……って、メタ民衆史、メタメディオロジーのすすめ?

投稿者 Masaki : 21:14

2005年04月04日

ローマ法王……

現地時間で2日の夜に天に召された(読み上げられた公式の声明文では"tornato alla casa di padre"と言っていた)ローマ法王。26年に及ぶ在位期間、これほど精力的に移動し続けた法王も珍しい。ロイターが伝えた話によれば、遠征距離は124万7600キロ以上、実に地球30周分とか。そのプレゼンスの大きさからか、移動に用いた専用車(papamobile)も記憶に残る。まさに「モバイルポープ」だった。時代の変化への柔軟な対応は、まさに出るべくして出た法王、という感じもする。布教へのIT活用にも積極的だったといい(CNETの記事参照)、この記事によれば、バチカンはセビリャのイシドルス(7世紀の神学者)をコンピュータ関係者やインターネットの守護聖人にする考えだったとのこと。うん、これはよいかも。なにしろイシドルスは当時の百科全書『語源録』の著者。『語源録』はその後長く読み継がれていったのだっけ。

バチカンでは法王の死から9日間を喪の期間に定めているというが、先にもちょっと触れたバリアーニ『13世紀の教皇宮廷における日常生活』によれば、この期間を儀礼化したのはグレゴリオ10世(在位1271〜76)で、こうした制度面の礎が築かれたのも13世紀なのだという。この13世紀の教皇の宮廷というのはかなり独特なものだったようで、教皇や枢機卿その他の高位聖職者たちは、当時アラブ世界などから流入していた天文学、占星術、光学、錬金術などに並々ならぬ関心を示していて、医学などの学知を国際的に集積・発信するセンターの役割すら担っていたのだという。その意味で、新しい動向に果敢に反応してきたヨハネ=パウロ2世は、13世紀の遠い末裔をなしていたのかもしれない。

投稿者 Masaki : 13:04

2005年04月02日

Poisson d'avril

4月1日はエイプリルフール。英語や独語ではApril FoolやAprilnarrだけれど、仏語ではpoisson d'avril、伊語ではpesce d'aprileのように、2種類の系譜がある。先のherodote.netが配信しているニューズレターによると、poisson d'avrilはもともとフランス発で、シャルル9世の時代にまで遡るのだそうだ。それまで3月25日を年の始めとしていたフランスでは、4月1日までに新年を祝う贈り物をする風習があったのだが、シャルル9世は1564年に年の始めを1月1日にしてしまった。ところが風習は、4月1日に「滑稽な」贈り物をするという形で残ったのだという。さらに4月1日は魚の産卵期というこで河川での漁が禁止されてもいたことから、漁師たちをだますために淡水の川にニシンがばらまかれた、というのが「4月の魚」の起源なのだという。一方のApril Foolは北米が起源で、中世の「愚者祭」と関連づけられたものだという。子どもがたわいもないいたずらをするお祭りだったという。

投稿者 Masaki : 09:12