論集『中世の錬金術と医学』(Alchimia e medicina nel Medioevo, a cura di C. Crisciani et A.P.Bagliani, Sismel/Edizioni del Galluzzo, 2003)を読み始める。西欧中世あたりには錬金術も医学も共通の知的基盤をもっていて、ある意味両者は地続きの関係にあったとされるけれど、とはいえ学問分類上、両者は明暗を分けることにもなった。このあたりの諸事情が、様々な論考を通じて浮かび上がってくる……のかな、などと期待しているところ(笑)。これも少しメモを取りながら見ていきたい。というわけで、まずは(錬金術の伝播の経路に合わせて?)ギリシア文化圏についての論考から。ベルニーチェ・カヴァッラ「ビザンツ文献における錬金術と医学」(Bernice Cavarra, Alchimia e medicina nei testi Bizantini)は、まさに古代末期からの哲学・医学・錬金術の分類をめぐる論考。ビザンツ世界では古代からの区別を受け継ぎ、理論の学(哲学)に対して実践の学(医学)は一段下に位置づけられていたわけだけれど、錬金術をその中間に「実践的哲学」として位置づけようとした人々がいた。たとえばパノポリスのゾシモス(4世紀ごろ)とか、アレクサンドリアのステファノス(6世紀から7世紀)など。はるか後世のプセロス(11世紀)ともなると、医学がむしろ理論知に位置づけられるようになり、錬金術はそこに部分的に収斂しつつ(神秘的な要素が減じ、物質的変容なども自然に属する現象として扱われる)も実践知として従属するといった微妙な関係になっていくらしいのだけれど、ステファノスあたりにあっては、人間と鉱物などがアナロジーで結びつけられ、医学と錬金術はともに「それぞれの治癒(つまりは完成)を目指す」点で同レベルの実践知と位置づけられていたという。うーむ、ステファノスもなかなか面白そうだ。
パオラ・カルージ「哲学者と水夫−−自然から見たイスラム錬金術と医学」(Paola Carusi, Il filosofo e il marinaio. Alchimia islamica e medicina alle prese con la natura)もある意味、上の論考を補佐する内容。もちろんこちらはイスラム世界での錬金術の位置づけなのだが、これが上のビザンツでの位置づけに呼応しているらしいことがわかる。論考は、医学が理論知であるとはいっても、個別事例の集成である点をもって純粋な理論知である哲学とは異なることを、アヴィセンナの文書をもとに示し、次いで錬金術が、医学とも哲学とも一定の共有関係をもちつつ、両者の中間に位置づけられる(金属に対して医師のように接し、哲学の理論をそこに応用しようとする)ことを詳述している。