続く箇所(3.5 – I 16)では、上位の存在について、それらが肉体(あるいは物体性)をもつかどうかという問題は基本的に不可知であることを説いている。
(3.5)あなたの書簡には続いて、肉体をもつかもたないかで神々をダイモンと区別するということが記されている。その区別はこれまでの区別よりもはるかに一般的で、それらの存在の個別の属性を示すことからかけ離れている。そのため、それらについても、それらに付随することがらについても、推測することはできない。というのも、それらが生物なのか生物ではないのか、それらが生命を欠いているのか、あるいは生命をまったく必要としていないのかを、その区別から知ることはできないからだ。さらに、一般的なもの、または多数の差異について述べるとするなら、どのような意味でそれらの語[肉体をもつ、もたない]が言われているのかも、容易には推測できない。一般的なものについて述べているのであるなら、肉体をもたないものを直線や時間、神、ダイモン、火、水といった類のもとに置くとしたら不条理である。多数性について述べているのであるなら、あなたが「肉体をもたないもの」と言う場合、明らかな像よりも神について述べるのはどうしてなのだろうか?あるいはあなたが「肉体をもつもの」と言う場合、ダイモンよりも土について問うほうがよいと思わないのはどうしてだろうか?というのも、ダイモンに肉体があるのか、肉体を超越しているのか、肉体を用いるのか、肉体を取り巻いているのか、それのみが肉体であるようなものなのかなどは、確定されてはいないからだ。だがおそらくは、そうした区別を徹底的に検証してはならないのである。あなたは自分の理解としてそれを示しておらず、他者の臆見を提示しているのだから。