トラシュマコス

Republic, Volume I: Books 1-5 (Loeb Classical Library)思うところあって、少し前から例によってLoeb版でプラトンの『国家』(Republic, Volume I: Books 1-5 (Loeb Classical Library))を読み始めているのだけれど、このところの自民党幹事長の「デモ=テロ発言」を見て、なにやら同幹事長ならびに与党全体が、この対話篇(ソクラテスが回想する形式だが)の第一巻に登場する強硬論者のトラシュマコスの姿に重なってみえて仕方がない(笑)。恫喝でもっていきなり対話篇に割って入るトラシュマコスは、「正義とは強い者の利益にほかならない」という威勢のよい主張をする。支配者・為政者が自分たち(強い者)の利益になることを求めれば、それすなわち被支配者にとっての利益にもなり、したがってそれこそが「正義」なのだというのだ。これに対しソクラテスは、まずは為政者の誤謬の可能性を指摘し、専門職としての為政者とは被支配者のためにこそその技術(統治の技術)を用いる者のことだということを認めさせていく。というか、トラシュマコスの強硬論が、用いる語の定義からして穴だらけであることが一つずつ曝されていく。一番始めこそ一同をビビらせた(というか引かせた)トラシュマコスだけれど、ソクラテス側からの反論を受けて、次第に当初の威勢の良さを失い(それでも途中、分が悪くなったと見るや(?)、言いたいことを言い放って立ち去ろうとさえするのだが)、劣勢へと立たされていく様は、なにやら哀れさすら感じさせる。最近の政治の動きなど見ていると、このあたりの話に学ぶべきことは意外なほど多いように思われて仕方ないのだけれど……。