今年の年越し本は、このところ普段あまり読んでいないフィクションものから円城塔『文字渦』(新潮社、2018)。文字、とくに漢字にまつわる短編集なのだけれど、これが良い意味で人を食ったような、外連味たっぷりの異色短編の連作になっている。古代中国とSF的な未来世界とを行きつ戻りつしながら、生命になぞらえた漢字たちの諸相が描かれるという寸法。どこか小気味よい、壮大な法螺話(失礼)。
作品全体を貫いているのは、その「文字と生きもの」のアナロジー的な重ね合わせ。これはなかなか興味深い問題系でもある。そのアナロジーはいつ頃からあるのか、どのようにして成立してきたのか、などなど。書画を見るときに、どこかゲシュタルト崩壊的な操作を意図的に適用して、描かれた字の止めや跳ねのダイナミズムを見るというのはよく言われることだけれど、漢字というものがそもそも本来的にそうしたダイナミズムを内に含んでいるものだと捉えるなら、そのまま書字は生命の躍動へと直接的に接合できるかもしれない……というあたりが、おそらくはそのアイデアの基幹になっているのだろう。したがってそれは決して新しいものではなさそうだ。ただ、それをなんらかの物語に落とし込むのはなかなか容易ではないように思われる。この作品では、古代中国の書字の成立史や、より現代的・未来的な情報処理の話などが複合的に絡み合い、かなり錯綜感のあるアウトプットになっている。書字を扱うフィクションだけに、音読できないような字や、意味すらも連想できないような字が出てくるのも当然か。ページの字面は漢字で黒っぽくなり(現代の出版の世界では結構嫌われる作りだが、反面それはとても贅沢と言えるかもしれない)、ときおり可読性の限界のようなところにまで突き進んでもいく……。というわけで、これは刺激的な仕掛けに満ちた、読み手に挑みかける巧妙なフィクション、というところ。