2008年08月19日

[コミック] 『チェーザレ』5巻

惣領冬実のコミック『チェーザレ』はいつのまにか5巻が出ていたので、さっそく読む(笑)。今回のクライマックスはやはり後半の、大学で行われる模擬戦だと思われるけれど、個人的に気になったのは、前半のピサのエピソードの最後で、アンジェロがチェーザレに贈る金属片に記されている格言。「Nulla est tam facilis res, quin difficilis siet, quum invitus facias. Semper avarus eget.」というやつ(同書の訳は意訳で「探求心は足取りを軽くする--だが求めすぎると足元をすくわれる」になっている)。この後半部分は、どこぞで見たことがあるなあと思って確認すると(岩波の『ギリシア・ラテン引用語事典』をsemperで引く)、「貪欲なる者は常に窮乏する」とあって、ホラティウスの『書簡集』1巻2歌56。Webだと「ラテン語徒然」というサイトにその箇所の対訳がある。

前半は何だろうと思い、再び『引用語辞典』を。nullaで引くと一発。「いかなる事にても汝がそれをいやいやになす時には、難儀とならざる如き容易なるものは一つもなし」。出典はテレンティウスの戯曲『自虐者』だそうだ。『引用語辞典』ではquin difficilis sitとなっているけれど、OLDによるとキケロ以前のラテン語の接続法はsietだということなので、コミックのほうの表記が正しいってこと?うーん、やるなあ。それにしてもアンジェロは、このテレンティウスとホラティウスを合わせて掘った金属板をどこで手に入れたのかしら、という疑問が(爆笑)。そんなのそこいらで既製品として売ってそうにはないし、注文して掘ってもらったとしたら、結構お金がかかるのでは……?アンジェロは平民出で、有力者(ロレンツォ・デ・メディチ)の援助で大学行っている設定だが、さて……(変なツッコミになってしまったが、ご勘弁)?

投稿者 Masaki : 23:23

2008年08月03日

[小説] 『Y氏の終わり』

紀伊国屋の書評ブログで高山宏氏が最後にとりあげた小説作品、スカーレット・トマスの『Y氏の終わり』(田中一江訳、早川書房)を読んでみた。なるほど、デリダやらラカンやらボードリヤールやら、文学系の院生が口にしそうな名前がひょろひょろっと出てくるし、言語や意識、物質など、一頃はやった領域横断的「学際」な話なども要所要所に散りばめられ、主人公のアリエルという学生もいかにも「不良院生」っぽくて何やら懐かしいが(爆笑)、全体の話は意外と単純。というかどこか既視感たっぷりの物語。不思議の国のアリスというよりは、これはWebサーフィンの人間意識版ということで、なんかちょっとできのよくないサイバーパンクみたいな感じが……(苦笑)。人の意識をサーフィンするとなれば、筒井康隆『家族八景』(これ、最近マンガになって再び人気なのだそうで)みたいな描写とか期待したりしたくなるが、うまいことに、ここでの設定では表層意識にしか潜れないらしい。でもちょっと面白いのは、サイバー空間ならぬトロポスフィアが、どうやら一種の集合知性的世界、単一知性的世界らしいということ(アヴェロエス的なものはこんなところにも復活している、なんて考えると個人的には楽しい)。自分が人の意識をサーフできるなら、敵の側だってできるはず……というわけで、主人公の逃避行&戦いが始まり……ラストはまあ、予想の範囲内というところかな。でも、このトロポスフィアという別世界はこの作品だけで閉じてしまうのは惜しいような気もする。いくらでも別作品に繋げられそうなのだけれど、作者は連作する気はないのかしら?

投稿者 Masaki : 22:29

2007年07月23日

ダンテ・クラブ

別に夏休みモードというわけでもないのだけれど(実は結構忙しくなってしまっていたりする)、ここのところ読んいたマシュー・パールの小説『ダンテ・クラブ』(鈴木恵訳、新潮文庫、上下)を読了。19世紀に実在したアメリカの文学者たちが、ダンテの『神曲』地獄編を模した連続殺人事件の探偵役になるという、なかなか味のある趣向のミステリー小説。彼らは『神曲』の翻訳クラブを作っていて、当時のプロテスタント系教会がダンテをどう見ていたかとか、アメリカの文学界がどう保守的だったかとか、南北戦争後の北部地域での黒人警官の描写とか、かなり詳細に調べて描かれている模様で、そういう部分だけでもなかなかに興味深い。それにしても、ミステリー小説だから仕方ないとはいえ、『神曲』の地獄編ばかりをクローズアップするのはちょっとなあ。煉獄編、天国編のほうが作品的・思想的な比重は相当に高いのに……。でもま、小説そのものは、意外なところから引っ張ってきた犯人像や、あからさまなミスリーディング、襲われる探偵役など、なんだかハリウッド映画的なサービス満載で、まあそれはそれで楽しめる。

そういえば探偵役の一人、詩人のロングフェローの屋敷には、ジョットが描いたダンテの肖像があることになっている。ジョットによるダンテの肖像といえば、有名なのは、フィレンツェはバルジェロ宮の礼拝堂にあるフレスコ画。ジョットが作者かどうかは異説もあるようだけれど……。

giotto2.jpg

投稿者 Masaki : 22:21

2007年03月27日

フォレット『大聖堂』

『ダ・ヴィンチ・コード』の余波らしく、昨年秋くらいまで書店で平積みだったケン・フォレットの『大聖堂』(矢野浩三郎訳、SB文庫)。原題は"The Pillars of the Earth"。90年代に一度新潮文庫で出ていたもの。いろいろと話は聞いていたのだれど、このたびようやく読み通す(いまさらなのだけど……笑)。きびきびと小気味よく展開するストーリーに、一気読みできてしまう。うーん、昨今のエンターテインメント小説ってこんな感じなのね。時は12世紀の南イングランド。ここに、若き修道院長と職を求めて彷徨っていた腕のいい建築職人が出会い、大聖堂の建造が始まる。ところがその建造には修道院長らの政敵たちもまた群がり、様々な策謀をめぐらしていく。職人の息子やら弟子、地元の前領主の娘らと今の悪徳領主などが入り乱れ、さて建立の行方はいかに……。とまあ、そういう波瀾万丈の35年間を描いた大河小説だ。登場人物は篤信から軽信まで様々。「地獄に堕ちるぞ」と怒りにまかせて叫ぶ聖職者、それをせせら笑いながら、後になって地獄行きかとびびりまくっている地元の有力者、取引すれば赦免してやると話を持ちかける司教などなど、また、後半の主人公になる弟子などは、ちょっとアナクロニズムを感じさせるほどの無神論者だったり、登場人物はどれも人間くさく描かれる。

で、なによりも当時の建築技術のディテールなどが素晴らしいし、当時隆盛を極めていく商業活動(先物取引の萌芽)、マリア信仰、サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼、トレドなどのイスラム文化圏、フランス発のリブ・ヴォールトといった新建築様式&技法(シュジェールも登場)、カンタベリー大司教トマス・ベケットの暗殺事件などが、実に巧みにちりばめられていて、見事な技を見る思い。

投稿者 Masaki : 00:47