今年の夏読書も、ちょっとした「難物」に取り組んでいます。スタンリー・カヴェル『理性の呼び声』(荒畑靖宏訳、講談社選書メチエ、2024)がそれ。日常的言語の哲学を考え抜くことによって、伝統的な哲学に切り込み、返す刀で、あまねく広がる(世間的な?)懐疑論に抵抗(?)しようという、なにやら刺激的な議論……のようなのですが。
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ところがこの本文は、一筋縄では行きそうにありません。カヴェルの依って立つところが、日常言語を重んじる立場(そもそもの出発点からして、哲学が通常の言語とは別の言語を語っているかのように示されることを批判する立場)なので、提示される事例(例文というか)は卑近なものだったりもするのですが、そこからその事例を前提に繰り広げられる推論、疑問、展開の数々が、文字通り広範に積み重なっていく感じです。それらを受け止めるには、読み手の側に、かなり大きな記憶領域、というか、ある種の「バッファ」が必要になってきます。こりゃ丁寧に読み進めるのは大変です!
もちろん読み飛ばしてしまうことだってできなくはないでしょうけれど、それだとなにか勿体ない気もします。ここは著者の議論に身を委ねてみたいところなのです(そういうふうに誘われてることも確かです)が、なかなかうまく前に進んでいきません(苦笑)。
普段、あとがきとか巻末の解説などから読むというのはあまりしないのですが、ここでは全体の見取り図を先に知るため、それが肝要かもしれませんね。そんなこんなで、このやや苦行的な読みは、まだしばらく続きそうです(そのうち放り出さないとも限りませんが(苦笑))。でも、内容的にはとても興味深いものです。なにしろ、ウィトゲンシュタインとオースティンにもとづく、言語哲学の再考なのですから!