伊福部音楽祭とゴジラ本

リュート属の楽器を弾く伊福部昭(パンフレットから)
リュート属の楽器を弾く伊福部昭(パンフレットから)
ちょうど老親がショートステイに行っていることもあって、この日曜、久々の息抜きに「第四回伊福部昭音楽祭」というイベントに行ってきた。なんだか一足早い夏休みモードだ。伊福部生誕100周年と、ゴジラ誕生60周年のいわば合同イベント。目玉は後半の、1954年版『ゴジラ』にオケの生演奏を付けるという出し物だけれど、むしろ個人的には前半が楽しみだった。というのも「日本狂詩曲」「シンフォニア・タプカーラ」の生演奏だったから。「日本狂詩曲」は「校訂版」の初演なのだそうで、確かにテンポ設定などがCDなどで聴くものと違っている(全体的に速くなっている)感じで、あの踊り狂う感じがいや増している。踊り狂う感じといえばむしろ「シンフォニア・タプカーラ」のほうが圧倒的というのが従来の印象だけれど、今回は「狂詩曲」のほうが爆発的だったせいか、「タプカーラ」の演奏は逆に少し抑制されているようにも思えた(笑)。とはいえ、クライマックスはやはり大いに盛り上がる。

後半の生演奏版『ゴジラ』は、まずもってトーキー映画に生オケという組み合わせの意外性が興味をそそった。無声映画での生演奏は結構ある(昔見た映画版『ばらの騎士』の生オケ伴奏って、たしか会場が今回と同じオペラシティのホールだったような気がする)けれども、トーキー以後のものはそんなにはないと思う。セリフや効果音はそのままに、伴奏の伊福部音楽だけを抜いて、そこに生演奏を加えるというわけなのだけれど、試みとしてはなかなか面白いものの、途中まではオケのほうに注意が行っていたものの、次第に映画そのものに見入ってしまい(オリジナル版『ゴジラ』は3月にCSチャンネルで数十年ぶりに見たものの、やはり何度見てもそれなりに作品に入り込んじゃう)、そうなると生演奏かどうかということはまったくどうでもよくなってしまう(笑)。その意味で、この試みは成功していたのかどうか……(苦笑)。ちなみに和田薫指揮、オケは東京フィルハーモニー交響楽団。

神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫 2243)いやいや、でもこの企画そのものは大成功だったと思う。前半も後半も評論家の片山杜秀氏によるトークが入り、特に後半ではオリジナル版の主演だった宝田明氏が登場。その宝田氏、ゴジラという存在を、地獄・煉獄・天国のすべてを含み持ったような存在として、ダンテの『神曲』になぞらえていたのがとても印象的だった。ちょうど原基晶氏の新訳が続々と刊行中であるだけに(『神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫 2243)』が出た模様)、意外なところでダンテの『神曲』が出たことに、個人的に盛り上がる(笑)。そういえば片山氏がパーソナリティを務めるFMの「クラシックの迷宮」では、4月末と5月末(伊福部昭の誕生日だ)に伊福部特集を組んでいた。「協奏風狂詩曲」「ヴァイオリン協奏曲2番」「ラウダ・コンチェルタータ」などを放送していたと思う。さらに同じくFMの5月の「吹奏楽のひびき」でも、「吉志舞」「ブーレスク風ロンド」(ゴジラ映画で自衛隊登場時に流れるあの音型のもと)などを放送していた。

ゴジラの精神史 (フィギュール彩)さて、ゴジラといえば、小野俊太郎『ゴジラの精神史 (フィギュール彩)』(彩流社、2014)もお薦めしておこう。かつて『モスラの精神史』で、その映画世界を支えていた多層的な文化リソースの数々を浮かび上がらせた同著者による、まさにベストタイミングでのゴジラ論だ。複合的な作品としてゴジラを見直すための、とても有益なガイドになっている。ゴジラ関連の著書というのは先行文献が多々あるので、著者も述べているように相当に書きにくい題材なのだろうと思うけれど(筆致にもそれが現れているように見える)、それでもいろいろと腑に落ちる話が満載だ。たとえばオリジナル版『ゴジラ』で、民間のサルベージ会社に務める主人公が沿岸警備の船に乗り込むなんて、今では考えられないようなシチュエーションだけれど、54年当時、サルベージ会社は公的機関からの委託を受けて、沈没船の撤去や港湾の浚渫に関わり、戦後復興に貢献していたことが反映しているのだという(p.41)。あるいは伊福部との関連では、たとえば上の「吉志舞」が、古代の歌謡や舞の伝統にどう連なるかなどが取り上げられている(p.136)。