2008年01月02日

ゲルソニデス

今年もまた何冊かの年越し本。そのうちの一つがシャルル・トゥアティ『ゲルソニデスの哲学・神学思想』(Charles Touati, "La Pensée philosophique et théologique de gersonide", Gallimard, 1992 (original: 1973))。ガリマールの廉価版「Tel」叢書の一冊。タイトル通り、14世紀のユダヤ思想家(科学者・哲学者)ゲルソニデス(レヴィ・ベン・ゲルショム)の思想の全体像を描き出した力作。ゲルソニデスはフランスはラングドック地方バニョルの生まれ。そんなわけで同書は、マイモニデス思想のフランスの(特に南仏)ユダヤ人コミュニティにおける受容・論争から話が始まる。スペインなどとは違い、14世紀ごろの南仏では、マイモニデス思想はそれなりの支持者を見いだし、科学や哲学の探求を擁護する土壌があったらしい。カバラ思想などはほとんど影響力をもっていなかったという。そんな中で登場したのがゲルソニデスというわけだけれど、例によってその生涯などについては詳しいことはよくわかっていないらしい。で、なんといっても興味をそそるのはその思想内容だ。

トゥアティはこの本の中で、ほぼ同時期に生きたジャン・ビュリダンが提唱したインペトゥス理論(いわば中世版慣性の法則だ)に類する考え方がゲルソニデスにもあったことを指摘している。ビュリダンも受容済みのアリストテレス思想に大きな軌道修正を施すわけだけれど、ゲルソニデスも同様に、主にアヴェロエスなどを通じたアリストテレス思想を批判的に修正するという立ち位置にあった、ということ。このあたり、アリストテレス受容のまさに成熟期というか、一種の転換点を見る思いがする。またトゥアティの指摘によれば、たとえば人間知性の捉え方について、潜在知性イコール能動知性だとするアヴェロエスに批判的であるがゆえに、ゲルソニデスは結果的に、人間知性を魂に立脚した一つの能力と見るアフロディシアスのアレクサンドロスの立場に近づいているのだという。このあたりも実に興味深いところだ。ま、とはいえトゥアティの記述は、ジルソンばりにほとんど引用せずに、もとのテキストを自分の言葉で言い換えながら思想体系をまとめ上げていくという手法なので、もしかしたらそのまま鵜呑みにはできないところもあるかもしれない。いずれにしてもこうなってくると、ゲルソニデスのテキストそのものをぜひとも見てみたいところだ。

投稿者 Masaki : 21:20

2007年10月03日

マンデヴィル旅行記

ケルン大学のトマス研究所が出している論集「Miscellanea Mediaevalia」シリーズから、第33巻『境界の知--アラブの学知とラテン中世』("Wissen über Grenzen - Arabishes Wissen und lateinisches Mittelalter", Walter de Gruyter, 2006)を少し前からちらちらと見ている。アラブの学知が西欧に流入したかとか、西欧側は異教の地をどう見ていたかという、ある意味おなじみの領域だが、その新しい動向が満載。ディミトリ・グータスやチャールズ・バーネット、ダグ・ニコラウス・ハッセなど有名どころの論考から始まり、一種総覧的な趣きがある。とりあえずいくつか選んで読んでみただけだけれど、とりわけ目を惹くのは、11世紀ごろからのトレドでの翻訳サークルについて、かなり細かな研究が進んでいること。なるほど、ここで基本情報をアップデートしなければ(笑)。

で、そんな中、ちょっと異色なのが、ファビエンヌ・ミシュレという人の「『マンデヴィル旅行記』での東方の読解と記述」(F. L. Michelet, "Reading and Writing the East in 'Mandeville's Travels'")という考察。サイードのいうような「オリエンタリズム」の目線でマンデヴィルの旅行記に見られるとされてきた「寛容の態度」を見直してみようというアプローチ。マンデヴィル旅行記は14世紀ごろにフランスで成立したとされる架空の旅行記で、邦訳(『東方旅行記』)は東洋文庫で出ている(書籍自体は今は入手不可のようだけれど、いちおうJapanKnowledge内の有料コンテンツで読める)。ヴァンサン・ド・ボーヴェなどをベースに博物学的な記述として書かれたものだというけれど、ちょっとこれ、確かに中世盛期の世界像を語る上ではマストアイテムという感じ。ほかの研究も見てみたいところ。

投稿者 Masaki : 17:36

2007年07月15日

中世と近世のあいだ

ちょっと値の張るものの、壮観な執筆陣で読ませる『中世と近世のあいだ--14世紀におけるスコラ学と神秘思想』(上智大学中世思想研究所編、知泉書館)。早速購入しざっと目を通す。以前は創文社から出ていたシリーズの続きだと思われる。今回は中世から近世への橋渡しとなる14世紀の思想の諸相をまとめた一冊。まず第一部「宗教・神秘思想」では、取り上げられる思想家として、ダンテ、ルルス、フライベルクのディートリヒ、マイスター・エックハルトなどの馴染みの名に加えて、ハインリヒ・ゾイゼ、ザクセンのルドルフス、リュースブルクといった馴染みの薄い思想家の話が続く。第二部「スコラ学・自然学思想」では、とりわけオッカムとの論争を展開する14世紀のスコトゥス派についての論(渋谷克美氏)や、オッカムの後継者とされてきたアダム・デ・ヴィデハムの概説(稲垣良典氏)が面白い。オッカムの形象不要論をまとめた論もあって、これも整理としては興味深いが、こう見てくると、オッカムの「革新性」を描き出すことももちろん重要ながら、なにゆえにオッカムがそうした形象(スペキエス)を不要と考えるようになったというプロセスのほうがえらく気になってくる。このあたりは、オッカムの生涯や作品といったスタンダードな評伝的アプローチでもかけないと明らかにならないものかもしれないなあ、と。

とはいえ、オッカムを取り巻いていた大まかな枠組みの変化についてのヒントは、所収論文の一つ、山下正男「十四世紀の論理学」あたりにあるのかもしれない。中世の論理学の特徴を明らかにするために、現代の論理学との比較にまで言及したこの論考では、アリストテレスが論理学は普遍のみを扱うと考えていたのに対して、中世論理学は三段論法に個を混入する(全称命題を単称命題の連言とする)という革新をなしているのだという。しかし問題だったのは、現代の論理学なら個体変項(XとかYとか)を用いるところに、あくまで名辞を用い続けたことにあり、それが中世論理学の失敗を導いたのだという。三段論法に個を入れ、その個を名辞で表すがゆえに、その個の解釈をめぐって普遍の問題が生じ、ひいては普遍論争が引き起こされる。オッカムの代示理論などはそのあたりをめぐる苦肉の策だったのかもしれない……。

ほかにも、三浦伸夫「十四世紀の運動論」はオックスフォード大学の自然学研究の特徴を描いている。すると気になってくるのは、同時代のもう一つの自然学研究の中心、パリ大学の動きだ。このあたりは文献を探してみたいと思う。さらに、久松英二「十四世紀ビザンツの哲学的・神学的状況」と、J. フィルハウス「十四・十五世紀西欧の学問へのビザンツの影響」は、それぞれ、あまり馴染みのないヘシュカズム思想のまとめと、14〜15世紀のギリシア語学習・ギリシア語文献整備のまとめで、どちらもとても参考になった。とくに、両者のいずれにも登場するカラブリアのバルラアム(ペトラルカにギリシア語の初歩を手ほどきした人物。唯名論的不可知論を唱え、ヘシュカズムの体系化につくしたパラマスとの論争に巻き込まれて、後にカトリックに改宗)はちょっと面白そうではある。

投稿者 Masaki : 22:53