(初出:deltographos.com 2023/07/06)
昨年末くらいに文庫化されたポール・ド・マンの『読むことがアレゴリー』(土田知則訳、2022)を、とくに第二部のルソー論を中心に、このところつらつら読んでいました。抜粋などにしか触れることがなかったので、やっと目を通すことができた〜という感じです。
このルソー論、評判通りとても刺激的なものでした。これ、ルソーにおいて、名指される対象としての「個」と、社会のほうへと開かれていく「一般」とが取り結ぶ微妙な関係性を、いくつかの著作から読み取っていくというものなのですね。両者の関係がどちらかにきっちり切り分けられずに、ある種の緊張感を伴いながら、どっちつかずの宙づり状態で保持されていることが、ルソーの思想的な核心部分をなしている、という解釈です。脱構築的な読みとして、これはとても面白い読みの試みです。
個と一般の関係性は、それぞれの著作の個別的な箇所から浮かび上がるテーマである以上に、著作全体、テキスト全体を貫く底流にもなっているのではないか、そのように敷衍して読むこともできるのではないか、というわけです。そもそもルソーの著作というと、一般に、とても個人的な真情吐露のようにも見える私的エセーと、政治や社会についての論とに分かれるように思われがちですが、その実、両カテゴリーは密接につながっていて、いずれの側を掘り下げていっても、もう一方の側が頭をもたげるような、そんな修辞の構造が見いだせる、あるいはテキスト構造としても見いだせるのではないか、と。
研究的な営為としての文学は、やはりこのようなスケールでないとつまんないよなあ、と思ったりもします。あ、でももちろん、万人にできる芸当ではないというのは重々承知しています……。