以前メルマガのほうで、中世の胚胎論を見たのだけれど、そのときに翻訳(仏訳)で眺めた「ガウロス宛て書簡」(問題含みながら一応ポルフュリオスに帰属させられている)という文章の原文が、校注版・対訳の形で刊行されている。『ポルフュリオス:胚が魂を受け取る仕方について』(Porphyre, Sur la manière dont l’embryon reçoit l’âme, collectif, Vrin, 2012)。『書簡』の議論は出生時に理性的魂が外部から注入されるというのが主要な論点なのだけれど、外部からという点は何度も強調されるものの、具体的にどのタイミングで、どのようなプロセスで注入されるのかは(ある意味当然というべきか)曖昧にぼかされている。今回読み直してみて、改めてそのあたりがとても気になった。
原文・対訳に先立って収録されている解説論文のうち、個人的にとくに興味深いのはヴェロニク・ブドン=ミヨーによる「ポルフュリオスに帰された『ガウロス宛て書簡』と、生命付与に関するガレノスの理論」(Véronique Boudon-Millot, L’AD GAURUM attribué à Porphyre et les théories galéniques sur l’animation de l’embryon, pp.87-102)と題された論考。ガレノスが生命付与に関して取り上げた文章というのはそもそも見当たらず、魂がどういった性質のものなのかすら与り知らないという姿勢を示しているというのが従来からの見識だったというが、2005年にテッサロニキで、ガレノスの晩年の書とされアラビア語訳しか伝わっていなかった『自らの見解について』といういわば思想的「遺言」の、ギリシア語全文が再発見されたのだそうで、それにより、ガレノスの基本的な姿勢がいっそうはっきりとしたという。ガレノスは魂というものは端的に「知りえない」事象であると考えていて、「身体が四元素から生成する以上、魂が身体とともに作り上げられるのであれば、同じく四元素から生成し、別の原理によるのではありえない」といった内容の文言(ちょっと正確ではないけれど)も記しているのだとか。種子に魂が宿っている可能性(『書簡』はこれを否定するのだけれど)についても、全面的に採用も否認もできないと慎重な立場を取るという。基本的に治療を重んじていたガレノスは、魂の付与よりもむしろ、発生を司る機能を特定することに注力している。『書簡』が擁護する出生後の理性的魂の付与については、ガレノスはこれを支持しておらず、解剖に依らずにはどの部位が関与し、その機能は何かはわからないとして、暗に脳の形成期(肝臓と心臓に続く)にそうした「魂」と呼ばれるもの諸機能が成立すると見ているらしい。かつてはガレノスの書かもと言われていた『書簡』だけれど、こうしてガレノスと真逆の思想的立場に立っていることが改めて明らかに……。