雑感 – ウエルベックとユイスマンス

Soumission以前購入して積ん読にしてあったミシェル・ウエルベックの『服従』を、空き時間読書ということで読み始める。一年前からのフランスでの一連のテロ事件で脚光を浴びただけあって、すでに邦訳も出ている(速っ!)のだけれど、せっかくもとの本(MIchel Houellebecq, Soumission, Flammarion, 2015 )を買ったので、そちらで読んでいる。時間的制約からあんまり進まず、今、約三分の一くらいのところ。でもなかなか読ませる筆致。主人公は大学の教師で、ユイスマンスの研究で学位を取ったという設定だ。80年代的(?)なクリシェっぽい教師像がどこか今風ではないのだけれど(学位取得後の業績があまりないのに教授になっていたりとか、女子学生とよろしくやっていたりとか)、そのデカダンな雰囲気は『さかしま』の主人公を多少思わせもする(もっとも方向性は逆……というか、『服従』の主人公ははるかに俗っぽい感じだけれど)。描かれる舞台は2022年の大統領選で、フランスのための連合(現実世界では共和党になったが)は勢いを失い、国民戦線は極右色を薄めて票をさらに伸ばし、社会党は国民戦線の大統領選出を阻むべく、新興勢力のイスラム主義政党と決選投票で手を組む、という実に興味深い設定になっている。プジャダス(F2の現キャスター)が現役で公開ディベートの司会をしていたり、社会党はヴァルス(現首相)が代表になっていたり、思わず苦笑(?)を誘うような点もいろいろあるけれど、一種のパラレルワールドとして見ればとても興味深い。

この『服従』のおかげでユイスマンスの著書が少し売れているという話も聞いた。うーむ、意外なところで意外な対象が脚光を浴びるものだ。個人的にはユイスマンスもあまりちゃんと読んではいないのだけれど、昔から妙に惹かれたりはしている。『大伽藍』などは、手軽に読める邦訳は抄訳(出口裕弘訳、平凡社ライブラリー)だけだったけれど、その省かれた部分の一部が以前『神の植物・神の動物』(野村喜和夫訳、八坂書房、2003)として別に出たりもして、結構嬉しく読ませてもらったりもした。でもやはりユイスマンスで最も面白そうなのは、その実人生において、いかに黒魔術にはまり、そこからいかにカトリック信仰への転回を遂げたのか、というあたりではないかなと思う。文学研究的にはどのように解釈・評価されているのか気になって調べようと思ったら、いきなり、まさにそれを追った長大な評伝が出ていることを知る(大野英士『ユイスマンスとオカルティズム』、新評論、2010)。これはぜひ見てみたいと、いきなりアマゾンでポチッた、というのがイマココの状況。