サリンベーネ

フランシスコ会が初期の素朴かつ清貧な修道会から一大勢力となっていく過程というのはとても興味深いものだろうと思うのだけれど、そうした過程へのアプローチの一端として、フランシスコ会に属し同会派の年代記作家としても知られるサリンベーネ・ディ・アダム(またはパルマのサリンベーネ)を扱った論文を読んでいるところ。ロバート・C.ジェイコブズ「サリンベーネ・ディ・アダムの年代記を用いた、13世紀北イタリア都市内でのフランシスコ会士の位置づけ」というもの(Robert C. Jacobs, Locatiing the Franciscans within the Cities of Thirteenth Century Northan Italy, Using the Chronicle of Salimbene de Adam, Thesis, University of Winnipeg, 2007)。まだざっと前半を見ただけなのだけれど、このサリンベーネという人物もなかなか人間臭くて面白そうだ。世俗の人々をも含む様々な人物との幅広い交友関係があったようで、著書の『年代記』は当時(1167年から1287年までを扱っているという)の会派内の論争や日常生活を丹念に報告しているという。一方でフィオーレのヨアキムから多くの影響を受け(とくにヨアキムがフランシスコ会派を「第三の時代」の予兆だとした点は、サリンベーネ本人のフランシスコ会への入信を強く後押ししたようだ)、『年代記』には随所にその言及があるという。もっとも、サリンベーネ自身は後になってヨアキムへの傾倒を否定し、批判を加えているらしい。また、サリンベーネはペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』には色々な誤りがあるとして、ヨアキムほど過激な態度ではないにせよ(ヨアキムはロンバルドゥスは異端だと主張していたという)、そうした問題点を列挙していたりもするそうだ。

『年代記』もまたある意味で面白そうなテキストだ。論文著者によるとそれは、修道女になった姪のために記したといいながら、ほかに様々な執筆動機が見え隠れするという。そこには部分的な自己の正当化もあれば、富裕層や権力者を重んじる姿勢が本人の見解を歪めていたりもするという。細かな生き生きとした描写に隠されてしまっているようなのだが、13世紀末に本人が60歳代になってから振り返って記したものだけに、読み手に読んでもらいたいと著者が思うことだけが取り上げられているきらいもあるというわけで、論文著者の見解では、そのテキストはときに「木目に逆らって」読む必要もあるという。論文後半はそのテキストに沿って、フランシスコ会と世俗の聖職者との論争、あるいは会派の拡大にともなう変化(修道院の建築プロジェクトなど)などを追っていくようだ。ちなみにサリンベーネの『年代記』は、1986年の英訳版がアマゾンでかなり高額な値段を付けている(苦笑)ものの、1942年版の第一巻や、1882年のイタリア語版などはオンラインで読むことができる。