夏にベイトソンを読んだ勢いで、これまた以前から読みたかったモリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ:世界の再魔術化』(柴田元幸訳、文藝春秋、2019)を読み始めました。まずは近代初期の占星術・錬金術・魔術が廃れるまでの通史を概観する前半。原書は1981年ですし、邦訳も1989年に一度出ていたものの再刊ですね。
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この概観、それなりにうまくまとまっていて好印象です。17世紀ごろまでもてはやされた錬金術について、ユングはそれを、外部への働きかけであると同時に内的な変容をもたらすものとして解釈したわけですが、そのユングのアプローチもまた、すでにして近代科学の思考法(つまりは外・内の二分法)を投影したものに過ぎず、いにしえの時代における実像とはかけ離れていたのではないか、とバーマンは指摘します。
実像を明らかにする、というのは相当難しい作業でしょうけれど、少なくとも文献的には、外部と内部をひと続きのものと捉える思想が、当時の主要な学者たちに散見される、というのですね。たとえば、音楽や呪文によって身体と魂に変化がもたらされるとするフィチーノなど。しかし占星術にもとづくそういう思想は、「時代が下ると操作的・世俗的な面ばかりが受け継がれるようになる」、と。
錬金術の諸要素はあるときまで、キリスト教によって利用されていたといいますが、キリスト教には、同時にそれを異端として糾弾するという二面性もあったわけで、ロバート・フラッドなど、それを普遍的な宗教に押し上げようとする動きに対しては、たとえばメルセンヌやガッサンディなどが宗教的な面から批判を加えて行くといいます。と同時にガッサンディには、史上初の「科学実証主義的な発言」もあったといい(世界霊魂が存在することをどうやって証明できるのか、などなど)、目測などを重視する科学的思考が、徐々に拡大していくことが観てとれる、とのこと。
プロテスタントによる魔術の弾劾は、結果的に中流階級への現世的な救済を与えたものの、下層階級は放置されて、彼らはヘルメス主義に固執していくといいます。バーマンは、17世紀の下層階級のヘルメス主義は、一種の社会主義的な色彩すら帯びていたと言い放っています。このあたりの話はキース・トマス(初期近代の研究者)にもとづいているようですが、なかなか面白いですね。オカルト的なものは1640年代をピークとして、1660年代にはデカルト的な機械論哲学に取って代わられるといいます。
バーマンは、思うに編集志向が強い著者なのでしょう。「分離した個ではなく関係に注目する科学」「参加する観察」といった、ホーリスティックな思考にもとづく科学にこそ未来があるのではないか、とするその基本姿勢にも、そのことが反映されている気がします。いずれにしても、それが後半(ベイトソンの周辺?)の流れになっていくようです。