今年も年越し本(読みかけで年を越した本)がいくつか。そのうちの一つが、ハンナ・アレント『責任と判断 (ちくま学芸文庫)』(ジェローム・コーン編、中山元訳、筑摩書房、2016)。もとの邦訳は2007年刊。アーレント(個人的には慣例的にこの表記を用いている)の道徳論を中心に、情況への発言なども合わせて収録した一冊。とりわけ、思考と道徳との関係性についての考察が大きな比重を占めているように思われる。とりわけ重要とされるのは、最も長大な「道徳哲学のいくつかの問題」(1965年から66年)という連続講義だけれど、より端的に思考と道徳の関係性を扱っているのは「思考と道徳の問題–W. H. オーデンに捧げる」(1971年)という文章。アーレントによると、たとえばカントは、人間の意志には「理性的根拠にも「ノー」と言うことができる」として、義務の概念を導入するという。その義務は自明なものではなく、ただそれに従わない場合の自己への軽蔑という脅しが道徳律を形作るというわけなのだが、アーレントは道徳をめぐるこの構図を、「自己との関わり」という観点でいっそう深めようとする。その際に引き合いに出されるのは、ほかならぬソクラテスだ。というわけで、以下そのあたりの話を簡単に抽出しておく。
明けて2017年なり。賀正。というわけで、今年の一本目は例によって古典語についての話。エレナー・ディケイ『古代の仕方でラテン語を学ぶ』(Eleanor Dickey, Learning Latin the Ancient Way: Latin Textbooks from the Ancient World
, Cambridge University Press, 2016)という一冊を年末に眺めてみた。ローマ時代のギリシア語圏の人々は、必要に迫られてラテン語を外国語として学んでいたといい、それらの人々がどのような教材を用いていたのかを実例(の英訳)を交えながらまとめた一冊。この、「古代の人々がどのようにラテン語を学んでいたか」という着眼点がまずもって素晴らしい。そこから具体的な教材(とくに残っているのが3、4世紀のもの)の検証に入っていくのだけれど、大きな特徴として、当時は逐語的な対訳本が使われていたことが示されている。対訳本のカバーする範囲は多岐にわたり、日常生活的な会話本から、トロイア戦争についての各種物語、イソップの寓話、より専門的なところでは、ハドリアヌスの判決や奴隷解放についての論文など、実に多岐にわたっている。テキストブックはそんな感じだが、興味深いのは文法書。当時は学習対象の言語で書かれた文法書(つまりラテン語で書かれたラテン語文法書)を、習い始めのころから用いていたのだという。もちろん教師がいて、それを解説するというやり方だったのだろうと推測されるけれど、なかなか初学者にはハードだったのではないかなと思われるところだ。また、すべての学習者がラテン・アルファベットを修得していたわけではないといい、ギリシア語のアルファベットで転記された教材もあったという話も面白い。巻末にはラテン語・ギリシア語の対訳教材の実例(英訳なし)や、語が分割されていないテキストの例、さらには文献情報も付されていて、とても参考になる。