先日、岩波ホールで話題作『大いなる沈黙へ−−グランド・シャルトルーズ修道院』(フィリップ・グレーニング監督作品、2005)を観てきた。どこか映像に吸い込まれるような不思議な没入感をもった映画だった。ナレーションも音楽もないドキュメンタリー。ときおり粗い画素の絵が差し挟まれたり、修道士の背後から耳のあたりをクローズアップしたりと、独特なリズムを作り出している。撮影用のライトも持ち込んでいないという話で、自然光や施設内部の光源だけで織りなされた映像は、まるでバロック絵画の連続を見せられているかのよう。光と闇、反復される祈り、移り変わる四季の風景……。静謐な中に、修道士たちの生活音が微妙に響き渡る。そのあたりがとりわけ詩情めいて迫ってくる。そんなこんなで、三時間近くの上映時間が意外に短く感じられる(外からクーラーの効いた劇場内に入るときの温度差のせいもあって、最初のほうで少し睡魔に襲われるのに要注意だ)。
けれども、もちろんすべてが描かれているわけではない。修道院を支えているであろう細かな労務の数々などは、ほんのさわりしか登場しない。食事の支度の風景は少しだけ描かれているが、たとばゴミの処理とか、洗濯とか、入浴とか、物資の補給とか、そうしたいわば「穢れ(?)」の部分、およそ詩的にはならないであろう膨大な日常的営みの数々は、ここではきれいさっぱりカットされている。その意味では、多少まとはずれかもしれないけれど、修道院そのものを支える、地域ぐるみ(?)のネットワークとか、逆にそういうところがとても気になってくる。知的営みを下支えするもの、それが立体的に浮かび上がってほしかったな、と。これまた、ないものねだりではあるのだけれど(苦笑)。ちなみにグランド・シャルトルーズはグルノーブルに比較的近い場所にあって、厳格で知られるカルトジオ会の母修道院をなしているという(たとえば個室制などがシトー会などとは異なるのだとか)。