クセノフォン『家政論』

(初出:bib.deltographos.com 2024/08/24)

Loeb版のXenophon IV巻から、以前のMemorabilia(ソクラテスの思い出)に続き、Oeconoimcus(家政論)を読了しました。「家政論」はだいぶ前に、研究目的と称して特定の部分を飛ばし読みしたことがあります。今回は純粋な楽しみとして、細部をじっくり見たいと思いました。それなりに時間もかかりましたが、なかなか面白かったです。

(2023年8月24日現在、アマゾンではかなりの高値で古書が売られています)

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ソクラテスは狂言回しとして登場していて、とくに中盤以降のイスコマコスとの対話(の回想)では、完全に聞き役になっています。中身としては、要は家の内的な管理に長けていることが、事業の管理、さらには市民の統治といった上位の社会組織においても、長けていることになるのではないか、という話で、いわば哲人統治論の源流みたいな内容です。

面白いのは、ひとつには女性の聡明さを言いつのっているところです。もちろん当時のギリシアはすでにして男性優位社会ですから、女性は役割分担をあてがわれてしまうわけですが、それにしても女性が自然体でもって、暗黙知的なものを多用しつつ、家政の管理に果敢に貢献するという像が、とても印象的です。

また後半には、生活基盤としての農業と、それにまつわる細かな知恵が列挙されていきます。このあたり、管理業務の見本のような話が続いていて、バランス重視のイスコマコス=ソクラテス=クセノフォンの考え方が深く刻まれている感じがしました。

あとから知ったのですが、『家政論』は2010年に『オイコノミコスーー家政について』(越前屋悦子訳、リーベル出版)として邦訳が出ています。こちらも今は古書として高値がついています。もうちょっと手頃に入手できてほしいところですね。

 

『プリニウス』など

(初出:bib.deltographos.com 2024/08/15)

先月でしたか、『プリニウス』(ヤマザキマリ、とり・みき、新潮社)の最終巻が出たという話をききつけたので、この孟夏の折に読むことにしました。実は7巻くらいまでしか読んでいなかったので、残りを一気読みです。皇帝ネロの話が長々と続いていましたが、最後は、若い頃のプリニウスの話を経て、最後はヴェスヴィオ山噴火へと立ち戻っていきました。火山で始まり、火山で終わり、途中にも大火などの話もあって、どこか「火」が底流をなしているかのような展開でした。とくに、終盤はなかなか壮大な絵巻のような感じさえして、なかなか見事でした。

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少し前に、古代ローマ史の専門家、本木凌二氏の『独裁の世界史』(NHK出版、2020)を読み初め、そちらもとくに前半のギリシア・ローマ編が面白く、この夏は古代ローマに想いを馳せる感じになりました。暑さも含めて、なんかこう、想像力が引き延ばされる思いがします。

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でも、この後者の本については、独裁をどこか必要悪的なものとして、部分的にせよ肯定しているところに、ちょっと違和感を持たざるをえませんでした。民主主義にも、共和制にも、独裁はありうるという話は、なるほどと思うのですが、いったん独裁を容認するようなことになってしまうと、あとはずるずるとひたすら劣化するだけになってしまうような……。個人的には、あえて独裁にはノーといいたいところです。