少し前に話題になっていた、稲田豊史『本を読めなくなった人たち――コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(中央公論新社、2026)を、先日ようやく読みました。若い人たちを始めとし、多数の人々が書籍を重視しなくなっている現状を、多角的に捉えた良書でした。
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コスパ・タイパ重視(やな言葉ですけどね)から、ネットですらもはやごく一部の短い文章しか消費されなくなっているらしい昨今。活字というか、文字情報は全般的に、もはや情報取得の中心を占めなくなっているという同書の指摘は、なかなか強烈です。長い文章もさることなら、行間に託された文章の機微とか、果てはオープンエンディングも、もはや人々は受け入れ難いのだ、と(あ、でもこれはわかる気がしないでもないですね)。
同書の慧眼は、それと絡めて、出版業界の諸問題、ひいては読者の問題へと切り込んでいくところでしょうか。無料抜粋がてんで販促になっていない話とか、電子書籍の問題点とか、書店の取り組みの難題とか。確かにカフェ併設の書店などで、本が売上を伸ばすようにはあまり思えません。また、生活に追われる今の学生からすれば、書籍はお金をつぎ込めるような対象ではない、というあたりの話も、確かになあと思うしかありません。全体的な経済的沈下とネット社会の一般化が余裕を奪い、その影響は、書籍販売などへのしわ寄せにもなっている、というわけなのですね。
同書に先立つ、同じ著者の『映画を早送りで観る人たち〜ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社、2022)も見てみました。こちらも相当鮮烈です。
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倍速再生の一般化を手始めに、映画や映像作品の受容・消費を変化についてまとめあげた力作。そこから浮かび上がるのは、若い人たちが置かれた、かなり特殊な、切迫し閉塞した状況です。オタク的なものに憧れつつも、膨大な視聴対象作品を前に、内容を先に知ってから(倍速で予習したりしながら)、余計なストレス(途中のサスペンスとか)をなるべく感じずに、安心して(結末を先に知ってから)消費したい、そうしないと無駄な時間を過ごすことになってしまう(無駄や失敗はとにかく避けたい)……などなど。もちろん同書も、そうした視聴者・消費者に応答する、映画・アニメ業界、評論などの関連業界の現状も絡めて、まとめ上げています。
およそ誰もが余裕を失い、手っ取り早い消費で済ませながらも、なにかに没頭している自分を称賛したい。なんだかとても悲痛な、涙ぐましい努力です。これではまるで、かつて寺山修司の本のタイトルにあった、「地球をしばらく止めてくれ、僕はゆっくり映画を見たい」の、まさに逆さまの世界のようではないですか。二つの書籍は、あくまで現状認識の書として、改善策を提案したりはしませんが、ここまで変容が進むなか、安易な対処法ではとても歯が立たないのは歴然です。
