wowowオンデマンドで配信されている『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(2024)を観ました。パレスチナ人の活動家とイスラエル人のジャーナリストが組んで、ヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタという村でのイスラム軍の破壊行為を4年間にわたって撮影したというドキュメンタリーなのですが、うーん、これはなんとも凄まじい映像の数々。
https://www.imdb.com/title/tt30953759/

ドキュメンタリーを作ろうと意図したはずのキャメラがときおり捉えるのは、軍に追われて逃げる際の激しい手ブレの映像だったり、予告なしに現れて立ち退きを迫り、家屋を破壊する重機の映像だったり。
これほどまでの暴力行為、そして人々の抵抗。英国のブレア首相(当時)が7分間だけその地を訪問した直後だけ、暴力行為は一時的に止んだとのナレーションもありました。すべては上のほうで決定され、現場の住民たちはただひたすら蹂躙されていくだけ、というこの構図。とてもやりきれないものがあります。しかもこの映像は、ガザへのイスラエルの侵攻前のもの。このあと、事態はいっそう悪くなっていく……。
この、ほとんど製作者たちの意図とはかけ離れているであろうフッテージの数々は、もはや「映画」という枠から溢れ出ている、枠を超えている、としか言いようがありません。意図の外側で映し出される映像の荒々しさ、赤裸々さ。「作品」などという範疇を、もはや超越しています。
現実があまりに過酷であるとき、映画、というか映画の枠というのは、あまりにフラジャイルなものになってしまう、そんなことを思わせます。ドキュメンタリーであろうと、そこには切り取り方などのかたちで製作意図が入ってくるわけですが、そのようなものを吹き飛ばすというか、そこに見えている現実が枠に収まりきれずに、枠を壊して溢れ出てくるかのようでもあります。ドキュメンタリーの存立論のようなものを、つい考えないではいられません。