2008年08月13日

天球論の労作

ピエール・デュエムの『見かけを救う』(Pierre Duhem, "Sauver les apparences - sur la Notion de Théorie physique", Vrin, 2003)は、天文学を題材にして、「見かけ」をどう取り込むかをめぐって自然科学が紆余曲折を経る様子を、時代ごとに総括するという古典的な著作。なにしろ初版は100年前の1908年。小著だけれども、簡素にしてたたみかけるような記述がいかにも科学史家らしかったりする。で、それから時代をはるか下って、やはり天文学の一大問題を扱うより細かな詳述も登場することに。それがミシェル=ピエール・レルネール『天球の世界』。初版は1906年で、今年になって増補改訂版が出ている。1巻目(Michel-Pierre Lerner, "Le Monde des sphères,vol.1", Les Belles Lettres, 1996-2008)に目を通したところなのだけれど、天球(いわゆる諸天)という考え方がどう変遷し、どういう問題が存続していったのかということについて、とても見事な総覧になっていて、読み応え十分。うーん、労作だなあ。1巻目は宇宙の表象の誕生と隆盛という副題で、古代から中世までを扱っている。前半はひととおりの通史で、後半はテーマ別に、天空を成り立たせている物質、動者、天球の数と場所といった問題が整理されている。便覧的にも使えそう(笑)。中世の関連でいえば、アヴェロエスやアルペトラギウスあたりの影響圏の問題がやはりとくに目を惹く感じ。諸説が変遷していく動因は、「見かけを救う」だけにとどまらず、より教条的な思想とのすり合わせなども介在していることが、ある程度具体的なイメージで描き出されていく。

投稿者 Masaki : 23:12

2008年05月30日

中世のアリストテレス『問題集』

『異なる時代と言葉でのアリストテレス「問題集」』("Aristotle's Problemata in Different Times and Tongues", Leuven Univ. Press, 2006)に一通り目を通す。本書は英仏語での論集。『問題集』はアリストテレスの自然学関連の書としては、体系的でないということからそれほど目立った存在ではなく、ほかの著作に遅れて西欧に紹介されている。で、とりあえずこの論集から、その受容の大枠が掴める。『問題集』はまず12世紀にディナンのダヴィドによる部分訳(?)があったものの、本格的な訳は、マンフレド王治下のシチリアで活躍したメッシーナのバルトロメオが1260年代に完成したものが最初。これをもとに、パドヴァとパリで活躍した自然学者・医者アーバノのピエトロ(ペトルス)が初の注解書を記すのが遅くとも1310年ごろ。さらに、1380年代にはシャルル5世の宮廷付きの医師だったコンティのエヴラールが『問題集』の仏語版および注釈書を記す、というのが一連の流れで、収録された論文では、『問題集』が大学や宮廷でどのように受容されたかとか、ピエトロやエヴラールの注解の特徴、影響関係などなどの問題が論じられている。興味深かった点はいろいろあって、個人的には、アリストテレスの『問題集』とは別に、「サレルノ問題集」などQ&A形式の書物の伝統があり、それは(おそらくはバースのアデラードなどに続く形で)英国やイタリアで、『問題集』異本にも生き続けるのだといった話(Van der Lugtや、Venturaの論考)などがとりわけ注意を惹く。そういえばアーバノのピエトロについては、ルイジ・オリヴィエリの『アーバノのピエトロと新プラトン主義思想』(Luigi Olivieri, "Pietro d'Abano e il Pensiero neoplatonico", Editrice Antenore, 1988)をだいぶ前に入手しながら、1章目しか眼を通していなかった(苦笑)。2章目が『問題集』注解の検討になっているようで、これもちょっと見ないと。

投稿者 Masaki : 15:30

2008年05月04日

スコトゥスの「自然学」

あまり進んでいないけれど、このところ読み始めているのが先日古書で購入したリチャード・クロス『ドゥンス・スコトゥスの自然学』(Richard Cross, "The Physics of Duns Scotus", Oxford Univ. Press, 1998)。先にアリストテレスの自然学の伝統についての本で、「場所」「位置」についてのスコトゥスの見解を論じた部分を興味深く読んだけれど、これはそのいわば延長。ただ、ちょっとクセのある論述方式(テキストを直接引くよりも、いったん命題の形にまとめて論理展開の話をする……でも個人的にはテキストそのものを引用してほしいのだけどなあ)と、時折混じる著者のごく普通の主観的印象(「スコトゥスは〜と論じるべきではなかった」なんていう)が鼻についたりして、あまり快調には読み進められない感じ(苦笑)。スコトゥスの「自然学」は、まとまった著作としてあるのではなく、様々なテキストに点在しているのだといい、一貫した思想として掬い上げるのはかなり大変のよう。『オルディナティオ』と『パリ講義』で齟齬があったりとか。確かに、膨大なテキストとの格闘はそれ自体でもうでにして敬意に値する所業ではあるのだが……。個人的にちょっと面白かったのは、質料には形相がそっくり胚胎しているという、いわゆる「種子的ラティオ(ラティオネス・セミナレス)」の考え方を、スコトゥスは否定しているという下り。種子的理性そのものはアウグスティヌスに端を発し、ボナヴェントゥラ、ガンのヘンリクスなどを経て伝えられたものといい、スコトゥスはこの、「形相がそっくり胚胎」という部分を論理学的な見地から否定しているらしい。形相が質料とは関係なく個別化(個体化)するというスコトゥスの立場からは当然の帰結なのだとか。で、この立場はまた、実体の統一性とか偶有性などの問題にも影響していく。

投稿者 Masaki : 22:59

2008年04月10日

バースのアデラード

チャールズ・バーネット訳・編の、『バースのアデラード:甥との対話』("Adelard of Bath : Conversations with his nephew", Ed. & trans. C. Barnett, Cambridge University Press, 1998)を、解説を中心に久しぶりに再読。これは翻訳者としても知られるバースのアデラード(12世紀)による三つの対話編(「同一と差異について」「自然の問題」「鳥に関する論」)校注版を対訳で収録したもの。冒頭に解説がある。とりわけ自然学を扱った「自然の問題」が今更ながらだけれど面白い。アリストテレスの自然学が直接的に流入してくる以前の、いわば「旧弊」な自然学的問題への応答の一例を示すものとして、とても興味深いもの。アデラードのソースの一つには、ネメシウスの「人間の本性について」のラテン語訳(「premnon phisicon:自然学の根幹」)があるというのだけれど、これを訳したのが、サレルノの大司教アルファノ(1085没)。「minima naturalia」の伝統の発祥の地とも言われるサレルノに、こうしてつながるという次第。しかもそれは、コンスタンティヌス・アフリカヌスの著作の訳が浸透する以前のサレルノだという。また、本人言うところの「アラブ人」の学問研究からの影響もあるというのだが、このあたりは、正統教義とは異なる見解を示す際の、異端視されないための予防線、「解釈の装置」だった可能性がある、とも指摘されている。うん、いずれにしても、12世紀のサレルノというのは思想史的にはかなり重要なのだな、と。

投稿者 Masaki : 23:33