リベラ『哲学の考古学』から、7回めの講義を。普遍論争を三派(実在論、唯名論、概念論)による三つ巴の戦いのように描くという動きは、近代においてブルッカーに始まるらしいのだが、ブルッカーはそれを、ヨアンネス・フィロポノスの師匠だったアンモニオス(アレクサンドリアの)の議論などに帰しているのだとか。つまり、プラトン、アリストテレス、ゼノンの対立関係で、普遍論争はそれが繰り返される形で行われている、と主張していたわけだ。一方、17世紀スコットランドのダガルド・ステュワートは、この三元論をより整理された形で示しているらしい。概念論は唯名論から派生したものと見なされ、普遍がそれ自体として実在しないという立場を共有しているとされる。ではどこが違うのか。ステュワートによれば、思考の対象をどう捉えるかにおいて、唯名論と概念論は決定的に分かれる。つまり、思考の対象は観念ではなく言語である、とするのが唯名論であり、言語を介在させずに類や種を直に対象とするのが概念論だというのだ。なるほど、オッカムの直接認識などを思い起こさせる。ちなみに、ステュワートやトマス・リードは概念論の旗手としてロックをやり玉に挙げていたというが、ステュワートからすると、リードもまた概念論寄りだとされる。
ステュワートのこの三元論は、もとを正せば上のブルッカーを参照し、さらには17世紀の学者ダニエル・ゲオルク・モルホフ(唯名論に三種類ありとしたのは、この人物が嚆矢とも言われる)をも引用しつつ進められているといい、必ずしもなんらかの原典にもとづいているわけではないらしい。あくまで二次文献に依拠し、しかもごく限られた記述をもとにしている点で、哲学史にこの三元論はそれ自体で批判の対象にならざるをえないのだが、リベラはそこに、考古学が切り込んでいくべき錯綜関係の糸口を見いだそうとする。たとえば、同じく三元論を唱えるフランスのクザンの場合などに顕著であるように、それは民族主義的な意味合いをも担っており、きわめて作為的なものにもなっている。考古学的視座によって、そのことはいっそう鮮明に焙り出されていく、ということなのだろう。同じくフランスのジェランドの場合、やはりブルッカーに依りながら、一方ではステュワートにも批判的で、中世の概念論と称されるものは、17世紀ごろからの「観念論」と呼ばれるものと同じであると主張する。ジェランドにとっては、アベラールは「普遍が対象物に現実的な基礎を置いている」とみなす点で、純粋に概念論的ではなく、実在論寄りでしかない。概念論は、アベラールの最も独創的かつアリストテレス寄り・実在論寄りな(とされる)部分を(普遍は事物に現実的な基礎をもつとする)を斥ける形で、アベラールの後に生じたのだというわけだ。ジェランドの依拠する文献には、ソールズベリーのジョンの『メタロギコン』があるといい、それが他の著者にない独自性とされるもの、論拠はその一点だけで、やはりその乏しさは否めない……。
そしてまた、その実在論寄りのアベラールという解釈も、そのもとになっているのはトマスによる『命題論註解』での「事物に現実的な基礎をもつ(cum fundamento in re)」という文言なのだといい、そこから派生しているものだとリベラは指摘する。それが回顧的にアベラールに投影されている、ということなのだろう。こうして、歴史記述の錯綜感は、なお一層鮮明かつ深まっていくかのようだ……。