久々にドゥルーズ論

久々にドゥルーズ論を読み始めたところ。ピーター・ホルワード『ドゥルーズと創造の哲学 – この世界を抜け出て』(松本潤一郎訳、青土社)。まだ2章めの途中までだけれど、わー、すでにしてこれはなんというか、個人的には読む快楽を味わうことができる一冊。ドゥルーズ哲学の全体像を「創造」をキータームにしてわしづかみにしようという目論み。創造とはつまり生成変化のことで、いわば例のプロセス実在論ということ。ここではそれはある意味それを突き抜けて、むしろプロセス神学的(といっても、ホワイトヘッドのそれとは違うけれど)。まだほんの出だし部分しか読んでいないのでナンだけれども(苦笑)、ドゥルーズが存在の一義性のほか、たとえば神(この場合は創造のプロセスそのものということになるのかしら)の認識が人間主体にもとより可能であるという見解(つまりは神秘主義的な見識だが)でもドゥンス・スコトゥスに重なるらしいことが改めてよくわかる。ドゥルーズってやはりとても「フランシスコ会的」かも(笑)。「われわれが真に思考するとき、神こそがわれわれを通して思考する」(p.35)なんて、反デカルト的にマルブランシュにも通じているし。フランシスコ会系の思想のはるか先にドゥルーズのような思想が待っているとしたら……やはりそのもとの思想を現代において問い直す意義も十分にありそうだ、と改めて。