オートレクールのニコラ:古代の懐疑論との違い

前にも少し触れたけれど、セクストゥス・エンペイリコスの懐疑論の徹底ぶりは、後世のものとはだいぶ趣を異にする。そのことに関連して、オートレクールのニコラの懐疑論についての考察を読んでみる。リチャード・フィッチ「オートレクールのニコラと理性の熟達」(Richard Fitch, Nicholas of Autrecourt and the Mastery of Reason, DT 116, 3, 2013)という論考。基本的に、ニコラの懐疑論が古代のものとどう違っているのかを、ややねじれた形で検証するというもの。ねじれた形というのは、まずそれが、エティエンヌ・ジルソンとハンス・ブルーメンベルクの議論をもとに、中世のキリスト教の文脈において「懐疑論」は可能だったかどうかを考察し、ついでニコラの立場をその議論との関連で照らす、というものだから。なにやらくせ玉のような議論ではあるけれど、哲学的な懐疑論が神学の立場と共存するかどうかというもっと大きな問題を見据えているために、こういう迂回的な議論構成になっているのだろう。ジルソンは、ハーヴァードでの講義にもとづく著作『哲学的経験の統一性』(1937年)で、歴史的回帰として次のことが繰り返されているさまを構造的に説いているという。すなわち、教義はその刷新において懐疑主義による諸原理の問い直しへと向かい、そこから神秘主義・道徳主義が出てくる、というわけだ、ニコラはまさにその原理の問い直しの文脈に位置づけられる。一方のブルーメンベルクは、ピュロン主義的な懐疑論がキリスト教教義によって予め否定されているがゆえに、ニコラは非形而上学的な原子論を採択する以外に選択肢がなかったのだと説く。神学的決定が懐疑主義を阻むというのだが、これに対して論文著者は、そうではないと考えているようだ。理性の熟達が、神からの決定が下ってくるような垂直軸から、人々の間で知識が共有されるような水平軸へと移りゆくとき、神的・絶対的な力と無神論との狭間で、どちらの極端にもいたらない一種の緊張状態が現出する可能性(昔風にいえば、両方の軸を斜めに横断するような状態)を思い描いているのだ。その意味において、信仰と(哲学的な)懐疑的論理は排外的ではなく、ニコラもそうしたスタンスを取ろうと思えば取ることも可能だったろう、と……。

実際のニコラは、あからさまに懐疑論を標榜するようなスタンスは取っていない(と論文著者は見ている)。たしかにベルナール宛の書簡では古代の懐疑主義のような議論で相手を批判してはいるものの、みずからを懐疑論者とは見なしているわけではなく、たとえば無矛盾の原理など(古代の懐疑論ならば自己批判の対象にするようなもの)は進んで優位に置いているという。また、部分的には古代の懐疑派の「判断停止」のような姿勢を取る場面も見られるというが、これもまた理性と論理の限定的理解からより深い理解への運動として捉えられるのではないかとし、論文著者はそれをニコラの思索のスタイルに関連づけている。丁々発止のスコラ的論究(レクティオやクエスティオにおける)を捨て、いわば部屋に引きこもって微細な推論の動きを綿密に検証するというその新たなスタイルは、たとえば印刷術のような技術的なものが誘発した結果ではない。論文著者はむしろそこに、「思想が真に社会的なものになるには、思索の行為は非社会的でなければならない」という仮説を見出している。