再構成という力業 – キケロ

キケロ『ホルテンシウス』 断片訳と構成案奇しくもというか、前回の『イスラーム神学』と同じような構成の本を読み始めている。廣川洋一『キケロ『ホルテンシウス』 断片訳と構成案』(岩波書店、2016)。これもまた、第一部のキケロについての概説に、第二部として『ホルテンシウス』の断章の訳が続き、その後第三部として「構成案」、すなわち断章のそれぞれが全体のどのあたりに位置づけられるかを推測し、解説していくという形になっている。なるほど、ある種の研究書の構成パターンとして、これは悪くない形式。一方の中味は、全体は失われてしまっているキケロの『ホルテンシウス』の元のかたちを、思想内容を手がかりに、現存する断片から推測するというもので、もとよりこれはスリリングだ。そうした学術的試みは実際すでに何度かあるといい、それらについても当然取り上げられているが、今回のこの構成案の特色は、なんとってもキケロの同書が連なる「プロトレプティコス(哲学のすすめ)」の系譜・伝統にとりわけ光を当てていることのようだ。この構成案の是非については素人なので不明だけれど、再構成を通じてキケロの哲学的な立場(アカデメイア派への帰属)や、ある種の心理学的な対症療法としての哲学といったテーマが浮かび上がってくるあたりは、この労作のとりわけ意義深いところだろう。こういう再構成という力業は、当然もとの著者のテキストその他を丹念に読み込んで初めて可能になる大仕事。それだけに、いつか何らかの形でやってみたいなどと、立場もわきまえず不遜なことをつぶやきたくなる魅力を秘めている(笑)。