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職人たちの幾何学知識(13世紀ごろ)

エリザベス・ジェイン・グレン「中世数学の伝達とゴシック建築の起源」(Elizabeth Jane Glen, The Transmission of Medieval Mathematics and the Origins of Gothic Architecture, Senior Honors Thesis, Sweet Briar College, 2005)という論考をざっと見。(1)イスラム圏の数学の発展、(2)イスファハンの金曜モスク、(3)アラビア数学流入前の西欧の職人的伝統、(4)シャルトルの大聖堂、(5)数学技法の伝達などを取り上げた論文。個人的には、とりわけ(1)と(3)が注目される。(1)では、フワーリズミー(9世紀)による代数学の確立(『約分と消約の書』)とヒンドゥーの数字表記の採用に触れたあと、10世紀の天文学者アブー・アル・ワファによる三角法への代数の応用が取り上げられている。『書記や商人にとって代数学の何が必要かに関する書』『職人にとって幾何学的建設の何が必要かに関する書』などがあるといい、それらの書は職人たちや金曜モスクの建設に影響を与えているらしい。さらに11世紀のセルジューク朝のウマル・ハイヤームの応用数学が言及されている。この人物も金曜モスクの建造に数学的検証関与しているのではないかとされる。

(3)では、そうしたアラブ経由での代数学などが伝わっていない時代の、西欧の建築職人らが受け継いでいた幾何学的伝統が取り上げられている(この話、少し前のメルマガNo.243の自由学芸についての連載でも触れたっけ)。ゲルベルトゥスによる理論幾何学の確立と並走する形で、ローマ時代の測量士以来の実践的幾何学が石工たちの間で受け継がれていたという話で、知識は基本的に師への見習い奉公を通じ、他の建物の検分や実地での試行錯誤の繰り返しで取得されるものだった。ロマネスクからゴシックへの様式の変化も、建物の大型化に伴う対応策の、試行錯誤の産物だったとされている。さらに具体的史料として、13世紀のヴィラール・ド・オヌクールによる画帖が紹介されていて、コンパスや直角定規を用いた測量についての記述が興味をそそる(当時は角度を度数ではなく直角三角形の辺の比で表していたとか、「アルキメデスの螺旋」がアーチの作成に使われていた(?)とか、面白い話が続いて、まさに読みどころ)。オヌクールの画帖はフランス国立図書館(BnF)のサイトで画像公開されている(http://classes.bnf.fr/villard/feuillet/index.htm)ほか、Wikisourceのページでも見ることができる(http://fr.wikisource.org/wiki/Carnet_(Villard_de_Honnecourt))。また、邦語で読めるオヌクールの画帖についての論文として、藤本康雄「ヴィラール・ド・オヌクールの画帖図柄の格子上分類配列」(大阪芸術大学紀要『藝術19』、1996)がPDFで公開されている。

オヌクールの自画像かもしれないとされる画(画帖より)
オヌクールの自画像かもしれないとされる画(画帖より)

鳥をどう見るか−−中世の場合

カム・リンドリー・クロス「あのメロディアスなリングイスト:キリスト教・イスラム教の鳴禽類における雄弁と敬虔」(Cam Lindley Cross, That Melodious Linguist: Eloquence and Piety in Christian and Islamic Songbirds, University of Chicago, 2010)(PDFはこちら)という論考を読んでみる。鳴禽類(鳴き鳥)が中世においてどのように表象されていたかを考察する論考。この前半部分がとりわけ面白い。鳥は古くから聖霊の世界の近く(この世の最果て)に住むとされ、秘密の言葉で秘められた知識を担っている存在として、あるいは天からのメッセージを運ぶものとして描かれていたという。ユダヤ教やイスラム教では、ソロモンがその言葉に通じているとされていたし、キリスト教のイコノロジーでも聖霊が鳥の姿を取るといった描写があった。鳥はその後の西欧の文学的伝統でも、またイスラム圏の文学でもそれぞれ様々に描かれているものの、その背景には人間と動物の関係をどう見るかという問題が横たわっている、と論文著者は言う。アリストテレスは、動物が知性に類する属性を持つ場合もあるが、それは生理学的な偶然によるものだとしているし、後世のデカルトなどは動物は完全に魂のないオートマトンだとしているわけだけれど、たとえばアルベルトゥス・マグヌスなどは、鳥のささやきはつがいを求めるなどの様々な欲望によって生まれ、霊的な軽妙さゆえにほかの動物の声を真似ることもでき、一方でそうした軽妙さは鳥にある種の賢さをもたらしている、といったことを述べているのだそうな。記憶や想像力、推測、同意といった知的機能を、鳥は備えているかもしれないというわけだ。そうしたニュアンスに富んだ見方は、アヴィセンナなどのイスラム圏の思想から受け継いだもの、とされる。イスラム圏においては、動物は人間の所有物などではなく、神に直接帰されるものとして考えられており、人間と動物を基本的に分け隔てる考え方は見出されないという。アリストテレス思想の受容後もそうで、たとえばアヴィセンナは、動物が危険や利益などといった抽象的な普遍概念を、知覚機能を通じて認知できるとしていたのだ、と……。近年、認知言語学との絡みで鳥の鳴き声のパターンなどが分析されたりしているけれど、そうした研究の源流にはアルベルトゥスがいる、なんて考えるとなかなか興味深いかも(笑)。

論考の後半は、バスラの「純粋な心の兄弟たち」と呼ばれる10世紀の思想家たちが著した書簡集から「人間と動物の裁判」と題された文学作品、さらに13世紀の中期英語で書かれた似たような裁判もの、12世紀のフリエトのフーゴー(フーグ・ド・フイヨワ)の「鳥小屋」などの作品を紹介している。

関連書籍:

ブルーノvsペトラルカ主義

再びジョルダーノ・ブルーノがらみで、岡本源太「アクタイオンの韻文−−ジョルダーノ・ブルーノとペトラルカ主義の伝統」(『美学』第61巻2号、2010)という論考を読んでみた。アルテミスの裸を偶然見てしまった狩人アクタイオンが鹿に変えられ、猟犬に食い殺されるという神話を、ジョルダーノ・ブルーノが『英雄的狂気』で取り上げているというのだけれど、それが何のためだったかを問い直そうという主旨の論考。ブルーノはアクタイオンの猟犬を思考の比喩として示しているといい、この比喩自体はペトラルカ主義(petrarchism:文学事典的には、ペトラルカの諸作品の文体、とりわけ複雑な文法や言い回し、凝った比喩などを真似るという文学潮流だとされている)に根ざすものなのだそうだ。しかしながらブルーノは、ペトラルカとその追従者たちに批判的だったといい、とりわけペトラルカがメランコリーを讃える点について否定的なのだという。というのは、ブルーノはメランコリーを「黒胆汁による狂気」とし、思慮からはずれた無秩序な行為に走らせる当のものだと考えているからだ、と。報われぬメランコリックな愛の苦悩からの救済として芸術を位置づけるペトラルカやその追従者たちの理屈は、ブルーノに言わせれば「メランコリーによって混乱した思考が生み出す錯覚にすぎない」のだそうな。ではブルーノの理想とはどんなものなのか?論文著者によれば、それは移ろいやすく流転する自然の中で、同じように芸術もまた流転することを認識すること。さらには、流転しながらも万物の同一性が保たれるような無限の宇宙、流転する質料としての宇宙そのものを認識するということなのだという。で、アクタイオンの寓話を語り直したことも、そうした思想に支えられて、ペトラルカ主義者たちに対抗し批判する意図があってのことなのだろう、と結論づけている。

論考の中で、ブルーノの思想全体を「プラトンの質料主義的解釈」と見るという研究が紹介されていて興味深いのだけれど、そのあたりはあらためて見てみたいと思うので、とりあえず脇にどけておくと、この論考でそれ以外で面白いのは、なんといってもブルーノのそうした背景的思想と、ペトラルカ主義での芸術的理想との対比の部分。ペトラルカ主義の中では、文学的営みというのは報われない愛の苦悩を昇華する形で、愛しの人を卓越した永遠の存在へと変貌させることだとされる。なにやら身も蓋もない代償行為のような感じもしないでもないが(笑)、同論文では、この「永遠」への固定化という安直さに対して、ブルーノが流転概念で応戦する構図が示され、なにやら「静」対「動」という様相を呈していて興味をそそる。一方で、思うにペトラルカ主義のそうした昇華のスタイルはトルバドゥールの伝統などにも根ざしているはずで、だとするならそこには(トルバドゥールの場合のように)意図的にそうした不毛な恋愛関係ないし構図を作り上げようとするといった、どこか倒錯的な遊びのような感覚があることも見て取れそうな気がする。ブルーノのペトラルカ主義への批判は思想的背景以前にそれ自体でとても辛辣であることが同論文から窺えるのだけれど、そうした線で考えるならば、批判の激しさはもしかするとそういう倒錯的な遊びの部分をとりわけ糾弾しているのではないかしら、という気さえする。もちろんこれは現段階でのこちらの放言、あるいは俗っぽい感想でしかないのだけれども……(苦笑)。

14世紀の画家アルティキエーロによるペトラルカの肖像
14世紀の画家アルティキエーロによるペトラルカの肖像

初期ギリシア天文学(ティマイオス研 5.5?)

ペルセウス座流星群のピークの日に(笑)、少し古めの論文だけれど、ゴールドステイン&ボウエン「初期ギリシア天文学の新たな視野」(Bernard R. Goldstein, Alan C. Bowen, A New View of Early Greek Astronomny, Isis, vol.74(3), 1983)というのを見てみた。はるか後代のシンプリキオスやゲミノスの示唆にもとづくのではなく、そうした思想的バイアスや後世からの推測を極力排した上で、初期ギリシア天文学の姿を模索しようという論考。著者らはギリシアの天文学史を二つのフェーズに分けることを提案する。最初のフェーズは、恒星や星座の配置を問題にしていた段階で、紀元前5世紀以前を指す。当時はまだ日時や気象現象を星の出入りと関連づけて、暦を作成することが主要な関心事であり、コスモロジーや惑星の運動への科学的関心とは無縁だったという。著者らによれば、紀元2世紀中盤ごろのプトレマイオスが盛んに取り上げられたのと時を同じくして、それ以前のテキスト、とりわけアウトリュコス(前4世紀)以後の文献が失われてしまい、結果的にプトレマイオス以前の天文学者にプトレマイオスの思想、理論的モデルなどを見出そうとする傾向が、研究者の間でも助長されたのだという。著者らはそうした見方を批判し、最初のフェーズはあくまで暦(παράπηγμα)こそが関心の的だったと考えている。そしてその嚆矢となったのは、紀元前5世紀のメトン(メトン周期で知られる)かもしれないという。

紀元前5世紀ごろには日時計や日中の12分割などがバビロニアから伝えられたとされ(本当にそうなのかは検証の余地ありだと著者らは言うが)、その後エウドクソス(紀元前4世紀)から数学的な説明の気運が高まり、これをもって著者らは第二のフェーズの始まりとしている。ピュタゴラスの音楽学(紀元前5世紀)と、ピュタゴラス派やプラトンのコスモロジー的思弁(物理現象の説明というよりは、美的・倫理的秩序を表したものとされる)の影響を受け、エウドクソスは同心円的な惑星の動きを天文学に持ち込み、さらに地球圏と恒星圏に相当する二つの天球というモデルを打ち出したのだという。『ティマイオス』(成立もほぼエウドクソスの文献と同年代とされる)の多層的モデルはあくまでコスモロジー=道徳的理論の伝統に属しているのに対し、エウドクソスの図式(二層モデル)は「星々の出入りを説明したり、地理的研究の枠組みをもたらしたり、より数学的に洗練された日時計を正当化するため」のものだった、と論者らは言う。

エウドクソス以後は、様々な天文学者によってそのモデルの修正や批判がひとしきり行われ、アウトリュコスなどの著名な学者も出ているものの、紀元前3世紀になると、天文学者たちの関心が惑星のモデルから離れ、月・地球・太陽の距離や大きさ、月の満ち欠け、蝕の現象にまつわる研究などへと移っていくという。2世紀のヒッパルコスになると、バビロニアの天文学の諸成果がギリシアにも伝えられ、惑星現象や月蝕の周期について、数値にもとづく予測なども修得しているという。こうしてそれ以前の学問的伝統はいつしか忘れられていくことに……。とまあ、以上がだいだいの論考のメインストリームだけれど、上にあったような後世のモデルを先行する時代に安易に照射することに対する批判は、なんとも耳が痛い思いがする(苦笑)。


↑エウドクソスの肖像画(出典不明)

不可分論の黎明?

少数派とはいえ、一四世紀にそれなりに議論を展開する例の不可分論の陣営について、その発端はどこにあるのかを知りたいと思い、グルヤール&ロベール篇『中世後期の哲学・神学における原子論』(Grellard & Robert(ed), Atomism in Late Medieval Philosophy and Theology, Brill, 2009)という論集を見始めている。とりあえず最初のマードック「アリストテレスを越えて;中世後期の不可分なもの、および無限の分割性」と、レガ・ウッド「不可分なものと無限:点に関するルフスの議論」の二章を読んだだけなのだけれど、なかなか面白い。まず、マードックのほうは主な不可分論者、アンチ不可分論者をチャートでまとめてくれているほか、いくつかの当時の論点を紹介し、論者たちのスタンスと何が問題だったのかを、アリストテレスからの距離という形で、著者本人言うところの「カタログ」として提示してくれている。ギリシアの原子論にはパルメニデスの一元論への対応や自然現象の説明といった動機があったといい、アラブ世界の原子論(ムタカリムンという学者たち)には連続的創造という教義を通じて、すべての因果関係を神の一手に委ねるという意図があったというが、中世後期の原子論(ないし不可分論)にはそのような大きな、確たる動機が見えてこないらしい。とまあ、いきなり肩すかしを食らう(苦笑)も、気分を取り直して見ていくと、やはり嚆矢とされるのはハークレイのヘンリー(1270 – 1317)だということで、その「無限の不等性」議論などはやはり注目に値するものらしい。これはつまり、連続した線が無限の不可分の点から成るものの、異なった長さの二つの線を比べること、つまり無限同士の比較が可能だという話。ヘンリーは点同士が隣接できるとし、点が互いに接し居並ぶことによって大きさが増えると考えていたという。このあたり、神学も絡んで結構複雑な話が展開しているようだ。

ウッドの論考は、一四世紀の議論の大元のひとつとなったコーンウォールのリチャード・ルフス(1260頃没)の議論を紹介しまとめている。著作から読み取れるその議論は、必ずしも一貫してはいないようで、詳細な説明がない場合もあるようなのだけれど、各著作の摺り合わせを通じて、最適解を作り上げようとしている。それによるとルフスは点を「位置を取る限りで実体のもとにある」と考えているといい(点はもちろん不可分なものとされる)、点が直線の「質料因」(つまり起点をなしているということ)だという言い方をしていることから、唯名論的な概念世界ではなく、外部世界の形而上学的説明を目してることが考えられるという。点は無限に繰り返されて直線をなすのではなく、質料の点的な位置取りが繰り返されて線ができるのであって、点そのものが線を作るのではないとしているという。また球と線が接する場合についても、接するとはそもそも運動であり、接する不可分なものは連続的に移っていくのであって、連続体として(線の流れで?)接するのだと考えているという。このあたりは相変わらず微妙にわかりにくいところではある……。