フィクションの枠、というもの

独特の理屈が幅を利かす田舎の情景が、作品内でなにがしかの変容を遂げるような映画を、配信で立て続けに2本ほど見ました。今どきの作品だけあって、単に二項対立的な型(都市/地方とか、世代間とかの)にすんなり収まるようなものでは当然ありません。

一つは『熊は、いない』(2022)。『人生タクシー』などで知られるイランの監督ジャファル・パナヒの作品です。
https://www.imdb.com/title/tt20205236/

イランから出られないパナヒ監督は、トルコから偽パスポートで出国しようとする男女の映画を、イラン国境近くの村からリモートで指示を出して撮影しています。ところがそのうち、その村の古くからの風習によってある男性の許嫁になっていた女性が、別の男性と一緒にいるところを、パナヒが写真に収めたのではないかとの嫌疑が持ち上がり、村を挙げての騒動に発展します。

その村の話も、トルコからの出国話も、最初はドキュメンタリーっぽいフィクションという感じなのですが、やがてジャンルが微妙かつ曖昧に溶け合ってしまうような、微妙な展開を遂げていきます。トルコ側の話の女優さん(?)が、メタフィクションであるかのように、パナヒに文句を言い出します。そのせいで、それまでのフィクションの枠が微妙に判然としなくなるような、いわば軽い宙吊りの状態にもっていかれます。この演出は興味深いですね。国境近くの村の話にも、その宙吊り感は同じように影響をもたらさずにはいません。村の情景がほんの少し、フィクションから浮き上がって見えてくるとでもいいますか……。

ちなみにこの作品完成後、パナヒ監督は当局によって本当に身柄を拘束されてしまったといいます。このところの反体制デモの中、監督がどうしているのか気になるところです。

もう一つは、『おんどりの鳴く前に』(2022)。パウル・ネゴエスク監督作品。ルーマニアの監督ですね。
https://www.imdb.com/title/tt14820500/

職務もどうでもよく、ただ家を売って果樹園を所有したいと願う田舎の警察官が主人公です。そこに新人警官が配属されてきます。折しもめずらしく村で殺人事件が起きるのですが、張り切る新人をよそに、村長や田舎の司祭らとつるんで日々をやり過ごす主人公。しかしやがて、新人警官が半殺しの目にあったり、権力者の私利私欲のために土地を負われる女性を見たりしたことで、忘れかけていた若いころの義憤に火がついていく……。

最後の10分くらいが意外なほど映画的に豊かになるという、ちょっとおもしろい作品です。それまで登場人物たちが醸していた、リアルな(現実にありそうな)狭い地域に巣食う人々の、どこかもやっとした空気感のようなものが、いきなり寓話のごとく、ある種定型的ともいうべき造形へと一気にシフトする、という感じでしょうか。フィクションの枠が「結晶化」(硬化?)する、と言ってもよいかもしれません。

フィクションの枠が揺らいだり、硬化したり。どちらも試行錯誤を重ねての、探求の成果であるように思えます。映画製作の世界も、そういうところで静かに息づいているのかもしれません。