というわけで、ブノワ・パタール編『ジャン・ビュリダンの霊魂論』(Benoît Patar(éd), Le traité de l’âme de Jean Buridan, Éditions de I.S.P, 1991)を入手してみた。まだ巻頭の解説(それだけで200ページもある)をちらちらと見てみただけだけれど、それによると、人間の魂が、天空を動かしているような不変・不滅の霊魂の一部をなしているのかどうかという当時盛んに議論されていた問題について、ビュリダンは微妙な立ち位置を示しつつ不滅論を肯定しているようだ。「知的魂(人間の)が質料に由来していないからといって、それが過去において永劫的に存在したことにはならない」と述べて、魂を永劫的な存在ではなく神の創造に結びついているとする一方で、生成によって形作られる存在と、神の創造によって存在するようになったもの(すなわち魂)との区別を設け、前者における消滅とは質料に帰することだが、後者の場合、つまり魂においてそれを成立させる条件がなくなる場合(神がそう意志した場合)には、それは消失(無に帰すること)を意味するとし、「あるものが存在しなくなりうる事実をもって、それが自然本性的に不滅ではないということにはならない」と、自然本性的な魂の不滅を肯定する立場を述べている(らしい)。
ところが、より最近ものだけれど、そうしたイメージと少し違った描き方をするものも出ているようだ。たとえばエンマ・ナイト「叙任論争とは何をめぐる論争だったのか」という論文(Emma Knight, What was the Investiture Controversy a controversy about ?, Durham University, Department o f Politics, 2005)では、ペトルスはより実利的・現実的な対応をしたのだという解釈を示している。当時のシモニアはあまりに多く、一方でそれまでシモニアを封じる対策がほとんど取られてこなかったという事情もあり、ペトルスは、再叙品の選択は非現実的で、また教会にとって害の方が大きいと判断したというのだ。さもないと司教が行う叙品そのものに支障をきたすようになってしまうし、叙品された聖職者も足りなくなってしまうからだ。さらに同論文は、ペトルスの著作は世俗の権力の役割や重要性を思慮深く省察しているとも述べている。うーん、理想を求める厳格主義者か、リアルポリティクスを重んじる実利派か。ペトルスの評価はここへきてなにやら両義的なものになってしまう……(?)。
ポール・D・ブエル「ペルシアその他西欧の医学的知識はいかに東へ、また中国の医学的知識はいかに西へ移動したか−−ラシッド・アルディーンその他の役割についての概観」(Paul D. Buell, How did Persian and Other Western Medical Knowledge Move East, and Chinese West? A Look at the Role of Rashīd al-Dīn and Others, Asian Medicine, vol.3, 2007)(PDFはこちら)。モンゴルを中心とした14世紀の知の移動についての論考。グローバルな視点で描きだそうとする記述のどこかしら壮大な感じがなんとも圧巻。寡聞にして知らなかったのだけれど、13世紀末から14世紀初頭にかけて、東方の知を西側に伝えた仲介役として、ペルシアの医師だったラシッド・アルディーン・ハマダニ(1247〜1317)という人物がいたのだそうだ。でもこの論考は、そのラシッド・アルディーンについてというよりも、逆に西洋の知は東にどう伝わっていったのかという、いまだあまり潤沢に検証されているとは言いがたいらしい問題にスポットを当てて、モンゴルが果たした役割について概要を示してみせるという主旨の一本。モンゴル帝国は多文化・多言語に開かれていて、イランやアラブ世界の様々な知や文化的事象(軍事・行政から技術、医学などの諸学、料理にいたるまで)を東の中国へと橋渡しすることになったといい(とくに1260〜94のフビライ・ハーンの時代)、宗教も景教ことネストリウス教、中国古来の信仰、さらには王朝の宗教となるチベット仏教などが尊重された。
仏語訳でミラード・メイス『ペスト後のフィレンツェ/シエナの絵画』(Millard Meiss, La peinture à Florence et à Sienne après la peste noire: Les arts, la religion, la société au milieu du XIVe siècle, trad. Dominique le Bourg, Hazan, 1994-2013)を読んでいるところ。なぜ仏訳かというと、単純にタイトルだけ見て(翻訳ものだと知らずに)ポチってしまったから(苦笑)。原書は英語で、結構古い(Millard Meiss, Painting in Florence and Siena After the Black Death, Princeton Univ Press, 1951-1979)。でも、内容的には結構面白く、1994年になって改めて仏訳が出たというのも頷ける気がする。社会史と絡めた美術史というスタンスが強く出るのは、ペストの話が前面に出てくる二章以降。まず、ペスト禍後のフレンツェとシエナの社会情勢が概観される。生き延びた人々は直後の短い期間、快楽を追い求めるなどの反動に出、それ自体はすぐに止むものの、そこで培われた反俗的態度は後々まで定着する。一方ではペストを神の罰と見なすような罪悪感、こちらも後々まで敬神・神秘主義として存続する。社会全体では、モノ不足で物価が倍増するなど経済が混乱し、周辺地域から都市部への人口流入も加速する。新しい富裕層が出現し、と同時に貧富の差は拡大する。そんな中、文化的営為・絵画表現にもそれなりの影響が現れないわけにはいかない……。