2008年05月16日

[メモ] ディオゲネスとアリストテレス

ちょっとした事情から、山川偉也『哲学者ディオゲネス--世界市民の原像』(講談社学術文庫、2008)を読む。いや〜、これがまた思っていた以上に刺激的な内容で楽しかった。シノペのディオゲネスというと、キュニコス派ということで、いろいろと反世間的な振る舞いや言動がエピソードとして残っているだけだけれど、これについて研究するとなれば、まずはその限られた資料から、ある程度の「思想」を構築し直す作業が必要になる。となれば、必ずしも確証はなくとも、学問的な「最適解」を求めることが要求される。で、同書はまず、ディオゲネスがシノペを追われることになる「通貨変造事件」の実情の再構築を試みる。さらにはディオゲネスにアトリビュートされたエピソードの選り分けだ。その真偽を状況証拠をもとに選り分けていく。このあたり、現時点での「最適解」の考え方はなかなか参考になる。

けれども同書が最も面白くなるのは、実は後半の、ディオゲネスと「対立関係」にあるアリストテレスの政治学・倫理学関係の議論からだ。アリストテレスのテキストを追いながら、そこに奴隷制を前提とした当時の自由人の保守的なイデオロギーの反映と、つきつめればその「最善の国制」においては、アリストテレスのいう「自足」の理想はまったく実現できないというパラドクスを孕んでいることとを浮かび上がらせている。これはなかなかに興味深い。これまたつきつめれば、アリストテレスの正義論も、「正義の本質は金銭(ノミスマ)である」ということに帰着する……と(ここで大事になるのが、そのつきつめ方なのだけれど、さしあたりそれは置いておく)。で、これに根底から異議に突きつけるのがキュニコス派ということになる。「通貨変造事件」以来、νόμισμα(通貨=通例・習慣)をπαραχαράσσωすること(偽物の刻印を押すこと=価値を逆転させること)がディオゲネスの生涯のテーマとなるのだといい、それはまさに、アリストテレスの主張する国制・正義に対して向けられる、ということだ。

末尾ではほんのわずかながら、キュニコス派が初期キリスト教に影響を及ぼした可能性も指摘されている。これもまた実に興味深い議論。ディオゲネスはまた、世界市民の思想の胚胎とも見られ、それもまた長い系譜をなしていくようだ。うーん、とても充実した読後感。こういう研究が文庫書き下ろしで出るというのもものすごい……。

表紙の絵は19世紀の画家ジャン=レオン・ジェロームによる『樽のディオゲネス』。このジェロームという人は、新古典主義的作風で一世を風靡した画家だという。
JeromeDiogenes.jpg

投稿者 Masaki : 00:16

2007年11月05日

ピュタゴラス思想……

最近刊行された邦訳で、ポルピュリオス『ピタゴラスの生涯』(水地宗明訳、晃洋書房)を読む。訳文のほかに詳細な解説、固有名詞の注などが収録されていて、さらにピュタゴラス派の思想信条を表したものといわれる「黄金の詩」も同様に訳と解説が掲載されている。ポルピュリオスの伝記作家的な側面を邦訳で味わえるというのが実にいいなあ、と。それにしてもこれなどを読むと、古代ギリシアにおいては哲学の学派がいわば宗教のように生活信条を規制するものだったというピエール・アドの話が多少とも実感される。毎日の朝の計画と晩の反省とかもそうだし、食事の禁忌などもそう。この食事の禁忌はなかなか面白くて、犠牲獣の腰部、陰部、骨髄、足、頭は食べてはいけないといい、さらに豆も食べてはいけないといい(海産物もダメなのだそうで)、生殖や成長サイクルに関係したものへの禁忌が強調されている。また、万物の根源としての一と二、その他の数などについての話も興味をそそる。うん、この二性についての思想などは、はるか後代のアヴィセブロンなどに関係していないのかしら(メルマガのほうでちょっと出てきた話だけれど)なんて(笑)。また、ピュタゴラスの思想内容はむしろイアンブリコスに詳しいということだし、イタリアのボンピアーニ社が出している「スンマ・ピタゴリカ」でも読むことにしよう。

投稿者 Masaki : 18:17

2007年02月16日

ストア派の霊魂論

Vrinから出ている論集『ストア派』("Les Stoïciens", Éd. G. Romeyer Dherbey, J.-B. Gourinat, Vrin, 2005)からいくつか論考を読む。これがまたどれもそれぞれ面白い。イスナルディ=パラント「ストア派における非物質的なものの概念」は、例の物質・非物質のまとめとして要領を得ている気がするし、クルバリシス「初期ストア派の一者論的構造」は、一者と多という形而上学的な問題をまとめたもの。で、個人的にとりわけ興味深かったのが、アニエス・ピグレール「プロティヌスの認識論教義のストア派的要素」。プロティノスの認識論がストア派の「親和」(感覚対象と感覚との共鳴)をベースにしているとした上で、ストア派思想とどう違うのかを際立たせるという論考。そうした認識論を探っていくと、当然ながらプロティノスとストア派の魂の議論がどう違うかというあたりの問題も絡んでくる。ストア派の場合は魂もまた物質的なものとされ、感覚対象や介在する環境と一続きだが、プロティノスの場合には、魂は非物質であって、物質的なもの(感覚対象)とのやりとりを統御するものとして考えられている。そんなわけだから、ストア派とプロティノスの違いは、介在する環境の扱いにも当然出てくる……プロティノスは環境をなすものを感覚作用の障害としか見なさない。うーん、このあたりの物質主義的なストア派のスタンス、ドゥルーズなどが取り上げる意味合いなども改めて解せる感じだ。

……というわけで、個人的にもクリュシッポスのテキストを読み始めた。Bompianiのil pensiero occidentaleシリーズにある希伊対訳本『初期ストア派−−全断片』("Stoici antichi, tutti i frammenti", Bompiani, 2002)。魂論のところから読み始めたのだけれど、初っぱなからまさに物質主義的な話。うーん、なかなか面白いぞ。

投稿者 Masaki : 23:27