先日、DVDで映画『アレクサンドリア』(原題はagora。アレハンドロ・アメナーバル監督作品、2009年)を観た。4世紀末ごろにアレクサンドリアで活躍した女性哲学者・数学者・天文学者ヒュパティアを主人公にした歴史もの。それほど長尺でもなく、割とストレートな展開で最後の虐殺エピソードにまでいたる。セット(一部はCGかしら?)がなかなか見事。図書館とか、実際にありそうな感じ。こういうのを観ると、どこまでが考証に基づいているのかやはり気になる(笑)。で、以前ヒュパティアを扱った論考がどこぞで紹介されていたことを思い出し、ちょっと目を通してみた。ブライアン・ホワイトフィールド「推論の美:アレクサンドリアのヒュパティア再考」というもの(Bryan J. Whitefield, The Beauty of Reasoning: A Reexamination of Hypatia of Alexandra, The Mathematic Educator Vol.6, 1, 1995)(PDFはこちら)。従来、ヒュパティアは強硬派の総主教キュリロスによって異教のために殉死し、かくしてアレクサンドリアの異教的な伝統は根絶やしにされたと言われてきたというのだけれど、この話は史実にそぐわないと著者は言い、史料をもとに、より正確なヒュパティア像を描き出そうとする。まず、そうした史実の歪曲がどう織りなされてきたかを取り上げている。歪曲はアテネのダマスキオス(異教側)によるキュリオス批判から始まっているといい、それは後に18世紀のエドワード・ギボンやジョン・トランド、19世紀のチャールズ・キングズレーの小説作品を経て、20世紀のカール・セーガンにまで受け継がれるという。
で、著者は、教会史家のソクラテスやスーダ(10世紀から11世紀ごろに書かれたビザンツの百科事典)、ヒュパティアの弟子シュネジウスの書簡や文章などをもとに、ヒュパティアの死の責任がキュリロスにあるというのは拡大解釈であること、ヒュパティアが属していた新プラトン主義はその後も存続し続けること、ヒュパティアがキリスト教と対立していたというのは誤った解釈であることなどを論証しようと試みる。ヒュパティアの死はキュリロスに責任があるというよりも、むしろキリスト教対ユダヤ教の騒然とした暴力的雰囲気の中で、キュリロスとオレステス(アレクサンドリア総督、ヒュパティアの弟子ともいわれ、映画ではさらに求愛して振られる人物として描かれている)との対立に巻き込まれる形だったのではないかとしている(映画もこれを踏襲している)。また哲学的伝統しては、ヒュパティア後もアンモニオス、フィロポノス、オリュンピオドロスなどが輩出している。また、シュネジウスによれば、彼女が教えていたのは、イアンブリコスのような宗教化したプラトン思想ではなく、ポルフュリオス系列の伝統的なものだったという。スーダによると、その教授法もキュニコス派を思わせるもので、求愛者に対して生理の布を示して断るキュニコス的エピソード(映画では求愛したオレステスにこれをやってのける)もあったという。数学・天文学面のでは、著作こそ残ってはいないものの、父親のテオンの天文学研究をさらに進めた可能性もあるようで、さらにアポロニオス(射影幾何学の基礎を築いた人物)やディオファントス(代数学の父とされる)の注解を記していたらしく(スーダによる)、高次方程式の解法に代数と幾何を併用するという当時のアレクサンドリアの数学的成果にヒュパティアが関与していた可能性は高い、と……。
映画ではダオスという奴隷が重要な創作キャラとして登場している。さらにこれも創作部分だろうけれど、ヒュパティアがアリスタルコス(紀元前3世紀ごろ)の太陽中心説にインスパイアされ、ケプラーに1200年ほど先だって楕円軌道を推論するというくだりもある。うーむ、こうしてみると、創作部分を散りばめつつ、最近の知見に立脚した作品作りという姿勢が見えて、いっそう好感度が高まってくるぞ>『アレクサンドリア』。