2008年05月13日

シゲルスの「分散型?」知性論

かなり前に購入しつつ、読むのは諸事情でちょっと滞り気味だったけれど、とりあえずブラバントのシゲルス「『魂について』第三巻問題集」を読了。底本はアントニオ・ペタジエ編の"Sigeri di Brabante - Anima dell'uomo"(Pompiani, 2007)。これは1277年のタンピエの禁令前のテキストだということで、同じく収録されている「知性的魂論」(こちらは禁令後で、ちょっと釈明的な見解が強く打ち出される感じ)よりもはるかにストレートに哲学的立場を示している。つまり、単一知性論がかなりストレートに展開する。これがまた実に面白い。知性は単一であるというわけだけれど、トマスが批判するような議論とは少々違い、その単一性というのはやや意外にも奥深い。そもそもそれは質的な単一性で、数的な単一性ではないとされているし、個々人が個別に思考することには変わりがなく、ただ知性は非実体的で(トマスの考える身体の実体的形相というのとは違って)身体と直接結びつくものではない、という話になる。そのため、身体と知性とをつなぐものとして想像的意志といったものが想定され、これを通じて身体が感覚として受け取ったものを知性の側に橋渡しする、ということになる。なるほど、まさにカントの悟性の働きを先取りするような構図だ。しかもなんだか知性論全体の構図を考えると、どこかシンクライアントとしての可能知性、分散型のサーバとしての能動知性という感じにもなる(かな?笑)。アヴェロエスの能動知性はどこか実体的・分離的な感じがしたけれど、シゲルスのほうはそれ自体が個々人の中に組み込まれるというように読める。

いずれにしても、アガンベンの『スタンツェ』の話にも重なるしその後追いになってしまうけれど、知性と身体を結ぶ「コプラ」の系譜を少し追い直してみたい気にもなってきた。

投稿者 Masaki : 23:21

2008年05月12日

[古楽] ザビエル

『クアトロ・ラガッツィ』を読み始めたこともあって、少し前に購入し積ん聴だったサヴァール&ヘスペリオンXXIの『フランシスコ・ザビエル--東方への道』(AliaVox、AVSA98569)を聴く。ブックの体裁のSACDハイブリッド盤。昨年がザビエルの生誕500年だったのを記念しての企画盤らしいのだけれど、音楽家はともかく、教会関係で(聖人とか)生誕○○年というのはあまりない気がする。ということはひょっとして、日本からもちかけた企画かもね。日本語を含む5カ国語での「ブック」はなかなか本格的。ライナー的解説プラスアルファで人文主義関連の引用集がついている。活字の雰囲気がちょっと一昔前の本という感じ(苦笑)。で、曲目の方はというと、ザビエルの生涯の歩みに沿って、そのときどきに関連する曲を演奏していくというもので、さながら西欧から東洋へといたる音楽紀行の趣き。イベリアの逸名作者の曲から、「おお、栄光の聖母よ」(とその派生形の「おらしょ」版など)、モラーレスほかのミサなど。さらに篠笛や琵琶、尺八なども参加……といっても、混成セッションではない(当然だが)。古楽なだけに仕方がないとはいえ、インプロヴィゼーションも要所要所で入れているのだから、なにかこう、相互乗り入れがあってもよかったような……(でもまあ、CDの主旨からは逸れてしまうし、技術的な難しさもかなりのものだろうなあ)。それぞれの曲は実に堂々たる見事な演奏。なんだか企画ものにしておくのももったいないような気もする(笑)。

投稿者 Masaki : 22:31

2008年05月09日

西欧との邂逅……

まだ出だしだけだけれど、若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ--天正少年使節と世界帝国』(集英社、2003)を読み始めたところ。自分の研究史を振り返りつつ天正少年使節の研究への思いを綴ったプロローグがすでにしていい。名文。60年代まで、留学生たちは船でヨーロッパに渡ったことが記されている。神学生たちもいたのだという。なるほど、当時はまだ、ラテン語が話せればローマの神学校への留学には問題がなかったのだ(ラテン語もちゃんと使われていたのだなあ、としみじみ)。

本文もまたすばらしい。16世紀半ばごろのアジアの状況、教会の布教状況、日本の対応などが細やかに活写されていく。たとえば、西欧の学知に初めて接した禅寺の住職の驚き。で、そこで開陳された学知というのが、アリストテレスの『気象論』などをベースにした自然学だっというのがまたいい。アリストテレスはまさにキリスト教と一体化していた……。「少なくとも、この時点では、キリスト教は世界を説明する原理でもあったのである。それだから、キリスト教との文明が近代的な宇宙観を形成できたのだった。キリスト教のなかには、世界を理論づける理屈も含まれていたのである」(p.50)。けれどもそのすぐ後には、宗教と科学との反目が表面化してくることも記されている。宇宙観についての議論が意外に欧米圏の思想史研究の中で脇に置かれているのは、もしかするとあまりに自明で、ほとんど問題にならないからかも(?)。なるほど、そういう意味では、そのあたりは別の文化圏からのアプローチが有効な領域と言えるかもしれない、なんて改めて思ったり。

表紙カバーにあしらわれているのは、狩野内膳『南蛮屏風』からの「船出」(神戸市立博物館所蔵)。これを切り出してコラージュしたもの。なかなか凝っているなあ。

投稿者 Masaki : 23:35

2008年05月06日

エッセ研究……

世間的には連休も終わりだけれど、個人的に今年はずっとゲラ読みなどの仕事(笑)。で、それに並行して連休入りのころに古書で購入した山田晶『トマス・アクィナスの<エッセ>研究』(創文社、1978)をずらずらと読んでいる。いや〜これもかなりの労作で、それだけで頭が下がるのだけれど(「神の存在」という時のesseの意味を特定しようと、一般にその類語とされる(がトマスにおいては反対語的にすらなりうる)existereの用例をつぶさに全著作にわたって追っていくという第二章は、まさに力業)、esseとessentiaがいわば形相-質料、現実態-可能態に「類する」対立構造になっていることを明らかにするあたりなどは、なんだか不協和から和音の解決へといたる晴れ晴れとしたイメージをも思い浮かべさせる展開。で、どうやらesseの問題はトポスの問題へと進展していくらしい(って、まだその箇所まで行っていないので(笑))。おー、これはまた最近の宗教学の動向とも重なる……というか、改めて言うまでもなく、30年前という年月を感じさせない研究だなあと。

投稿者 Masaki : 23:46

2008年05月04日

スコトゥスの「自然学」

あまり進んでいないけれど、このところ読み始めているのが先日古書で購入したリチャード・クロス『ドゥンス・スコトゥスの自然学』(Richard Cross, "The Physics of Duns Scotus", Oxford Univ. Press, 1998)。先にアリストテレスの自然学の伝統についての本で、「場所」「位置」についてのスコトゥスの見解を論じた部分を興味深く読んだけれど、これはそのいわば延長。ただ、ちょっとクセのある論述方式(テキストを直接引くよりも、いったん命題の形にまとめて論理展開の話をする……でも個人的にはテキストそのものを引用してほしいのだけどなあ)と、時折混じる著者のごく普通の主観的印象(「スコトゥスは〜と論じるべきではなかった」なんていう)が鼻についたりして、あまり快調には読み進められない感じ(苦笑)。スコトゥスの「自然学」は、まとまった著作としてあるのではなく、様々なテキストに点在しているのだといい、一貫した思想として掬い上げるのはかなり大変のよう。『オルディナティオ』と『パリ講義』で齟齬があったりとか。確かに、膨大なテキストとの格闘はそれ自体でもうでにして敬意に値する所業ではあるのだが……。個人的にちょっと面白かったのは、質料には形相がそっくり胚胎しているという、いわゆる「種子的ラティオ(ラティオネス・セミナレス)」の考え方を、スコトゥスは否定しているという下り。種子的理性そのものはアウグスティヌスに端を発し、ボナヴェントゥラ、ガンのヘンリクスなどを経て伝えられたものといい、スコトゥスはこの、「形相がそっくり胚胎」という部分を論理学的な見地から否定しているらしい。形相が質料とは関係なく個別化(個体化)するというスコトゥスの立場からは当然の帰結なのだとか。で、この立場はまた、実体の統一性とか偶有性などの問題にも影響していく。

投稿者 Masaki : 22:59

2008年05月03日

今年もまた「熱狂の日」

例年通り、今年もピンポイント的に「La Folle Journée au Japon」へ。あいにくの雨だったけれど、相変わらず会場はそこそこ盛況。けれども個人的には、なんだか変わり映えしない感じになってきた。4回目だけあって、少しこの音楽祭のフォーマットに飽きてきたかなあ。会場のビジュアルなんかもほとんど同じだし。

今年はシューベルトなのだけれど、ピリオド楽器演奏でもないかぎりシューベルトは普段聴かないので、逆にこのときとばかりにミサ曲を中心にハシゴする。まずはおなじみミシェル・コルボ指揮で、シンフォニア・ヴァルソヴォア+ローザンヌ声楽アンサンブルによる「スターバト・マーテル」。これは初めて。ドイツ語でのスターバト・マーテルだというのが個人的には珍しい。ソロ(ソプラノは日本の人)がどこかシューベルトのリートっぽいのに個人的にはウケるも、5曲目の合唱とホルンの奏でる天上的な音に魅入られる(笑)。ついでダニエル・ロイス指揮、ヴュルテンベルク室内管弦楽団+カペラ・アムステルダムによる「ミサ曲第5番変イ長調」。キリエとグロリアは度迫力。クレド以降は妙におとなしい……って曲想がそうなのだから仕方ないような気もする。その後、オーヴェルニュ室内管弦楽団(アリ・ヴァン・ベーク指揮、ヴィオラのソロがジェラール・コセ)のシューベルト(ドイツ風舞曲、アルペッジョーネ・ソナタ)&ロッシーニ(弦楽のためのソナタ5番)で少々休眠し(笑)、それからメインイベントこと、再びコルボ軍団の「ミサ曲第6番変ホ長調」。うわー、これはまたしても文句なく名演でしょう!さすがはコルボ、最初から最後まで聴かせどころ満載で大迫力。緩急の振り具合など、もう最高。最後のアニュス・デイまですべてがドラマチック。シューベルト最晩年の作だけれど、これなどはまさにスタイル破壊的という意味で、サイードの言う「晩年性」の最たるものか、と。

投稿者 Masaki : 23:17