ラルフ・ノーマン「アベラールの遺産:なぜ神学は、理解を求める信仰ではないのか」(Ralph Norman, Abelard’s Legacy: Why Theology is not Faith Seeking Understanding, Australian eJournal of Theology, 10, 2007)という論考を眺めてみた。ちょっと意外なのだけれど、「神学(テオロギア)」という言葉は、たとえばアンセルムス(11世紀)などにおいては一度も正面切って使われていないのだという。西欧においてその言葉が用いられるのは、事実上12世紀のフランスで活躍したアベラールからだったというが、とはいえその用語は、一般に言われるような「信仰を通じて理解を求める上での学知」というような意味合いではまったくなかったという。うーん、アベラールから?そうだったっけ(もちろん、アリストテレスが『形而上学』においてテオロギケーを用いているとかは、さしあたり脇に置いておく)。とりあえず著者の議論を追っておくと、アベラールはそれを神の本性をめぐる論考のタイトルに用い、さらにキリスト教教義の様々な面に関する問題(議論)の意味でも用いているという。要するにそれは教義の正当性を示すために用いられる理性的議論のことで、アベラールの『然りと否』が示すように、それまで問われることのなかった、教父の権威にもとづくキリスト教世界の世界観への批判的攻撃を意味していた。で、論文著者は、この権威への疑念こそがスコラ学の方法論の鍵であり、しかもそれは一二世紀の否定神学を強化することにもなった、と見ている。
クレルヴォーのベルナールなどはアベラールを合理主義者として批判しているわけだけれど、当のアベラールは、ディオニュシオスの否定神学の影響を受けて、神の神秘性について鋭い感性を保っていたらしい。その上で、神学というものは、有限の人間理性が神をめぐる教義の議論に貢献しようとする試み以上のものではないと考えていたという。信仰とは突き詰めれば不確かな「推定」にほかならず、あいまいかつ矛盾する信仰の表出の数々に対して、どの立場が最も真実でありえそうかを評価するのが神学の役割なのだ……と。そうした考え方は見るからに否定神学とフィットし、かくして様々な伝統的教えは互いに相対化されることになる。大学などでの神学の拡がりを煽ったのはまさにそうした方法とスタンスがあればこそだった……。論文著者の括りでは、後のトマス・アクィナスもまたそうした流れの申し子とされる。アベラールの合理的懐疑の精神を受け継ぐ形で、またその否定神学的なスタンスも踏襲する形で、論理的整合性を神学の分野にまで広げていたのだ、と。