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「魔術師たちのルネサンス」

当然ながら、忙しい時には、短い断章がたくさん並んでいるような書籍を空き時間でちらちら眺めるというのがやっぱり良い。逆のじっくり型の本は、とぎれとぎれに読むと全体の流れを見失ってしまう(苦笑)。で、澤井繁男『魔術師たちのルネサンス』(青土社、2010)はまさにそんな「忙しい時」の空き時間読書に最適。重そうなタイトルとは裏腹に、ルネサンス全般を軽いタッチで、トピック別に25の短い章にまとめたエッセイ集という趣向か。各章も、著者の身近な話などを枕にしているので、どこかの連載のよう。そんなわけで、どこからでも拾い読みできる。でも、各章はそれぞれもっと長大な論考にも発展させられるような凝縮された内容なので、ややもったいない感じがしないでもない……。古代や中世との繋がりの中でルネサンスを見るというスタンスなので、それらへの言及も多々あり、全体像を手早く眺められるところも好感。枕の生き生きとした筆致が、学問的な内容になるとすっかり姿を消してしまうのがちょっと惜しまれる気も(笑)。

「グノーシス主義の思想」

これは少し前にどこぞで話題になっていたと思うのだけれど、大田俊寛『グノーシス主義の思想 – <父>というフィクション』(春秋社、2009)を読み始める。まだ2章目までだけれど、これ、ぐいぐいと引き込む力をもった、なんとも鮮やかな整理が滅法印象的。こんなりすっきり整理されてよいのかしら、と思えるほど。なにやらチャートっぽい感じとか、かつての『構造と力』を思い起こさせたりもするかも、なんて(笑)(古代思想が対象なので文脈などはかなり違うけれど)。いやいや皮肉っているのではありません。世間に出回っているグノーシスについての多くの言説を、ロマン主義的バイアスがかかったままだとして一蹴し、そこから具体的なテキストに即してその思想の核心を取り出していこうとする姿勢には共感を覚えるし、それを「父」の探求という人類学的な視座からアプローチしているところも、スケールを感じさせるものがあるし。これは次回作も期待できそうな予感……って、先走りたくもなる(まずは後半も読み通してからだけれど)。

ケンブリッジ中世哲学史

少し迷った後に、結局注文を出した『ケンブリッジ中世哲学史』(2巻本)(“The Cambridge History of Medieval Philosophy (2 Volume Boxed Set)”, ed. Robert Pasnau, Cambridge University Press, 2010)が届く。さっそくちらちらと見ているところ。テーマ別編集なので、引きやすそうな印象(辞書じゃないけれど)。問題を扱うときに初期段階で参照することを念頭に置いている感じの作り。とりあえず、第2巻の方にある形相と質料の話に目を通してみる。なるほど、すごく端的な記述なのだけれど、結構参考になるかも。第一質料を基底として質料・形相の複合体が一種の階層をなすという解釈(複合体がまた上位の形相にとっての質料をなす、みたいな感じで、オリヴィやドゥンス・スコトゥスに通じるものがある)は、古くはイブン・ガビロール(アヴィチェブロン)に見られるのだそうで(『生命の泉』は以前にを少しだけかじって積ん読になっているなあ……)、主にフランシスコ会系のスコラ学者がその立場を受け継いだものの、アルベルトゥス・マグヌスやトマス・アクィナスのころには、むしろ質料はあくまで物質界にのみ関わるという見識が席巻するようになったのだという。質料は純粋な可能態ではない、というスコトゥスの議論は、一方にはガビロールからの流れがあり、一方にはドミニコ会系の議論への反論という側面もあり……当たり前だが、結構背景は複雑かも。

「異端者の群れ」

積ん読になっていた渡邊昌美『異端者の群れ – カタリ派とアルビジョア十字軍』(八坂書房、2008)を読み始める。これ、もとは1969年に刊行されたものだとか。ほぼ40年経っての再版とは、なんとも幸福な書籍だし、こちら読者にとっても僥倖。八坂書店のこうした再版シリーズ(とは銘打っていないが)はとてもありがたい企画だ。今後ともぜひ続けてほしいところ。副題にあるように、カタリ派やアルビジョア十字軍の概要を、幅広い文化的コンテキストから捉えようとする好著。とくに冒頭の三分の一くらいまでは、オクシタニア全般の文化的諸事情を俯瞰する内容で、見事な整理手腕。12世紀ごろの南仏というのも、文化的にも地政学的にもなかなか興味深い。一面では北仏に経済的に遅れた後進地域ではあったのかもしれないけれど、それにしてはトゥルバドゥールなどの宮廷恋愛詩とか、文化的にはある種の異文化混淆でもってとても豊かだったりし、そのあたりの溝というかギャップというかはどう整理されるのか、というあたりがやはり注目点か。まだ途中までしか読んでいないけれど、どうやらカタリ派や同時代の一連の異端派に、それらの溝を架橋する動きのようなものを見て取れるかもしれない、という印象を強く抱かせる。

「中世の狂気」その2

少し前に挙げたミュリエル・ラアリー『中世の狂気』。雑用その他で中断し、いろいろ難航しつつ、やっと読了。文学作品や図版など様々な史料を活用していて、そのあたりはとても興味深いのだけれど、いざ本格的な疾病学・病理学的な話とか治療の話とかになると、意外に淡泊だった印象。一昨日記したことにも関係する感じもしないでもないけれど(笑)、フーコーがかつて17世紀を狂人たちの「大拘禁時代」とした際、それ以前からも病院・監獄への狂人の収容があったと付記したことを受けて、ジャン・アンベール『フランスの病院の歴史』という本(81年刊らしい)では、14世紀に排除の意志による狂人の収容があったみたいなことを述べているのだそうだけれども、ラアリーは、たとえそうだとしてもそれ以前の事情は複雑だった、と若干の留保を加えている(p.286)。12世紀から13世紀にかけては、そもそも入院施設は貧者の介護所だったとし、実際に当時の狂人たちはほかの入院患者に混じって院内で生活していたという。もちろん、一方では狂人が周縁化し排斥されていく事実もあったというのだけれどね。総じて同書は、中世世界の二面性、矛盾するもの同士の混在、多義的な意味世界を繰り返し強調している感じ。なるほど、当たる史料が少なければかかってしまうかもしれないバイアスを取り除こうとすれば、必然的にこうした総覧的な記述にならざるをえないということなのか……。こういうテーマでの歴史記述は難しいのだろうなあ。