再びメルマガ関連で、ダンテ『水と土の二つの元素の形状と位置について』第13節の挿入図。++++が天球、+++が水の球、++が土の球を表す。Dが同心円の中心。基本的に、土のコブ(コブ状のせり上がり)は存在しえても、水のコブは存在しえないという議論が展開する箇所。

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ダンテ「水と土……」挿入図 1
直観主義と論理主義 – 3 :ブラウワーの直観主義
ずいぶん間が開いてしまったが、アンソロジー『数学の哲学』からデトレフセン「ブラウワーの直観主義」を眺めてみる。まずブラウワーの場合、推論(inference)の考え方が当時としては斬新だったようだ。それによると命題の真理が論証されるには、それが「経験」の対象になっていなければならないとされ、翻って論証における論理的推論の役割は著しく制限されることになる。いきおい、ブラウワーの数学的直観主義は、意味論というよりも基本的に認識論(エピステモロジー)的なものとなる。直観主義においては、数学の命題を論理的に操作できることが、それらの命題を(派生命題も含めて)知ることにはならないというのが基本(ポアンカレ)で、数学的知識と論理学的知識とが異なるものとして扱われるのだが、ブラウワーの場合には、それがなんらかの「経験」にもとづいていることが区別の鍵となっているらしい。たとえば命題pの知識を類推的に命題qに拡張する場合、推論は形式的なだけではダメで、その推論に命題pを成立させている条件についての知識が保持されていなければならない。それこそが実践的な操作をなすのであって、ゆえに単なる論理的操作とは異なるのだ、とされる。ブラウワーにおいては(古典的な認識論におけるような)推論そのものの正当化の重視以上に、認識の様態の保持が重視されるという次第だ。
直観主義は総じて構成主義的であり、数学的知識というものは基本的に構築・構成という活動(心的活動)の一形態であるとされるわけだけれど、ブラウワーの場合はこのように、論理的推論だけでそれは拡張できず、内容を伴ってそういう活動そのものが拡張されるのではなくてはならないと考える。Aという構築された命題と、Bという構築された命題があったとき、推論的連結だけでは、AかつBという命題は構築されない。そこには形式的推論を越えた何かが必要になる。それが「経験」で示される構築の枠組みの連続性・一貫性ということになるようなのだが、著者のデトレフセンによれば、その後の直観主義はそうした構築過程の形式化(ハイティング)を通じて、形式的推論を大幅に認める立場へと移行したといい、上の「AかつB」の命題構築が導かれる過程についても、「シンタクス」的な連結をもってよしとするようになり、ブラウワー的な議論からは大きく逸れてしまっているようだ。ただこのテキストからは、ブラウワーの言う「経験」の内実という部分がもう一つはっきりしないようにも思われる。そのあたりを求めて、この探索はさらに続くことになりそうだ……。
急告!12/2予定のメルマガは一週間遅れます
12月になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。個人的に今週は体調を崩しており、各種作業をお休みしています。そのため、12/2発行予定のメルマガも、一週間遅れで12/9の発行となります。直前の変更で申し訳ありませんが、ご了承のほど、お願い申し上げます。>関係各位
新刊訳書 – 今度は戦争論!
アマゾンに書影が出たので、記念に宣伝しておこう。翻訳の新刊がようやく出た。ピエール・コネサ『敵をつくる―〈良心にしたがって殺す〉ことを可能にするもの』(拙訳、風行社、2016)。なんと今回は戦争論。コネサは本邦ではほとんど知られていないと思うけれど(ル・モンド・ディプロマティック掲載の論考が、雑誌媒体やネットでいくつか訳出されている)、以前はフランス国防省の研究員でもあったというその道のプロ。同書は平和主義の本ではなく、帯にもあるように、戦争にいたるイメージ領域(つまりこの場合なら「敵視」の心理状態とそれを取り囲む諸々の具体物)がどう構築されるかを分析しようというエッセイ(学術論文的なものではない)。現状認識としていったん戦争なるものの実在を受け容れるところからしか話は始まらないわけだが(その意味では、同書は左派的でも右派的でもない……というかある意味両派的?)、戦争を支えるイメージ領域が構築されているものであるならば、その脱構築も可能なはずだとして、戦争回避への方途をも検討してはいる。とはいえ、当然ながらそれはそう簡単な話にはならないわけで、さしあたり、構築過程の分析、あるいは構築される「敵」のイメージの類型論が中心となる。抽象論に向かわず、リアルポリティクスに目配せしているところなどが読ませどころか(多少とも随所に事項の重複などはあるのだけれど)。というわけで、ある種の党派的なものを越えて戦争について考えたい向きにはぜひお薦めだ(と訳者が言うのもなんだが)。お楽しみください。
