視覚思考と技術愛

今年の夏読書は、まず手始めに、学生時代に読んだハインラインの『夏への扉』を2020年の新訳で(福島正実訳、ハヤカワ文庫、2020)もう一度読もうと決めていました。昔読んだときには、復讐譚の部分ばかりが印象に残り、さらにタイムパラドクスも気になって、なんだか微妙な読後感だったように思うのですが、今回再読してみて、そういう暗い部分よりもむしろ、主人公が技術職としての道をひたすらまっとうしようとする姿勢などに、好印象を覚えました。線でつなげばパラドクスもとくに感じられません。なんというか、印象が大きく変わりましたね。なによりも、主人公が開発したという機器の数々が、今いろいろなかたちで、現実世界でも実現しているところなどがとても興味深いです。なんというか、一種の技術愛・技術者愛を感じさせますね。1956年の作品なのにねえ、と感心します。
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これ、ちょうどkindle unlimitedに入っていたテンプル・グランディン『ビジュアル・シンカーの脳』(中尾ゆかり訳、NHK出版、2023)と、併読するような感じになったのですが、これも、技術者愛を感じさせるような一冊でした。「視覚的な、非言語プロセスでものを見る」という人々(たしかにそういう人はいます。案外身近に)が、技術畑などで活躍する様を描いてみせた一冊です。著者(動物学者なのだとか)も述べるように、子供は皆、視覚思考の傾向を持っているのだそうで、それが言葉によって次第に覆い隠されてしまうのではないか、という話です。昔、「どの子供も、なにがしかのの天才である」という名言がありましたが(色川武大?もっと遡れそうですが)、思うにそれは、そういう視覚ベースの直感的な対象・状況把握を指していたのかもしれません。
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でも、逆にいうと、視覚思考と言語思考は、必ずしもいずれかに分けられるというような、明暗をなしているのではなく、そのあいだに幅広いグラデーションがあるのではないか、というような気もします。ある著名な同時通訳の方は、インプットされる元言語の理解の処理は、ほとんど仕切りのある空欄を埋めていくようなもので、それを記憶として保持しながら、訳出してアウトプットに変えていくのだと語っていたことがありました。言語処理にも、もしかしたらそういう空間的(視覚的・映像的?)な処理がついてまわるのかもしれない、と教えてくれるようなお話でした。また、古来の「記憶術」において、空間的に記憶を配置していくといった処理も(個人的にはこれ、お恥ずかしいことに実はちょっとピンと来ないのですが)、視覚思考の賜物なのかもしれませんね。

ハインラインの小説に登場する主人公も、そういう観点から解釈すると、ちょっと面白いかもしれません。ハインライン自身も、なんだかそういう視覚思考的な傾向を強く感じさせる作家のようにも見えて来るかも(笑)。