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アクロイド殺し再読

大昔に筑摩書房から出ていたピエール・バイヤールの『アクロイドを殺したのは誰か』(大浦康介訳)。最近になってハヤカワ文庫NFに入り、ベストセラーになっているみたいですね。これは未読だったので、ぜひ読もうと思い、その前にほぼ忘れているクリスティの「アクロイド殺し」本編を、kindle unlimitedに入っている『アクロイド殺人事件』(松本恵子訳)で読み直しました。もとは1957年刊の角川文庫のもので、訳文はいささか古めかしいのですが、たぶん昔読んだのもそのあたりだったと思います。今読むと、なんだかとっちらかった話だったのだなあ、と改めて思いました(失礼)。
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で、そのバイヤール本ですが、これはまさに一本取られましたね!近年、文学探偵ものと言うことで、『謎解きエドガー・アラン・ポー』『謎解きサリンジャー』(竹内康浩、新潮選書)とか出ていますが、バイヤールのこれはそうした路線のはしりという感じでしょうか。
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ポアロの推理を批判しつつ、別の可能性を探っていくというのが趣旨ですが、その途上で、推理小説の「語り」がはらむ複数の可能性の問題や(それは文学全体の語りへと拡張されたりもします)、フロイトのオイディプス伝説の扱い方の難点など、文学的な考察も繰り広げられます。

そして終盤、これぞ真犯人、という人物が名指しされるという、まさに推理小説ならぬ、推理評論みたいになるんですね。いや〜、よくできています。バイヤールは、アクロイド殺しの延長線上に位置づけられるクリスティ作品をほかに二作取り上げています。『果てしない闇』(邦題は『終わりなき夜に生まれつく』)と『カーテン』ですね。これらは未読なので、そのうち読もうと思います。

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今回「アクロイド殺し」を再読して、個人的に気になったのは、作中に出てくるディクタフォンです。1923年ごろに登場した、書き取りを行うために蝋管を使って音声を録音する装置ということですが、『アクロイド殺し』が刊行されたのは1925年で、当時の初期の機械は、医者がかばんに入れて楽々と運べるような大きさではなかったようなのですね。それが多少とも可能になるのは、1940年代くらいの改良版以降だろうと言います。ポアロが(というか作者が)そのあたりのことを問題にしていないのは、確かに変だよなあ、と思いますね(もちろん、変な点はまだいろいろあるようなのですが)。
参考:http://keiai1515.blog51.fc2.com/blog-entry-430.html

医者は、目覚まし時計の原理で、そのディクタフォンを時限装置付きにしたという記述になっているのですが、バイヤールも指摘するとおり、そんな世紀の大発明を、機械いじりが好きな程度の医者がやってのけるというのも、考えてみればちょっと不自然です。その時間もないですよね。そのあたりの時間的な不整合を時系列的に指摘しているブログ記事もありました。
参考:https://kama-wanu.jugem.jp/?eid=3598

前々回の『春にして君を離れ』と今回の「アクロイド殺し」で、思いがけず、クリスティ作品の、いろいろな意味での面白さにふれることができました。この延長線で、さらに読んでいきたいと思います。

蜂の隠喩

シルバーウィーク中に配信で観たうち、2本の映画が養蜂に触れていて、しかも両者がどこかシンクロもしくはオーバーラップしている感じもして、ちょっと気になったので、ここに記しておきましょう。

一つは、『ブゴニア』(ヨルゴス・ランティモス監督、2025)です。韓国映画のリメイクだそうで、オリジナルは観ていませんが、トンデモな宇宙人系の陰謀論に取り憑かれた男たちが、薬品メーカーのCEOを誘拐・監禁するというプロットはほぼ同じだとか。あまたの誘拐・監禁ものでも、陰謀論がらみの妄想系というのはあまりないように思います。その点がちょっと新しい気がしました。
https://www.imdb.com/title/tt12300742/

で、この主犯(今やランティモス映画の常連になっている、以前の「メス・デイモン」ことジェシー・プレモンス)が、趣味で養蜂をやっていて、監禁されたCEO(こちらも常連のエマ・ストーン)と、ミツバチについて語り合う場面などがあります。これまでも、環境問題絡みなどで言及されることの多かったミツバチですが、この映画では、むしろ人間社会の組織そのものに寄せて、それを暗示するというふうですね。

タイトルの「ブゴニア」そのものが、死んだ牛からミツバチが自然発生するという古代の俗信のことです。ウェルギリウスの『農耕詩』にあるほか、10世紀のビザンティンで編纂された農業技術集成である『ゲオポニカ』には、ミツバチを採集するために牛を殺すという、古代ギリシアで行われていた(実際に行われていたかは不明ですが)儀式についても書かれているのだとか。

映画は最後にどんでん返しがあって、人間が全員倒れて息絶えてしまうような風景が描かれるのですが(これ、ある意味、詩的な美しさすらあります)、個人的には、あえてこれを、かつてのクロード・ルルーシュの「迷作」、『ヴィヴァ・ラ・ヴィ』のラストのように、極度のストレス下におかれたCEOが狂気のさなかに見た「妄想」のように受け取りたい気にすらなります。

もう一つは娯楽作品で、ジェイソン・ステイサムのアクションもの、『ビーキーパー』(デヴィッド・エアー監督、2024)です。タイトルどおり、養蜂家になった元最強のエージェントが、社会そのものの養蜂家のごとく、社会秩序を守るため、悪人たちを叩きのめしていくという、どこかで聞いたような、おなじみのシチュエーション、おなじみの話ですね。ステイサムが強すぎて、ちょっと引いてしまいそうになります(笑)。
https://www.imdb.com/title/tt15314262/

勧善懲悪話は、いつもどこか逆説的です。悪を倒す善の側の行為も、やはり悪じゃないの?というわけです。そしていつも、勧善懲悪をもたらすのは、社会の「外部」です。たとえば社会からはみ出した者とか。そうした外部があってこそ、悪でもって悪を懲らしることができる、と相場は決まっているかのようです。

ミツバチに絡めて言えば、ここではやりバーナード・マンデヴィル(17世紀の医者・風刺家)の『蜂の寓意――私悪すなわち公益』が思い起こされます。同書は、副題が示すとおり、たとえば奢侈的な消費が経済発展を促すというように、私的な悪と公益とが結びついている逆説的な状況こそが人間社会であり、善と悪とが表裏一体であることを説いています。悪にも善を導く契機になるなどの、なにがしかの効用があるのだ、というのですね。逆に悪のない世界、完全な統制が効いたミツバチのごとき世界を、理想としてそのまま取り込もうとしても、それはひどく殺伐とした、とても侘びしい世界にしかならないのでは、と。

『ブゴニア』の主犯が目指していたのは、そのような逆説的に荒廃した世界だったのかもしれません。最後の風景をCEOの妄想と取らないならば、外部の力によって、それは実現してしまったのかも……。一方、ステイサム映画で守られる社会秩序というものも、暴力的なものが排除される世界ではなく、あくまで一時的に、社会の一部が、外部の力によって刈り取られるだけのことで、その基本構造は変わらないような「悪しき世界」です。

大変革か現状維持か。いずれにしても、ここで重要なのは「外部」の参入でしょうか。ここで疑問が湧いてきます。では、蜂の組織に対する養蜂家の関係のごとく、人間の社会に関与しうる外部とは何に相当するのでしょうか。変な神秘主義などに逃げ込まないのを前提で考えるなら、これは大いに気になる問いです。

人は簡単にコミットできない?

やはり読みかけ積読本から、アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』(中村妙子訳、早川書房、1973 – 2004)が出てきたので、通読してみました(目に優しくするため、kindle版を買い直してしまいました)。クリスティの、推理ものではない一般小説ですね(メアリ・ウェストマコット名義)。
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1930年代、とあるプチブルの中年女性が、バグダッドに暮らす娘を見舞った帰りに、トルコ国境付近で足止めをくらい、砂漠の地で数日を過ごす羽目になったことをきっかけに、自分の日頃の認識や生活について深く自省する、というもの。以前読みかけたときは、なんだかつまらないグチを聞かされるだけのような気がしていたのですが、歳をとってから読み直すと、「あるある」みたいな感じで、共感できるようになって来たりしますね。

主人公は保守的・保身的で、世間的ばかりを気にし、娘たちや息子、夫、友人たちの不満や望みに対しても、世間的なクリシェでもって対応し、深く考えることをせず、また、潜在意識では気づいているかもしれないことに、きちんと向き合おうともしません。しかし一人で異国の地に留め置かれることで、そうした会話を思い出しては、逡巡し、考えを咀嚼し始めます。このあたり、なかなかスリリングになっていて、推理小説的な謎の解き明かしに通じるものがあります。もっとも、その振り返りは、ある種の偽記憶になっている可能性も、ないとは言えない気もしますが……。

しかし、自分はこれで変わるのだ、あるいは変わったのだ、と自身がいかに確信しようとも、これまでの性格的な傾向はそう簡単には変えられず、新たな自分にコミットするにはなかなか至りません。それをどこか暗示しているようなのが、最後のほうの場面でしょうか。ナチスが台頭し戦争が迫っているかも、という話を聞いても、この女性は結局それを、「ナチスも悪いとは限らない」との友人の受け売りを鵜呑みにして、あっさり受け流してしまいます。クリシェで塗りかためられた自身を打ち壊すのは、そう簡単ではないのでしょうね。クリスティは変化の兆しを丹念に描いたかのようですが、その先の、どこか踏み込みきれない自己をも、厳しく見据えているような気がします。

ホッブズの一元論的唯物論とか

おそらくはご多分にもれず(?)、読みかけで放置したような積読本(未読了の山)というのも個人的に結構あります。最近少し整理したときに再び出てきた『リヴァイアサンと空気ポンプ』(シェイピン&シャッファー、吉本秀之監訳、名古屋大学出版局、2016)もその一つですが、ちょっと思うところあって、少しばかり読み進めてみました。
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17世紀、ロバート・ボイルが空気ポンプの実験で証明しようとした「真空」をめぐり、ホッブズを筆頭とする当時の反対派や賛同者たちの議論を浮かび上がらせた同書。科学史的にはもちろんボイルのほうが主役ということになるのでしょうけれど、個人的には、前に読んだときもそうでしたが、ホッブズの側につい肩入れしてしまいそうになります。それほどまでに、ホッブズが唱える一元論的唯物論が興味深いからでしょう。

世界は物体(物質)で充満している、というのが基本スタンスで、物体でないものは存在せず、ゆえに真空もありえない、というのがボイルに対するホッブズの議論の核心部分ですが、同書によれば、これをホッブズは、社会秩序へと敷衍してみせ、物体以外のなにか(真空も含めて)を持ち出すことは、社会秩序を壊すものでしかない、というふうに、政治的目的のための議論としていたことが示されています。

物体しかないとする以上、ホッブズは、よく知られているように教会からも糾弾され、また王権神授説を否定したことで、国王派からも睨まれていました。一方でそのラディカルな唯物論にもとづき、ホッブズは人間の、欲動的で自己保存志向な本来の姿を想定し、その無軌道な「自然状態」を抑制するために、強大な権力をもつ超越的な統治機構として「リヴァイアサン」を構想したのでした。

でも、この壮大な構想とどこかちぐはぐな感じもするのが、ホッブズの現実的・実践的な対応だったりします。強大な権力機構を夢想していたのに、クロムウェルの共和制をわりと素直に受け入れたりとか。ボイルとその賛同者たちへの批判でも、実験が閉鎖的なサークルでなされていることや、それが哲学的な営為と相容れないことなど、どこか細かい難癖を付けているような印象があったりもします(もちろん、それなりの解釈はありえるでしょうけれど)。ホッブズの人間臭さ……なのでしょうか。

シェイピン&シャッファーの本は、ボイルとホッブズの周囲の人々の話も織り交ぜ、群像劇的な面白さもありますが、なかなか紙の活字本を追うのはしんどいので、とりあえずおしまいまでざっと目を通したものの、細かい点までは追えていません。うーん、少し頑張ってそれらを拾いながら、今度はボイルの側を主軸にして読み直したい誘惑にもかられますが、どうしようかな〜と迷っているところです。再び未読了の山に埋もれる(ちゃんと通し読みしていないので)ことになるのか、どうなのか……?

EPWING辞書(古典語)の現在

長いこと、ギリシア語などを読むために、MacでEPWING辞書を使ってきました。愛用してきた検索ツールはLogophileです。Logophileは2022年に開発を終えていますが、とりあえずIntel版Macでならば動くし、RosettaでAppleシリコンでも使えるみたいだったので、これまで継続使用してきました。でももうじきRosettaもサポートを終えるということで、新しい検索ツールが必要だなと思い始めました。

AIが便利なので、Webベースの検索ツールでも自作できないかなとも思ったのですが、辞書ファイルの解析でさっそく躓いてしまったので(tokenを食いまくり、あげくに出てきた解析ツールはイマイチで)、結局、やはりそこは他力本願で、ということに(笑)。

目をつけたのは、Linux系のツールです。超古いMacbook AirにchromeOS flexを入れているのですが、これに付随するLinux(debian系ですね)で使えるものがいくつかあり、Mac版が出ているものもあることがわかりました。まず、Qolibri というツールがありました。でもこれ、Mac版だと検索結果のパネルが文字化けしてしまうという難点がありました。次に今度はGoldenDictというのも見てみました。これも開発がすでに終わっているようですが、GoldenDict-ng(ngはニュージェネレーションのようです)という派生版が出ていて、こちらは今でも更新されているようです。で、これにMac版があります(https://xiaoyifang.github.io/goldendict-ng/install/)。

辞書ファイルも問題なく読み込め、表示も悪くありません。とりあえずこれは良さそう。というわけで、こちらに乗り換えてみることにしました。今のところ、すこぶる快適です。

ちなみに、辞書ファイルそのもの(個人的には大昔にダウンロードしたものを今も使いまわしていますが)も、今や新規の入手はとても面倒になっています。昔のEWPING for the classicsという貴重なページは、すでに事実上なくなっており、とくに辞書ファイルは見当たりません。唯一見つかったのは、dotsrc.orgのミラーサイト(https://mirrors.dotsrc.org/osdn/classicalepwing/)でした。ただしこれは、もとのファイルの名前がわからないと、どのファイルをダウンロードしたらいいかわからないですね。うーん……。これから始めようという殊勝な若い人にとっては、ちょっと難儀な状況ですかね。