東北の震災から五年目。このタイミングでナンだけれども、1356年にバーゼルで起きたという地震に関する学際研究の成果をちょうど見てみたところ。ドナート・フェー以下8人の研究者による「1356年のバーゼル地震:学際的見直し」(Donat Fäh et al., The 1356 Basel earthquake : an interdisciplinary revison, in Geophysical Journal International, Vol.178, Issue 1, July 2009)(PDFはこちら)というもの。文献史料、考古学的史料、さらにはそれらにもとづくデータによる強度の概算や震源の推定にまで踏み込んだまさに一大プロジェクト。学際研究の豊かな成果のまさに実例という感じの論考だ。最初の文献史料は、バーゼルの市当局の記録文書や複数の年代記(当時のもの、あるいは後世のものなど)を中心に、城や修道院などの修復記録、租税の軽減に関する文書、資金の訴え状など、実に様々な文献から成るようだ。1356年10月18日から19日にかけて複数回の揺れがあったことなど、地震の概要は記されているというけれど、当然ながら細かな被害状況などは伝えておらず、あるいは伝聞による記録だったりもし、具体的な出来事のタイムラインを再構築することはできないという。そのあたりを推測するには、やはり考古学的史料の出番となる。古い建物や土壌などの調査を通じて、その脆弱性などが幅広く評価されている。城などの主要な建物が全壊もしくは半壊したことを記録している古文書などと突き合わせつつ現場を調査していくということで、これは実に膨大な作業が必要になることが容易に想像できるけれど、バーゼルは意外にも考古学的データがかなりまとまった形で残っているらしく、専門の行政機関が1960年代にでき、土壌・建物それぞれについて、とくに1970年代以降、精力的な調査を行ってきたのだという。頭が下がる思いだ。興味深いのは、1356年の地震以降、建物の建築方法には大きな変化が見られるという指摘。煉瓦の使用が増え、切り出された石による石造りと常に組み合わせて使われるようになったことがわかるのだという。古い修道院の壁の修復跡なども、実に重要なデータをなしていたりするのだとか。
先月19日に亡くなったウンベルト・エーコへのオマージュとして、遅ればせながらだけれど、エーコについて論じた論考をいくつか眺めてみた。エーコ自身が多彩な活動で知られていることもあり、こう言ってはなんだが、論考もなんだがピンキリという印象(苦笑)。現代思想風なタームを散りばめて、それっぽいけれどなんだかよくわからないというものもあったりする。そんな中、ざっと眼を通した限りではちょっと面白かったのが、小説『薔薇の名前』での引用について考察したフランチェスコ・バウシ「『寄せ集め、彩りの頌詩、計り知れない折句』ーー『薔薇の名前』における引用句の現象学」(Francesco Bausi, “Un centone, un carme a figura, un immenso acrostico”. Fenomenologia della citazione ne “In nome della rosa“, in «E ‘n guisa d’eco i detti e le parole». Studi in onore di Giorgio Barberi Squarotti (2006))。明示されている引用としてはダンテやホラティウス、アウグスティヌスなどがあり、また、より興味深い引用として、二次文献の引用があるといい、論文著者はクルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』を例として挙げている。ネタ本の一つになっているというわけなのだが(ホイジンガもだけれど)、そこに微妙な表記の揺れが混入していたりするのだという。『カルミナ・ブラーナ』からクルツィウス、そしてエーコと、いわば転記を経ている箇所などもあって、表記の変更が作為的・意図的なものなのか微妙な問題として扱われている。