2007年02月25日

アヴィセンナの周辺

『デカルトと中世』という論集("Descartes et le Moyen Age", Vrin, 1997)を少し眺めてみる。この論集ではとりわけスアレス(16世紀から17世紀初頭のスペインの神学者、新スコラ学派の始祖)とデカルトの関連の論考が目に付くのだけれど、もちろんそれ以外のものもあって、個人的には、アヴィセンナの「空中人間」をめぐる論文が参考になった。アハマド・ハスナウィ「アヴィセンナとデカルトにおける自己意識」という論考。『治癒の書』の一部をなす「霊魂論」で仮構される「homme volant」の想定箇所を要約し、デカルトの自己省察とどう違うかをまとめたもの。小論だけれども、こういうまとめもさっと参照できて貴重ではある。なるほど、アヴィセンナはデカルトとの文脈で引き合いに出されたりするわけね。とはいえジャン・ジョリヴェの別の論考によると、デカルトはアヴィセンナを知ってはいたらしいけれども、長大なその『治癒の書』を読んでいたわけではなさそう、という話。

ちょうど個人的には、偽アヴィセンナ『天空と世界の書』のラテン語訳校注本(Oliver Gutman, ”Pseudo-Avicenna, Liber celi et mundi", Brillm 2003)を、ひとまずざっと読了したところ。ヴァンサン・ド・ボーヴェやアルベルトゥス・マグヌスなどによってアヴィセンナ作とされた書。ロジャー・ベーコンなどはアヴィセンナ作者説を疑っていたのだそうだ。いずれにしても、マイケル・スコット訳のアリストテレス『気象論』のラテン語訳が1230年に出るまでは、この著書とアリストテレスの『気象論』とが混同されたりもしたのだという。たしかにアヴィセンナ『形而上学(『治癒の書』13部)』のラテン語訳などに比べると、ずいぶんと平坦なラテン語訳という感じがするし、『形而上学』で感じられる議論の「張り」のようなものもない気がするのだけれど、これは訳の問題なのかしら……(?)。やはりアラビア語読みを鍛えないと(笑)。

投稿者 Masaki : 23:17

2007年02月21日

シェーンベルク

聖書つながりという感じで、シェーンベルクの未完のオペラの映画化作品、『モーゼとアロン』(ダニエル・ユイレ&ジャン=マリー・ストローブ監督作品)をDVDで観る。ORF、ARDなどの共同製作で、1974年の作品。いやーこれはなかなか面白い。神の言葉を受けつつも抽象的な語りしかできないモーゼ(ギュンター・ライヒ)と、それを具体的な「形象」で示す才をもったアロン(ルイ・ドゥヴォス)との、思想的・戦略的対立の構図として描いている。未完のせいか、主人公はむしろアロンというふうだ。媒介するものがいつの間にか君臨しているという、まさにメディオロジー的な逸話になっている。それはまた「信仰・信奉」というものがどれほど表層に食らいつくのかを、寓話的に語ってもいる。演出も、まずもってロケーションが素晴らしい。ローマの野外劇場跡地の廃墟が舞台となっているのだけれど、遠方にほの見える山々などが見事に取り込まれていてすばらしい。また、感情的なものをはねつける、砂漠の強度のようなものを感じさせるシェーンベルクの音楽が、そうした情景にみごとにはまっている感じになっている。歌などはほとんどモノローグの応酬のようにさえ聞こえる(笑)。ちなみに演奏はミヒェル・ギーレン指揮のオーストリア放送交響楽団&放送合唱団。

投稿者 Masaki : 23:40

2007年02月19日

正典と実像

このところ読んでいた一つが、秦剛平『乗っ取られた聖書』(京都大学学術出版会、2006)。著名なユダヤ学者による、旧約聖書のギリシア語訳(いわゆる70人訳聖書)をめぐる、その成立史の語り下ろし。そもそもこのギリシア語訳聖書、従来の主立った説では、アレクサンドリアにユダヤ人の2世とか3世とかがギリシア語しか解さないために、ギリシア語訳が必要になったという話なのだそうだが、同著者は新しい仮説として、アレクサンドリアのユダヤ人たちが、マネトーンなる人物の「ギリシア史」という書物に対抗し、自分らの民族も相当古いのだということを示すために作り上げたものなのではないかという説を提示している。ギリシア語訳の聖書が、当時のアレクサンドリアの民族的な拮抗状態の反映とする視点だ。しかもその底本となったヘブライ語(ヘブル語)版は、一般に考えられているように単一の版が存在したのではなく、並行して様々な版があった可能性があるのだという。翻訳を突き合わせて見るとそういうことになるのだそうで、このあたりの具体的な議論はなかなかに刺激的だ。そしてまた、そのようにして一応の成立を見たギリシア語訳にも、並行していろいろな訳が存在していた(エウセビオスの『教会史』などに記されているという)。それらを押しのけて70人訳は、キリスト教の中で正典とされるようになり、初期教父たちの間では、その権威付けを強化する言説が繰り返されていく……それが表題の「乗っ取られた」の意味なのだけれど、このような文献学的アプローチと、それから政治的な関係性が見事に浮かび上がってくるあたりが、まさに学問的な面白さの極みという感じだ。エウセビオスの『教会史』、ずいぶん前にLoeb版の1巻目の途中で放っぽっていたのだけれど、ちょっとまた続きを読みたくなった。2巻目とか面白そう。

そうそう、同書の最初の口絵になっているアレクサンドリアの灯台の図が、ネットにも転がっているので、転載しておこう。プトレマイオス1世がファロス島に建てたという大灯台。この絵が描かれたのは、石棺の蓋だという3世紀ごろの大理石の石板。ローマ文明博物館所蔵。船と灯台がキリスト教の寓意になっているのだという。「Firma victoria que vixit annis LXV」という碑文は、フィルミア・ウィクトーリア、享年65歳、ということ。
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投稿者 Masaki : 20:21

2007年02月16日

ストア派の霊魂論

Vrinから出ている論集『ストア派』("Les Stoïciens", Éd. G. Romeyer Dherbey, J.-B. Gourinat, Vrin, 2005)からいくつか論考を読む。これがまたどれもそれぞれ面白い。イスナルディ=パラント「ストア派における非物質的なものの概念」は、例の物質・非物質のまとめとして要領を得ている気がするし、クルバリシス「初期ストア派の一者論的構造」は、一者と多という形而上学的な問題をまとめたもの。で、個人的にとりわけ興味深かったのが、アニエス・ピグレール「プロティヌスの認識論教義のストア派的要素」。プロティノスの認識論がストア派の「親和」(感覚対象と感覚との共鳴)をベースにしているとした上で、ストア派思想とどう違うのかを際立たせるという論考。そうした認識論を探っていくと、当然ながらプロティノスとストア派の魂の議論がどう違うかというあたりの問題も絡んでくる。ストア派の場合は魂もまた物質的なものとされ、感覚対象や介在する環境と一続きだが、プロティノスの場合には、魂は非物質であって、物質的なもの(感覚対象)とのやりとりを統御するものとして考えられている。そんなわけだから、ストア派とプロティノスの違いは、介在する環境の扱いにも当然出てくる……プロティノスは環境をなすものを感覚作用の障害としか見なさない。うーん、このあたりの物質主義的なストア派のスタンス、ドゥルーズなどが取り上げる意味合いなども改めて解せる感じだ。

……というわけで、個人的にもクリュシッポスのテキストを読み始めた。Bompianiのil pensiero occidentaleシリーズにある希伊対訳本『初期ストア派−−全断片』("Stoici antichi, tutti i frammenti", Bompiani, 2002)。魂論のところから読み始めたのだけれど、初っぱなからまさに物質主義的な話。うーん、なかなか面白いぞ。

投稿者 Masaki : 23:27

2007年02月10日

スピノザとマイモニデス

スピノザによるマイモニデス批判に関する論考を目当てに、スピノザ協会年報『スピノザーナ』(学樹書院)というのを買ってみる。手嶋勲矢「スピノザのマイモニデス批判--中世ユダヤのメタファー解釈との関わりで」というのがその論考。スピノザの『神学政治論』7章の最後のほうで引用されるマイモニデスの一節(世界の永遠性を認めない理由)は、『迷える者への道案内』2巻25章からのもので、世界の永遠性が論証できないことと、それが信仰の基盤を揺るがすことが挙げられている箇所。マイモニデスはそこで、神の身体性の否定(一見それも聖書に反するように見えるからだけれど)の議論と対比しながら、世界の永遠性の議論を排除している。スピノザはこれを、論証という形で聖書の内部以外に根拠をもとめる点で批判し、聖書は聖書の内部で解釈されるべきだというようなことを主張する……。

で、上の論文は、マイモニデスの聖書解釈が当時のユダヤ教の伝統的解釈(比喩的解釈と字義的解釈を明確に分ける立場)と微妙に一線を画し、字義的解釈と比喩的解釈とを共存させるものだとし、その上で、スピノザの批判がいささか的はずれであることを示唆し、スピノザがマイモニデス以上に字義的解釈にこだわっている様を明らかにしている。なるほど、ここでのマイモニデス像は、哲学と宗教とを分離しようとするといった「近代的」な像(アリストテレス思想との関連という文脈で一部の研究者たちから提出されたものだという)とはだいぶ趣きが異なる。うん、このあたり、とても参考になるところだ。

投稿者 Masaki : 23:48

2007年02月08日

時代の要請との距離感

昨日は、またもいただきものの券で(ありがとうございます)、岩名雅記(著名な現代舞踏家なのだそうで……舞踏方面はあまり知らないのだけれど)初監督作品『朱霊たち』をポレポレ東中野で観る。おー、これは寺山修司の映画へのある種のオマージュのような作品。冒頭のエピグラフがすでにして寺山の短歌だし。主人公の少年、戦後間もない時代という設定、特高くずれ、怪しげな館とそこに住まうどこか異形の人々など、まさに寺山映画・演劇のエレメントそのもの。寺山の場合には、それらのイメージは強烈な記憶の手触りみたいなものを発し、物語素を徐々に解体させて全体を詩に近づけていくのだったけれど(必ずしもそうでない通俗寄りの映像作品もあるけれどね)、こちらはどこかベクトルが逆で、全編白黒の画面の中で展開する詩的な映像は、わずかずつ幻想的な断片であることをやめて、物語に収斂していき、さらには現実の戯画を織りなしていく、という寸法(?)。やや穿った見方をするなら、そこに時代の転換を読み取るのも面白いかもしれない。イメージの横溢はそのままでは着地点をもたないけれど、かつてはそれはそれでよかった。今は、その先の着地点こそが求められる。ときには過剰に。着地点とは「わかりやすさ」だったり「物語」だったり「カタルシス」だったり。そうした部分と向き合うことは、もちろん迎合とかいう問題ではなく、時代の要請、空気のようなものの中で、作家個人がどう微妙な距離感を取っていくのか、という問題になるはず。現代舞踏のようなある種抽象的な世界が、より具体的な意味の発露を求めていくのは、あるいはそこに寄っていきながらどこかで引くのは、とても緊張感溢れる芸術的営為になりうるかもしれない。って芸術分野に限らず、いろいろなことについて言えることだけれども。

投稿者 Masaki : 12:21

2007年02月02日

マイモニデスの位置づけ

ポール・ジョンソン『ユダヤ人の歴史--古代・中世編』(徳間文庫)にざっと目を通す。これはまあ想定していたことだけれど、中世編の記述のほぼ中心を占めているのがマイモニデス。社会的に貶められていくユダヤ人コミュニティの中にあって、マイモニデスには、学問的権威による指導者としてまさに突出した人物像が与えられている。基本的に合理主義者であったとされるマイモニデスだけれど、モーセの独自性をめぐる議論や、自由意志対運命という議論においてのみ、その合理性が停止するような場面もあるのだという。その基本的なスタンスは、ユダヤ教の中の非合理性を縮めること(廃絶することではなく)にあったのだろうと、この著者は述べている。

で、このあたりの話を、ある面でもっと細かく論じているのが、ハルバータル&マルガリート『偶像崇拝--その禁止のメカニズム』(大平章訳、法政大学出版局)だったりする。ユダヤ教で取り沙汰される偶像崇拝概念を4つのアプローチ(隠喩的な意味での偶像崇拝、形而上学的な意味での偶像崇拝、媒介の崇拝としての偶像崇拝、異質な崇拝)で現象学的・構造的に考えようというもので、マイモニデスは当然というべきか、2番目のアプローチでの主たる分析対象になる。なるほど、マイモニデスは、「神に肯定的な属性を帰することを否定」し、ユダヤ教世界において、「まったくの」抽象的な神を論じた初の思想家だったというわけだ。言語の純化の思想として、『迷える者への道案内』を読んでいくという次第だ。うーん、これもまた刺激的な読みかも。スピノザっぽい。で、上の『ユダヤ人の歴史』でも、マイモニデスに対立する相手として言及されるカバラ主義のハレヴィやナハマニデスが、こちらでも3番目、4番目のアプローチでの主役として登場する。形を持たない一者に収斂する否定神学とは逆に、そちらはむしろ「単純な統一」を認めず、「複数性」へと開かれながら、ネットワーク的な思考を展開する、というわけで、両者の対立はまさに、反自然主義VS自然主義という感じにも見えてくる。うーん、だけれどマイモニデスもそう単純に否定神学的とだけ言って片付けられないような感じだし、そもそも医者兼神学者でガレノスとアリストテレスの両方の思想的影響があったりして、そのあたりの錯綜関係はちょっと興味深い問題をはらんでいそうで興味が尽きない。

『偶像崇拝』のカバー絵は、ルーカス・ファン・レイデンの『黄金の子牛の崇拝』(1530年頃)。アムステルダム国立美術館所蔵の3連画。中央部分を挙げておこう。遠景に黄金の子牛があって、人々がまわりで踊っている。


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投稿者 Masaki : 23:27