久々にゲント(ガン)のヘンリクス。その『スンマ』の冒頭部分の羅仏対訳版が、『人間の認識の可能性について』(Sur La Possibilité De La Connaissance Humaine, trad. Dominique Demange, Vrin, 2014)というタイトルでつい最近刊行されていた。ヘンリクスといえば、このところ個人的に関心を煽られている懐疑論の系譜においても重要な人物。というわけで、さっそく同書から、ドミニク・ドマンジュによる冒頭の解説をざっと読みしてみた。ヘンリクスが考える認識論(人間の)は、基本的にアウグスティヌスに準拠しており、一三世紀に隆盛を見た範型論(exemplarism:知識はすべて、神の教えにおける範型の認識を拠り所とするという説)の一端に与っているという。けれどもヘンリクスの場合に特徴的とされているのは、古代の懐疑論を再構成してそれを論駁の対象としながら、自然的理性の不十分さを説き、神の介入を正当化しようというその独特の議論構成だという。懐疑論は中世には若干の例外(ソールズベリーのジョンなど)を除いてほとんど見られないといい、結果的にヘンリクスが向かう先も古代の論客たちということになったようなのだけれど、その際に典拠とされているのが、アリストテレスがソクラテス以前の諸学派に反論している『形而上学』第4巻と、新アカデメイア派を取り上げているキケロの『アカデミカ』だという。この後者はまた、アウグスティヌスがアカデメイア派について知りえた際の主たる典拠にもなっていて、ドマンジュの解説によると、ヘンリクスはキケロとアウグスティヌスが相互に対立関係にあることにあえて目をつむっているらしい。ほかにも範型論内部でのヘンリクスの立場や、ヘンリクスに対する後からの批判など、いろいろと興味は尽きない。