オピキヌス論文の読み進めと並行して、閑話休題的(というと語弊があるが)に、水野千依『キリストの顔: イメージ人類学序説 (筑摩選書)』(筑摩書房、2014)を読み始める。キリスト教におけるイエスの顔の表象について歴史縦断的に渉猟し一般向けにまとめた労作。まだ前半のみだけれど、ここでは「人の手によらない」(アケイロポイエートス)とされた絵画表象のうち、いわゆるマンディリオンについて、その東方での成立からその後の展開、さらには後世の西洋世界への諸影響にまで話が及んでいる。マンディリオンは、イエスが顔を拭いた布にその顔が刻印されたというもの。それをエデッサのアブガル王の使者アナニアが持ち帰ると、その布に触れたアブガルの皮膚病は治ったというのがその伝説。その後も、いったん秘匿された後(そこで布を覆っていたタイルに、聖顔のコピーができていたともいう)、城門に運ばれたその布がペルシアからエデッサの町を守ったなどとされ、後にコンスタンティノポリスに運ばれてビザンツ皇帝の礼拝堂に安置されたという。さらに第四回十字軍によるコンスタンティノポリスの略奪で失われた(パリに運ばれた)後も、その聖顔信仰は各地で拡大し続ける……(pp.58-60)。その伝承は様々な要素の付加や変遷を経て確立されていく。まずそもそもの崇敬の対象だったのは聖顔ではなく、アブガルが送った書状に対するイエスによる返答(聖書簡)のほうだったという。これが6世紀ごろからイコンの崇敬へと移っていく。その背景として、当時の守護的象徴をめぐる聖像同士の競争や、ギリシア化によるイメージ重視へのシフトなどが挙げられている(pp.75-76)。
伝承の各細部にまつわる変遷史も興味深い。たとえば「城門」のテーマ。城門はマンディリオン再発見の場であるばかりか、ケラミオンという複製の場にもなっていく。本来は聖書簡と城門という守護的エレメントの組み合わせだったのが、マンディリオンと城門とケラミオンのペアへと移り変わっていく(p.92)。さらに、アナニアが聖顔を持ち帰る途中で一度それを隠したときに別のタイルにも別の複製が残されていたという話が加わり、コピーとしてのケラミオンもまた増殖していく(p.94)。同書はここから先、聖顔に関係した図像制作への道のりが、一見遠いようで案外近いことを繰り返し示している。聖遺物にまつわる考え方の変化とか、重層的な意味の広がりが多角的に論じられている。たとえばマンディリオンの複写(当然人の手によるものだ)。暗い色調で布から浮かび上がるように描かれているそれは、エジプトの葬儀肖像などとの関連もあるとされる(p.102)。あるいは陰影表現が着彩画に転じていく過程(第三章の後半部分だ)。ここではとても列挙できないけれど、取り上げられている要素の多彩さは目を見張る。もちろんそれらが同書の魅力の一端なのだけれど、うっかりすると消化不良の危険も(笑)。ちなみに、この先の書籍全体の後半にあたる部分は、ヴェロニカ(ゴルゴタの丘への道の途中で、ヴェロニカが差し出したヴェールでイエスが汗を拭ったところ、その顔が刻印されたという伝承)についての論考などが中心となって展開していくようだ。